15. これらのことを述べているのはヘブライ人と、ヘルメスの聖なる書のみである。ヘルメスの書には、輝かしい人間とその導き手である神の子、土くれのアダムとその導き手である模倣者、すなわち冒涜すべく、みずからが神の子であると偽りの言葉を言う者について記されている。
16. ギリシア人たちは、土くれのアダムをエピメテウスと呼ぶ。彼はその知性、つまりその兄から、神の贈り物を受け取るなと忠告する。同じように過ちを犯し、考えを変え、幸福な場所を求めたプロメテウスは、あらゆることを解釈し、知的な耳をもつ者たちに対してあらゆる助言を行うのである。だが、肉体の耳しかもたない者たちは、運命によって操られ、それ以外をまったく受け入れず、また認めない。
17. 時宜に適った者たちは、その技術以外のことを語らない。『炉について』という大著を嘲り、次のように語る詩人をも理解できない。「だが、神々は人間に一度に与えることはいっさいなかった」云々。神々は人間の活動を顧みもしないし、見てもいない。なぜなら人間たちは、一つの技術に様々なかたちで精通し、一つの技術を様々なかたちで実行するからだ。その性向や星の配置などによってである。それらによって一つの技術が多様化され、ある者は競合する技術者、ある者は単なる技術者、またある者はさらに下の、進歩のない悪しき技術者となる。
– 仏訳の注によると、16節の二つめの文の主語はプロメテウスと取っているが、歴史的に異論もあったらしい。ここでは素直に仏訳の考え方に従っておく。
– 17節の最初の部分は、染色に成功した人々のこと、とされている。