ちょうどイスラム圏はラマダンだということで、ちょっと時代的には後だけれど、断食にまつわる論考を見てみた。マッシモ・レオーネ「断食とショコラ:イタリアにおけるジャンセニスム的厳格主義」(Massimo Leone, Le jeûne et le chocolat : le rigorisme janséniste en Italie, Le jansénisme et l’Europe, Actes du colloque international organisé à l’Université du Luxembourg, 2010)というもの。ジャンセニスムといえばパスカルなどの傾倒でも知られている17、18世紀の厳格主義。とりわけフランスの貴族の間で流行ったとされているけれど、なるほどそれはイタリアにも伝わっていたという次第。この論考によれば、書簡、旅での交流、フランス出身の神学者の存在、書物などを通じてイタリアへも拡がり、17世紀後半以降には定着していたとされている。とはいえ、確かに反イエズス会的な神学・モラル的な厳格主義ではあったものの、どこか拡大解釈や地方的な好みなどに彩られ、一種独特のものになってもいたらしい。その背景には、イタリア的な「決疑論」(casuistique:要するに一種の詭弁で罪を逃れるやり方)への反発があった。その決疑論によれば、たとえば修道女の胸に触れることは微罪にすぎない、といった見解が支持される。もちろんその見解には、おまえはプロテスタント系の「おっぱい派神学(theologia mamillaris)」か、というツッコミが入るわけだけれど……(これ、乳頭派とかすべきかもしれないけれど、ブログ「オシテオサレテ」が採用していた秀逸な(?)訳を使わせていただこう(笑))。いずれにしても、厳格主義者らは敵対する側の水準にあえて身をおき、その同じ土俵で道徳神学の改革を企てていくのだという。
……とまあ、こうした長い前置きに次いで、ようやく論考の主題である断食とショコラの話になる。これもイエズス会などの決疑論側への反論の一つ。そちらの見解によれば、微量のショコラを飲むのは断食を破ったことにはならないとされる。蓋然説(疑わしければ決疑論者の権威に従えという立場)では、ショコラが西欧に入ってくる(一六世紀)前の中世の論者たち(トマス・アクィナス、サン・プルサンのドゥランドゥスなどなど)が断食中の舐剤(なめ薬:要は瓶詰)について記した箇所まで引いて、ショコラの消費を正当化している。で、当然ながら厳格主義の側はこれを批判する。その実例として挙げられているのがダニエレ・コンチーナの著作だ。論考はその中身、つまりは反論を詳細に取り上げていく。アウグスティヌスを引用するのはもちろんのこと、カトリック批判の文脈ではカルヴァンまで引用しているというし(!)、ショコラ反対論を述べていれば決疑論者たちからも引用しまくるのだという。いや〜なかなかすごそうだ。そのあたりの攻撃の多面性が興味深い。