フッサールと数学

数学の現象学: 数学的直観を扱うために生まれたフッサール現象学鈴木俊洋『数学の現象学: 数学的直観を扱うために生まれたフッサール現象学』(法政大学出版局、2013)を読み始める。なにげに読み出し、まだ冒頭部分(第二部の途中)だけなのだけれど、これは滅法面白い。実に読ませる。フッサールはもとは数学者だったことが知られているけれど、その現象学の成立において、数学の知見がどれほどの重要な背景をなしていたかという話を、詳細に跡づけようとする研究(と見た)。フッサールは師匠のヴァイアーシュトラスの影響を強く受けていて、数とは何かという基本問題に関して、自然数は具体的事物の集合から「抽象」によって得られたもので、それが解析学の基礎をなし、基数(集合の要素の個数)をなしているというきわめて古典的なテーゼを、カントールやデーデキントなどとともに受け継いでいるという。これに対してフレーゲなどは(カントールを批判して)、抽象を用いず、集合の「同値関係」による基数の定義(ある集合の要素が、別の集合の要素と一対一をなす場合を同値関係といい、その集合にある特定の数を帰属させることで、基数を定義づける)を示してみせた。(初期の『算術の哲学』のころの)フッサールから見たこの違いは、カントールの側においては、抽象は数学的定義としてはあいまいなもので、それは数学内部で定義できるようなものではなく、外部、すなわち哲学へと開かれなければならない問題だ、という基本スタンスがあるのに対して、フレーゲのほうは数概念を定義して論理学に還元し、いわば数学内部で処理しようとするものだとされる。けれどもこの後者は、具体的にそこにある集合それ自体を問題にしていない(別の集合との相対的な関係からしか具体的な集合を扱わない)点で、現実の数の言表の意味ではないのではないか、とフッサールは考える。

なるほど、数学の内部だけで閉じるのか(数概念の定義にとどまるのか)、それとも哲学という数学の外部へと踏み出していくのか(数概念の起源へと踏み出すのか)で、両者のスタンスは大きく異なっていくというわけなのだけれど、フッサールはその外部的な考察を心理主義(数学者の意識にとって数はどのように把握されるのか)でもってアプローチするがゆえに、小さな数からより大きな数領域へと拡張する途を歩もうとして、やがて大きな壁に突き当たる。心理主義が課す壁、つまり無限数など、心理的な起源をたどれない表象(非本来的表象)と、心理的な起源をもつ表象(本来的表象)との間の壁だ。前者を後者に包摂できなければ、自然数を超えた実数の構成がうまく吸収できない……。フッサール危うし、というわけだ。そこで彼はどうしたのか……(←イマココ)。