語りの階層

Memorabilia. Oeconomicus. Symposium. Apology (Loeb Classical Library)このところ、連休から翌週末は野暮用で田舎へと、なにやら小忙しく動いていた。そろそろ落ち着いて見たり読んだりしたいところ。ま、それはもうちょい先かもという感じだが……。それはともかく、前にもちょっと触れたように思うけれど、このところクセノフォン『家政学(オイコノミコス)』をぼちぼちと読んでいる(Loeb版:Memorabilia. Oeconomicus. Symposium. Apology (Loeb Classical Library))。家というかむしろ地所の管理をどうするのがよいのかという問題をめぐるソクラテスの対話篇だ。まだ三分の一程度のところだけれど、農業礼讃といった趣があってなかなか興味深いテキストだ。語られる対話が入れ子的に階層をなしているのも興味深い。プラトンの対話篇でも気になったことがあるが、ここでは3つの層ができている。まず、本来のソクラテスとクリストボロスとの対話がある。これが地になって(その対話の中で)、今度はソクラテスが、自身とイスコマコスとの対話を語り出す。すると今度はその中で、イスコマコスが妻との対話を回想するシーンが語られていく。うーむ、ここでは4層めはさすがになさそうだが、語りの階層としてありえなくはないかなという気もしなくない。何か、そういう4層めにまで入る事例はあるだろうか、というあたりがちょっと気になっている。