時間の空間表象の問題……

Principes De Linguistique Theorique (Lecons De Linguistique De Gustave Guillaume)少し前に言及した、独特な観点をもっていたという言語学者ギュスターヴ・ギヨーム。その未刊行文書集(当時)こと、『理論言語学の諸原理』(Gustave Guillaume, Principes de linguistique théorique (Lecons de linguistique de Gustave Guillaume), (dir.) Roch Valin, Klincksieck, Paris, 1973)が届いていたので、さっそく目を通し始める。基本的には講義録のようで、1938年から60年までソルボンヌの高等研究実習院での講義を集め、それらを体系的に組み替えて並べてみたという一冊。読み進めながら気になるところなどあれば、メモしていきたいが、とりあえず冒頭の1952年から53年度の開講講義を読んでみた。そこでは、ギヨームがみずからの研究を振り返り、ごく簡単なまとめを示している。なるほど、自身の初期の研究が冠詞論で、ラングからスピーチアクトへの「現働化」(これがアリストテレス的と言われるところ)の問題を問うことになったのはその文脈においてだったことが示されている。

けれども個人的にもっと惹かれたのは、その後に取り組むことになったとされている動詞の時制の問題。そこではなんと、時間の空間的表象の問題を取り上げているのだという。これはちょっと見るからに面白そうだ。たしかに時間を図形的(直線も含めて)に扱うというのは古くからあるけれど、なぜそういう表象になっているのかはよく解せない。中世後期の論者たちなどは、これまたアリストテレスに準じて、直線上の点の無限分割を、時間軸における瞬間の無限分割に重ねるのが一般的だが(メルマガで見ているビュリダンなどもやっている)、その一種の図形指向そのものが問われることはなかったように思われる。読んでみないことにはなんとも言えないが、そのあたりに関するギヨームの言語学的議論がどのような広がりを見せているのか、とても気になるところ。