ずいぶん前だけれど、以前とある翻訳作業の参考文献として購入した古原宏伸『画論 (中国古典新書)』(明徳出版社、1973)を、改めて引っ張り出して眺めている。書画に関する古人の論を集めたアンソロジーだ。先に古典のアンソロジーは愉しいという話をしたが、これなどもとても面白い。個人的には漢籍の素養というのはあまりないのだけれど、少しこういうアンソロジーでもって慣れていくのもいいかなと思っている。同書には様々な書籍のほんのさわりの部分が収められていて、それぞれは本文、読み下し文、訳、解説から構成されている(昔の漢文のテキストブックのようだ)。たとえば総論として巻頭を飾っているのは、張彦遠(9世紀の画家)の『歴代名画記』からの一節。そこでは、画と書が根源においては一体で分かれていなかったとされている。個人的に興味深いのは、石濤(17世紀後半に活躍した画家)による『画語録』からの「一画の章第一」。画法の基本は一画、つまり一本の筆線であるとする議論。それは存在の根本、形の根源であるとされる。こういうのを読むと、いろいろな形象の記憶が脳裏に浮かんでくる。たとえば児童が絵を描くときに最初に書き入れるという大地を表す根源の分割線とか、洞窟絵画で自然の線描を利用・延長して形象を書き入れていくときの律動のようなものとか……。一画は宇宙の果てまでもおさめてしまうとも言い、一画に始まって一画に終わらないものはない、とされる。うーむ、この概念の広がり、途方もなさ。また気韻論というのも興味深い。画面に漂う生命感・躍動感などのことを言うようなのだが、郭若虚(11世紀)の『図面見聞志』の一節からは、気韻が画面にゆきわたっていなければ、ただの職人仕事でしかなく、画とはいっても画ではないとされていて、職人仕事と芸術としての画がすでにして分かたれていること、それを分かつキーとなるのがその気韻の概念なのだということが示されている。