偽デモクリトスと「硫黄水」

Scritti alchemici e magici. Ediz. critica del testo greco明けて2015年。昨年は個人的に懐疑論や数学史にはまった感じだったけど、今年もそのあたりを含めて思想史世界を巡って行けたらと思う。とはいえ、年明けの一つめはそのどちらにも関係しない「錬金術もの」で(笑)。年越し本の一つなのだけれど、先月から眺めているのが、マッテオ・マルテッリの校注・訳になる『偽デモクリトス:錬金術書およびシュネシオスの注解』(Matteo Martelli, Pseudo-Democrito, Scritti alchemici, Con il commentario di Sinesio, Archè, 2011)。希語部分は一通り目を通し、冒頭の解説序文を見ているところなのだけれど、これはもっぱら文献学的な議論。けれどもそれはそれで面白く、たとえば執筆年代の特定の話では、本文中の錬金術レシピに出てくるκλαυδιανόν(ある種の銅の合板を言うらしい)という素材の名称が、クラウディウス帝(在位41年〜54年)にちなんだもの(出典はプリニウス)、もしくは続くネロ帝の時代にエジプト北西部で始まった大規模な鉱山開発に絡んで、クラウディアヌス山と呼ばれた重要な鉱山があり、それにちなんだものだとされ、それらを根拠として、偽デモクリトスの著作が一世紀より以前ではないことが証される、とされている。

本文(『自然と神秘』『銀の製造』『モーゼのキミカ抜粋』『漂白について』、および『デモクリトス書への註解(ディオスコロスについて)』)はいずれも断片で伝わっているもので、錬金術のレシピが主なのだけれど、中味は正直なところあまりよくわからない(苦笑)。ただ、個人的には、各節の末尾などに呪文のように繰り返される、「自然は自然に喜ぶ(ἠ φύσις τῇ φύσει τέρπεται)」「自然は自然に打ち勝つ(ἠ φύσις τὴν φύσιν νικᾷ)」「自然は自然を征服する(ἡ φύσις τὴν φύσιν κρατεῖ)」などの文がなにやら興味をそそる。全体として、自然の中にある種の潜在力があることが示されている。また、とりわけ最後の注解書(シュネシオスによる)に顕著なのだけれど、錬金術が単なる技術論にとどまらず、魂の治癒(苦しみからの解放)のための修行とも重ね合わせられ、認識を鋭くせよと説かれている点も見逃せない。初期(?)錬金術のテーマ的な広がりの一端を見る思いがする。

さらにその世界観においては、液体上になった金属(水銀など)が物体の潜在的な流動性を体現するものとして重視されている。これに関連して、たびたび言及される素材に「硫黄水」(θεῖον ὕδωρ)もしくは「神的な水」(θείου ὕδωρ)とされるものがある。金や銀の変成において重要な触媒(?)をなすものらしいのだけれど、例によってなにやらよくわからない。で、これについて同書の著書マルテッリ自身による英語の論考が公開されている。「偽デモクリトスの錬金術書における「神的な水」」(Matteo Martelli, “Divine Water” in the Alchemical Writings of Pseudo-Democritus, Ambix, vol.56, 2009)。言葉そのものからして曖昧なこの用語の、意味論的な確定をめぐって、やはり文献学的アプローチで追っている。が、実際にそれがどういう成分を指すのかは、証拠ベースではなかなか特定しがたいものがあるようだ。ちなみにマルテッリは昨年2014年には次のような新刊(英語版)を出している。