ペトラルカの有名な書簡『ヴァントゥー山登攀』の仏訳本(Pétrarque, L’assension du mont Ventoux, trad. Jérôme Vérain, Mille et une nuits, 2001)がなぜか手元にある。積ん読になっていたのだけれど、そもそもなぜ注文したんだったか思い出せない……(苦笑)。本文20ページ強、解説や註を入れても50ページ強なので、難なく読了。この訳から得られる個人的な印象としては、史上初の登山の手記(と言われることもあるらしいけれど)という感じはあまりせず、むしろ神秘主義的な魂の飛翔のアレゴリーといった見方のほうがしっくりくる気がする。実際、この仏訳の役者ジェローム・ヴェランはそういう立場らしく、本文に続く解説部分では、この登攀が実際には行われず、手紙自体も(これが含まれている『親交書簡集』の多くがそうだというが)後から構成され推敲されたものである可能性があるとの見解を示している。風景描写は具体性を欠き、同伴者として登場する弟ゲラルドは、書簡が送られたとされる日付の7年後にシャルトル会修道士になるのに、ここに描かれたその像はすでに見事なキリスト教徒としてのそれだ、と訳者は指摘している。注で触れているところによれば、手紙に書かれているようにマロセーヌからヴァントゥー山頂上までは、山道で40キロほどもあるのだそうで、手紙にあるように一日で往復し、なおかつ晩に落ち着いて手紙を書けるような経路ではとうていないらしい(やにやら芭蕉の「奥の細道」の話を思い出す。そちらも、実は手記ではなく漢籍の引用に織りなされている作品だ、みたいな話があったっけね)。
「ヴァントゥー山登攀」については、邦語でも佐藤三夫氏による訳と、少なくとも論文の一つ「ペトラルカの「ヴァントゥー山登攀」について」(1981)がPDFで読める。この論文はいくつかの解釈の動向を整理したもので、それによると、「ヴァントゥー山登攀」が文献的な織物であって実際の手記ではないとする文献学的な説の嚆矢は、ジュゼッペ・ビッラノヴィッチという研究者だといい、後にそれに準拠した作品解釈がいろいろと試みられているという。佐藤氏の『ヒューマニスト・ペトラルカ』(東信堂、1995)もなにやら気になる書籍だ。