女性教皇伝説

これもそこそこ有名な伝説らしいのだけれど、9世紀に女性教皇がいたという伝説があるのだそうだ。教皇ヨアンナという人物だというのだが、これはほぼ間違いなくフィクションだろうとされている。これにある種の両性具有幻想を重ねて解釈しようという、その筋では有名らしい論考が、マリア・ニュー「教皇ヨアンナ:識別しうる症候群」というエッセイ(Maria I. New, Pope Joan: a recognizable syndrome, Transactions of American Clinical and Climatological Association, vol. 104, 1993)。というわけで、早速それを見てみた。この伝説、1250年にマイイのジャンという学僧が記したのが嚆矢とされ、中世後期から宗教改革期にかけて、フランシスコ会やドミニコ会の修道士たち(さらにはプロテスタント)によって盛んに記されてきたといい、最も普及したのがマルティン・ポルヌスが1265年ごろに記した『教皇令年代記(Chronicon Pontificum et Imperiatum』で、その後ボッカッチョが1350年ごろに『高名な女性たちについて(De claris mulieribus)』で名前などの細部に手を加えたとされる。論考の著者によれば、この話の最大の着想源と目されているのは、トゥスクルムの領主だったテオフィラクトの妻テオドーラが、愛人のために教皇職を金で買いとり、かくして生まれたのが教皇ヨハネス一〇世だったという史実(後にその教皇はテオドーラの娘マロツィアによって幽閉され獄死。その前の教皇セルギウス三世との間に出来たマロツィアの息子が次のヨハネス一一世になった)。この女傑話と、キリスト教の女性聖人の伝統とが合わさって、この伝説が生まれたのではないかというのが、同著者の見立てだ。

同著者はその一方で、この伝説がそれほどもてはやされ、今なお小説や劇の題材として取り上げられるその原動力はどこにあるのかと問い、そこに両性具有幻想があるのではないかとみる。臨床系の論集に載った論文らしく、そこに21水酸化酵素欠損症の徴候を読み取るというわけなのだけれど、ま、ここはやや強引な展開(笑)。その後に、ガレノスやエフェソスのソラノス以来の、中世の女性生理学の見識についての概略が記されていたりして、それはそれで興味深いのだが……。おお、サレルノのトロトゥーラなどにも触れているな。で、さらに話は両性具有の表象の略史へ。うーん、17世紀末には、フランスと英国に、両性具有者にどちらかの性を生涯にわたって選ばせる法律があったのだとか、なかなか興味深い話が続くが、「あれれ、女性教皇の話はどうなったの?」という感じで、議論の中身はひたすら横滑りしていくというオチか(苦笑)。

18世紀初頭のジャン・ドダルのマルセイユ版タロットから「女教皇」
18世紀初頭のジャン・ドダルのマルセイユ版タロットから「女教皇」

関連: