プロクロスの『クラテュロス註解』からメモ。第85節には、語源分析を行おうとする人の心得が列挙されている。それをさらにまとめるとこんな感じ。そういう人が知っておくべき・修得しておくべきなのは、(1) 方言による違い、(2) 詩人別の用法、(3) 名前が単一か組み合わせかの区別、(4) 名前の適切な説明づけ、(5) 用法における違い、(6) 発話が被る変化(短縮、省略、反復、音節の癒合など)、(7) 個別の文字、(8) 両義性、同音異義語など。これらいずれかの知識を欠いていると、誤った解釈に陥るとされる。総じて批判的な判断ができなくてはならないとされ、その後には名前の実例がいくつか挙げられたりもしている。プラトンは「アガメムノン」が「ἄγαν(過度に)」からではなく「 ἀγαστὸν(称賛すべき)」から派生していると述べていたりするが(395a8)、文法家たちは質料(ここでは素材としての言葉を意味していると思われる)面に拘り形相(それが表すものの存在)を見ないがゆえに、逆の解釈を示してしまう、とプロクロスはコメントする(第91節)。
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余談ながら、第96節に「ἄνθος τοῦ νοῦ(知性の花)」という表現が出てくる。伊語訳注によれば、これはもとは『カルデア神託』からのもので、崇高なる知性、神の領域に触れるほどに高まった知性の状態を言うのだそうだ。この本文の箇所では、「知性の花」のみが、その言葉が示唆する、言い得ず知りえない神的な実体に触れることができるのであって、ソクラテスが分析する神の名は、あくまでその像にすぎないことが語られている。また、この底本冒頭の解説によれば、この表現はもっと先の第113節にも登場し、人間には「知性の花」を介して、また人間の本質のより真正な部分を通じて、神的な現実に接する可能性があるとされてもいるのだという。プロクロスは『クラテュロス』の神名の分析に、そうした内奥に向かうとっかかりのようなものを見いだしていることが改めてわかる。