中世の「情報技術」

経済学関連というか、ちょっと毛色の変わった論考を見てみる。ウルリッヒ・ブルム&レオナード・ダドリー「ラテン語の標準化と中世の経済発展」(Ulrich Blum & Leonard Dudley, Standardized Latin and Medieval Economic Growth, Université de Montréal, 2003)(PDFはこちら)というもの。中世盛期(1000年以後)の一人当たりの収入の伸びについて、従来の学説では(1)ヴァイキングなどの侵略の消失、(2)長距離貿易の拡大(ピレンヌ説)、(3)封建制度の確立(ノース説)などが理由として挙げられているというが、それぞれに瑕疵あるとされる。で、同論文はこれに対して一種の情報技術の変革が寄与したという立場から、当時の経済成長を再考しようとする。なるほど、そうした着眼点はすでに50年代のハロルド・イニス(マクルーハンの師匠だった人物)にあり、イニスはコミュニケーション媒体の変化が中世の経済成長を加速化させたという説を唱えていたが、そこでの媒体というのはカロリンガ風書体だとされ、状況証拠的な議論で検証を欠いていた。で、この論文はもう少し広く、情報技術という観点からそのあたりの議論を捉え直そうとする。つまりこの場合の情報技術とは、書体にのみとどまらず、カロリンガ朝ルネサンスによってもたらされたラテン語の書き言葉・話し言葉の標準化のこととされている。

なるほど、言語の標準化がひいては経済成長をもたらしたというのはなかなか興味深い視点ではあるけれど、これは論証は大変だろうなあと思う。実際、この論考でも、様々な推論を交えながら話は進んでいく。とはいえ、カロリンガ朝のそうした整備がどう伝播していったかという問題を考えているところは興味深い。たとえば書き言葉の整備は、修道院を通じて広がっていったとされる。一方で、ベネディクト会などは農業における新技術(馬の頸帯、プラウ、三圃式農法)を文書で盛んに伝えていたというし、シトー会は水車などの工業技術の伝播に一役買っているという。また、言語が標準化されたことにより、世俗においても契約を結ぶことがより効率良くなされるようになる(北イタリアなど)。貴族階級に読み書きが普及すると、統治者の権力そのものに文書による制約を設けることも可能になる……云々。このあたり、印象としてはやはり状況証拠にもとづく推論の域を出ない気もするのだけれど、同論考はその後、経済学系の論考っぽくいきなり情報コストの話に移る。情報の貯蔵コストが高いうちは中央集権的な制度に有利だが、コストが低減されてくると、他の地域との比較なども容易になり、ベストな手続きを選択する余地が出てきて、より分散化した制度が有利になってくる……政治権力もいっそうの分散化を促されるのではないか、という。で、論文は最後に一人当たりの収入の伸びを、概算的に都市の人口増加を指標として、上の情報コストの話との絡みでモデル化してみせている。うーん、このモデルの是非は門外漢なので不明(苦笑)。なにやらイニスの仮説が改めて検証されているようでもあり、このモデルの提示こそがこの論文のミソではあるのだろうけれど、こうした議論を歴史的事実に即して実証する方法というのはほかに何かないのかしら、という気がしなくもない……。