ダンテ像、破壊と創造

新しいダンテ像


 原基晶『ダンテ論——『神曲』と「個人」の出現』(青土社、2021)を読んでみました。既成のダンテ像を打ち崩す、なんとも痛快な論考です。

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 ダンテの出自、当時の政治状況、作中のダンテやベアトリーチェの位置づけ、ダンテとその諸作品の歴史的評価の移り変わり、日本での受容、『新生』『神曲』『帝政論』のそれぞれの再解釈など、内容は網羅的です。取り上げるテーマ1つ1つで、従来の解釈が退けられ、新しい視点が盛り込まれており、またそれをどこか醒めたような筆致が支えている、という感じです。

 個人的には、やはり『帝政論』がらみの部分が一番面白く感じられました。全体的に、ダンテの執筆当時の社会的変化についての、著者の鋭い感性が底流になっている印象です。作品解釈の軸に予型論をもち出してくる、大御所アウエルバッハすらも俎上に乗っているのにはびっくりしました。著者によれば、そうではなく、封建制社会から商業活動中心の都市社会への時代的変化こそが、解釈の軸になるはずだ、というのですね。なかなか見事です。

 ダンテとは直接関係はないのですが、最近文庫化された幻視SF、オラフ・ステープルドン『スター・メイカー』(浜口稔訳、ちくま文庫、2021)をちょうど読んでいるところで、なにやらこれが、ダンテの『新曲』と通底するような気もしていました。「ノリが似てる?」みたいな。『新曲』がなにがしかの作品のモデルのようになっているような部分も、当然あるのかもしれませんね。

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ディドロの「一般意志」

一般意志も解釈様々


 未読本から、今度は岩波『思想』2013年12月号(特集;ディドロ生誕300年)を見ているところです。

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 ルソーもそうですが、ディドロの著作もまた、個人的にはどちらかというと純粋に文学として見てしまうことが多く、思想家としての側面からのアプローチはこれまであまり真剣に考えてみたことがありませんでした。なので逆に、政治思想の観点から見据えるというのが、とても興味深く感じられます(いまさらかよ、とは言いっこなしで(苦笑))。

 で、同書。冒頭の座談会(「今、ディドロを読むために」)も刺激に満ちていますが、それにつづく王寺賢太「一般意志の彼方へ——「諸意志の協調」とディドロ晩年の政治的思考」が個人的にはグッときました。ルソー的な一般意志とは異なる一般意志概念を、ディドロは打ち出しているという話です。ディドロの一般意志は、ルソーのように個人が自分の権利を譲渡した総体的な意志に従属するというような安定化の契機ではなく、君主に対して団結・抵抗・蜂起するために突きつけるものだとされるのですね。

 少々乱暴にまとめるなら、選挙を通じて制度に与するような一般意志(ルソー的)と、君主に対する対抗力とするための、異議申し立てをなすような一般意志(ディドロ的)があるということです。後者があればこそ、君主制が専制に堕落することを防ぐことができるのだ、というわけですね。こうした異議申し立ての一般意志という発想だけでも、ディドロを改めてちゃんと読んでみたいと思わせるに十分です。