数と現実

現代思想2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018空き時間を利用して、現代思想2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018』(青土社、2017)を一通り眺めてみた。ハーマンやガブリエルなどの新しい実在論はそれぞれの著書の一部分のまとめなので、とりたてて新しい感じはしないが、オブジェクト指向存在論を詩作に結びつけた文芸潮流(オブジェクト指向詩)があるという話(ゴルィンコ=ヴォルフソン)などは少し面白い。また、急進左派系の加速主義(スルニチェク&ウィリアムズ)というのにも、ある意味とんがったトピックとして眼を惹くものもある。けれども、いずれにせよどこか脱人間的なコンテキストを強く匂わせていて、なにやら一種の逃避感(?)のようなものが浮かび上がってくるのは気のせいだろうか、と思ったりもする。

個人的にとくに面白かったのは、数学に絡んだ二つの論考。一つは中沢新一「レンマ的算術の基礎」。映画『メッセージ』の原作『あなたの人生の物語』をもとに、全体思考を一挙に行うという非線形的・非因果律的を人間から「取り出す」ことは可能かと問い(それを著者はレンマ的知性と称している)、また厳密な学は算術で基礎付けられなくてはならないとして、レンマ的算術なるものを考察している。けれども(やはりというべきか)ここからは仏教思想に範を取った話になっていき、直観的認識でしか捉えられないようなもの、虚数であったり、実無限であったりするものが引き合いに出されて、通常の論理的思考とは別様の数学が示唆される。その数学的構造というのは、超実数(hyperreal number)の構造にほかならない……と。数というのは「生成される一つ一つがすぐ前のものから定義されていくという、正の整数の無限列の逐次的な創造」とされるものの、通常はいったん生成した数が前の数との関係を失ってしまう。それに対して「縁起的思考による数論」では、生成された数は他の数とのつながり(縁(!)によるつながりとされる)を絶たないとされる。そうした数の計算(行列としての計算となる)、とくに積の問題から、交換法則が成り立たない空間が導かれるとされる。仏教思想との絡みはともかく、数論的な部分自体はとても興味を惹く。個人的にももう少しちゃんと押さえておきたいところだ。

一方、ルーベン・ハーシュ「書評 アラン・バディウ『数と数たち』」は、バディウが超現実数(こちらはsuperreal number)(こちらにその導入的な記述があってわかりやすい)からインスパイアされ、それを形而上学的な水準にまで、つまりは存在論の基礎にまで上昇させた点を問題として取り上げている。もともと構成的・ボトムアップ的に実数などを得るための操作的概念だった超現実数は、バディウにおいては多様性(それが存在の実例だという)をもたらす大元の基盤と見なされ、超現実数と順序数によって多様性が記述しつくされるという主張にまでいたるというのだ。著者ハーシュはこれに、順序数の構成を強制するものがないこと、さらに数体系はいかなるものであれ、存在やリアリティをモデル化したり記述したりするには不十分だということを反論としてあげている。リアリティ(現実)を整列集合に一次元的に還元することは単純化しすぎだというわけで、著者は現実の状況というのは多次元的、さらには無次元的でさえあると指摘している。上で述べた、個人的に感じるどこかしら逃避感のようなものとは、もしかするとそうした一種過剰な還元と、それによってかえって現実から位相的な遠ざってしまうことについて覚えるものなのかもしれない。