久々に先史学系の本を読みました。刊行されて間もないリュドヴィック・スリマック『裸のネアンデルタール人』(野村真衣子訳、柏書房、2025)です。かつてのアンドレ・ルロワ=グーランの本などもそうでしたけど、先史学はわたしたち現人類がいかなる存在なのかを反照的に問うという点で、とても刺激的な営みです。今回のものもまさにそういった一冊ですね。
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著者はネアンデルタール人を専門とする先史学者です。この本は、ネアンデルタール人にまつわる一般的・世俗的な誤解の数々を、こともなげに次々に粉砕していくという、ある意味痛快な本でもあります。ロシアの北極圏近くとかに遺跡があることから、ネアンデルタール人は技術的な発展によって過酷な環境を克服していた種族で、そこが温暖化したことによって滅びたのではという仮設があるそうなのですが、著者は太古においてシベリアがすでにして温暖だったことを指摘したり、そもそも人間も含む動物の気候への適応力をナメてはいけないと論じたりしています。技術的な発展にしても、たいした武器の痕跡が出土しているわけではない(ネアンデルタール人みずからが貝殻などに開けた穴すらない <- あるのはカニが開けた穴だけ)と、けんもほろろです。
文化的な指標として死者の埋葬の習慣などが挙げられることもあるわけですが、これも実は様々な動物に広く見られるもので、必ずしも「人間」を区別する指標にはならないといいます。総じて著者は、生物学的な現実を考慮することなしに、現生人類が先史時代に、自分たちの世界観・人間観を安直に投影していることが多々あると批判します(そのことは、洞窟絵画展などで、先史時代の住人を復元したとする像を見たときの違和感に十分に感じられますね)。ネアンデルタール人は、とてもゆるい社会性・社会構造を有していたことが、ごく限られた出土品からは推測されるのですね。
著者はネアンデルタール人が滅びた原因についても、気候変動とかではなく、現生人類(サピエンス)の登場と年代がわずかながら重なることから、後者が「征服者」となった可能性を示唆しています。レヴィ=ストロースの親族構造の研究を引き合いに、2つの集団が友好関係を結ぶ場合、夫方居住と、双方の姉妹を相互に交換するというかたちが一般的だというのですが、ネアンデルタールに夫方居住は遺伝学的に示唆されるものの、サピエンスとの関係性では、古遺伝学から非相互性しか示唆されない、というのですね。これがもしかすると、征服を示唆しているかも、と。スペインがインカ帝国を滅ぼしたように、圧倒的な武力の差をもって……。
結局、ネアンデルタール人が現生人類と同じように世界との関わり方を発達させたという「客観的・論理的・合理的な理由は一つもない」と著者は述べ、「そのような思考の無意識の構造が、私たちの社会で無意識の創造論的な見方が相変わらず存続する原因になっている」と指摘します。生物はどれも人間が到達した地点に向かっている……そんな見方は打ち捨ててしまえ、というわけですね。なんとも耳の痛い、至言です。