ビザンツ期の錬金術

霊魂可滅論は原子論との繋がりが深く、両者が中世盛期に再浮上する背景の一つに、分解と再結合を謳う錬金術の隆盛があったのはほぼ間違いないと思われるのだけれど、可滅論・原子論・錬金術の中世盛期以前の流れがどんなものだったのかはあまりよく見えてこないなあ……と思っているさなか、ビザンツ時代の錬金術について取り上げた論考を目にした。文献学的なアプローチで迫る、ミシェル・メルタン「ビザンツのギリシア・エジプト系錬金術」(Michèle Mertens, Graeco-Egyptian Alchemy in Byzantium, The Occult Sciences in Byzantium, ed. Paul Magdalino & Maria Mavroudi, La Pomme d’or, 2006)というもの。紀元後前後にギリシア・ローマ時代のエジプトで誕生したとされる錬金術が、ビザンツ時代(5世紀以降)にどう伝わっていて、どのように営まれ、どう変遷してきたかといった問題を、文献学的な見地から検討した一編。前半はビザンツ期の三種の写本(錬金術集成)を紹介している。キーとなるのが、錬金術を高めたとされるパノポリスのゾシモス(3世紀)にまつわるテキストの数々。主著『真正なる覚え書き』のほか、短いテキストや断片などが三種の写本に様々におさめられているようだ。

でも同論考が面白いのは後半。そちらではゾシモスの後世への影響について検討している。ゾシモスは当然ながら後世の錬金術師らの参照元として盛んに読まれたらしい。オリュンピオドロス(6世紀)やステファノス(7世紀)ほかが注解書を残している。さらに11世紀ごろまで、一部のゾシモスの著作は入手可能だったことが示唆されるのだという。ゾシモスの著書はまた、厳密な錬金術師らの集団以外でも文化的な影響を与えていたようだ。9世紀の聖職者フォティオス、歴史家ゲルギオス・シュンケロスなどに引用があるといい、錬金術集成は7世紀から11世紀のビザンツ内において、ある程度流通していた可能性が高いという。論文著者によれば、そうした錬金術文献は、ほかの数多くの文献集成を促した、9世紀から10世紀にかけてのより広範な百科全書的な関心の高まりに関係しているという。ほかにも、プロクロスによるプラトンの『国家』注解や、ガザのアエネアスによる『テオフラストス』、ヨアンネス・マララス(6世紀)の『年代記』など、錬金術に言及した錬金術以外の文献もいろいろあるようだ。

同論文を含むおおもとの書籍(残念ながら品切れ中のよう):
The Occult Sciences in Byzantium

The Occult Sciences in Byzantium

錬金術の歴史についての参考文献:
The Secrets of Alchemy (Synthesis)

The Secrets of Alchemy (Synthesis)