先日のメルマガで、13世紀初頭の神学者ジョン・ブランドの霊魂論についてのコメントとして、ブランドの意志論は「理性=善」に向かう傾向が顕著で、制約を排した後世のデカルトの意志論などとはだいぶ違う、みたいなことを少々乱暴に記してしまったのだけれど、デカルトの意志論もそれなりに多義的だということを、次の論文を読んで改めて思い知る……。オリヴィエ・ブールノワ「中立的自由の抑圧と、近代的形而上学の反スコトゥス主義的論争」(Olivier Boulnois, Le refoulement de la liberté d’indifference et les polémiques anti-scotistes de la métaphysique moderne)というもので、少し前に取り上げた『レ・ゼチュード・フィロゾフィック』のスコトゥス主義特集の続きにあたる巻(Etudes philosophiques 2002 no.2 Duns Scot au dix septième siècle, puf)に収録されている。
そもそも、意志があからじめ決定されているか、それとも中立的に自由であるかという議論は、トマス対スコトゥス、さらには後のトマス主義対スコトゥス主義(17世紀)の対立に引き継がれていくものでもあった。両者の論争の発端は、14世紀にトマス・ブラッドワーディンが「神は、人間の意志が自由な行動を生み出せるようそれを強いる」というテーゼを打ち出した(反ペラギウス主義的な議論の文脈で)ことにあるという。けれども、そこで再燃した論争はトマス&スコトゥス本来の論争とはズレていて、主知主義か主意主義かという枠ではなく、意志は神による恩寵に導かれる(決定づけられる)のか、それとも中立的な自由を内包しているのかという議論にシフトしてしまっている。イエズス会、とりわけモリナ主義は、神による人間への協力が人間の意志の本来的な中立性を損なうことはないとして、中立的自由を重んじる。対するトマス主義者たちはというと、たとえば代表的なところとしてギヨーム・ジブーフ(デカルトの友人だ)が挙げられているが、自由というのは幅(amplitude)として定義されるとし、中立的自由などというのは偽の議論であるとして、意志が神(=善)による決定に従属しているとの立場を前面に押し出す。ジャンセニズム(の始祖ヤンセン)ともなると、ジブーフをさらに急進的に捉え先鋭化する……。
こうした背景のもとでデカルトが論じられる。1630年ごろのデカルトはジブーフの自由の理論に賛同していたといい(メルセンヌに書簡でそう告げているのだとか)、後の『省察』でも、自由とは外部からの決定づけがないことを言うが、だからといって至高の存在である神、あるいは真や善といったものの明白な理解(それは至高の内的な傾向だとされる)によって決定づけられないわけではない、としている。ところが1645年頃のメラン宛の書簡では、むしろ意志の中立的自由のほうを重んじたような記述があるという。また1644年の『哲学原理』では、原因の必然性(神が収める世界の)と人間の自由の感情とをどう折り合いをつけるかというアポリアで身動きがとれないかのようだ。デカルトの後継者たちの立場も、そのあたりの曖昧さへの反応から、たとえばジャンセニズムやカルヴァン派のデカルト主義者たちは決定論に傾き、アルミニウス派やジャンセニズム以外のカトリック系デカルト主義者たちは中立論を重んじと、各者各様に異なっていく……。この錯綜感はなにやらとても刺激的だ(笑)。