ライティング本とか

『まったく新しいアカデミック・ライティングの教科書』(阿部幸大、光文社、2024)という本が売れているらしいと聞いて、kindle版を見てみました。なるほど、これは実用性の高い内容で、懇切丁寧に論文作成術の作法を解説した良書ですね。これまでのハウツー本にはなかった、実利的な方法論(アーギュメントの作り方とか、パラグラフの扱いとか)が斬新です。ひたすら基本の型を教えようとしているのが、好印象です。
https://amzn.to/4gXhfgO

余談ですが、かつて鷲見洋一『翻訳仏文法』(上下巻)が出たとき、某大学の先生がそれを褒めつつも、やっかみもあったのでしょう、「ま、こういうのは誰もが身につけているものなんだけどね」みたいに仰っていたことがありました(笑)。同じように、このライティング教科書についても、人文系の大学の先生とかが、やっかみでいろいろ言ってそうな気がします(ホントか?)。ま、それはともかく。

一つ気になったのは、そのライティング本が指南する書き方が、あまりに英米系のジャーナルっぽい点でしょうか。昔は東京の日仏学院(現在のアンスティチュ・フランセ)の通信講座で、上級向けにディセルタシオンの書き方を取り上げたものがありましたが、それとはずいぶん異なっています(全体の構成の仕方などなど)。もちろん、昨今のアカデミックな環境では、英米系の論文作法が重視されているようですし、フランスあたりもそれなりに変わってきてるのかも、とは思います。でも個人的には、論文一つとってみても、文化的な違いで基本的なアプローチも変わってくるものなのだなと、改めて思ってしまいました。

と、そんな中、まさにそうした「書き方の違い」問題の核心に触れた論考が、kindle unlimitedに入っているのを知りました。『「論理的思考」の社会的構築』(渡邉雅子、岩波書店、2021)です。
https://amzn.to/4jdhdmx

フランスのバカロレア(大学入学資格試験)の論文記述(ディセルタシオン)問題の書き方が、英米のもの、あるいは日本のものとどう違うかを考察しているほか、そこにいたる幼少からの国語教育の内実と、論理的思考の練り上げ方、さらには歴史教育でのその応用について、総合的にまとめた重厚な論考です。これも良書ですね。

さらにイランの例を加えて四つの文化圏での比較を行っている同著者の姉妹編『「論理的思考」の文化的基盤』(岩波書店、2023)も、kindle unlimited入りしています(岩波さん、太っ腹!)。論理的とされる思考法とは、文化的・社会的に限定された受け手が、自然であると感じることができる話の進め方であり、きわめて相対的・社会構築的なものだということが、同著者の一貫した主張・スタンスになっています。

年越し本など

2025年になりました。このブログはいまや牛歩のような歩みですが(苦笑)、今年もよろしくお願いいたします。

……というわけで、本題です。今年の年越し本(読みかけで年をまたいだもの)も色々ありまして、昨年からちびちび読んでいる『百年の孤独』のほか、Loeb版ですが、エピクテトスの『語録』も昨秋から少しずつ眺めています。これ、エピクテトスが語ったことをアリアノスが書き留めたとされる4巻本です。まだ1巻めの末尾あたりをウロウロしています。Loebでも2分冊で、まだ上巻の半分くらいのところですね。
https://amzn.to/4h2Nnz5

基本的にストア派の要人だけに、世間的・表面的な事象に喝を入れ、常識的とされる文言をどこかで転覆させようとしているようで、ことのほか日々をぼんやりとやり過ごしている身には、ビシビシと響いてきます(笑)。これもしばらく精読の予定。

さらに年越し本として、ナオミ・オルダーマンの『パワー』(安原和見訳、河出書房新社、2023)を読了しました。『うる星やつら』のラムちゃんじゃないですが、女性たちが電撃を放つことができるようになり、男性優位だった世界が一変していくというSFです。
https://amzn.to/4j7qrAO

群像劇として始まり、政治もの、アクションものになっていく展開が、ある意味とても映画チックです。女性たち同士の繋がりが、世界を転覆しうるかという、思考実験的な作品でもありますね。ちょうど読み始めたアンジェラ・サイニー『家父長制の起源 男たちはいかにして支配者になったのか』(道本美穂訳、集英社、2024)の冒頭部分に、同性同士の親密なネットワークが、権力を維持する上でのポイントになるのではないかということが示唆されていましたが、この小説世界に描かれるのも、まさにそういう状況です。
https://amzn.to/402RMeI

あと、『現代思想』1月号(特集:ロスト・セオリー)もそこそこ面白かったです。個人的にとくに興味深かったのは、古代の視覚論、とくに内送理論と剥離像(エイドラ)を扱った論考(佐藤真理絵)と、金星生命論を取り上げた論考(米田翼)。
https://amzn.to/3DJZWBb

前者では、視覚対象物の「イメージ」が、(それがまとう)聖性とか、あるいはアフォーダンス的なものとか、著者言うところの「ロゴスの余白」として、現代的に再解釈される可能性を示唆しています。後者では、「人類との同質性を前提にした」異星人像をもたらしたのはルキアノスの複数性文学で、「諸世界の住人の同質性の前提」はエピクロスに由来するものだ、と指摘されています。その上で、真の異質性を前提とする学問領域が、代替生化学にもとづく地球外生命論として開かれつつあることが示されています。いやー、これはまた楽しみな領域ですね。こちらが生きているうちに、なにかブレークスルーがあるでしょうか。

いずれにしても、エイドラにせよ、複数性世界にせよ、古代の原子論に端を発するパラダイムに改めて想いを馳せ、その現代的な展開に、大いに期待を寄せる、2025年の年明けでした。(書影はGoogle booksから)