山本圭『嫉妬論:民主社会に渦巻く情念を解剖する』(光文社新書、2024)をKindleで読んでみました。最初、予想とは違って、名のしれた哲学者たちによる嫉妬についての言及を、哲学史よろしく並べてみせる展開が続き、個人的にはちょっとつまらなく思いました。でも、徐々に民主主義などを考える話になっていって、途中からちょっとおもしろくなっていきましたね。
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興味深い指摘として、普通上位の他者に向けられることが多い嫉妬心が、下から迫ってくる他者に向けられる場合の「下方嫉妬」があるという話がありました。たとえばアリストテレスやヒュームなどがこれを論じているのだとか。で同書は、そのアリストテレスやヒュームの論にそって、基本的に嫉妬というのは、距離感が大きすぎない場合に生じるものだということをベースに、格差の減少を目論むような社会的理想論は、むしろこの嫉妬を増大させる方向に行くのではないか、との継承を鳴らして行きます。イスラエルのキブツのような共同体などが例として示されています。
コミュニズムでも、より近年の共同体論でも、そういう情念の問題が完全に見落とされている、といいます。なるほど、これはそうかもしれないと思いますね。欧州や米国の白人労働者の政治的選好についても、同書の著者はこれで説明づけができるとしています。リベラル派が説得出来ないのは、理性にしか訴えようとせず、承認欲求などの情動的次元(フランシス・フクヤマが言っていたという「気概」)を無視しているからだ、と。
でも、ではそうした嫉妬とどう折り合いをつければよいのかという段になると、小著のせいか同書は「倫理的な態度の滋養」とか、少し腰砕け感が出て来ます。ただ、三木清が「物を作れ」と推奨していたという話はちょっと興味深いです。ものを作ることで自己を作れ、そうして得られた個性は、それだけ嫉妬的でなくなる、というのですね。ふむふむ、ここでもまた、共同体論的な推奨よりも、前に出てきた庭師的な活動こそが重要かもしれないと思わせてくれます。