「懐疑論の系譜」カテゴリーアーカイブ

ティモン

メモ。久々に懐疑論についての書籍に目を通し始めたところ。ステファン・マルシャン『懐疑派』(Stéphane Marchand, Le Scepticisme: Vivre Sans Opinions (Bibliotheque Des Philosophies), Vrin, 2018)がそれ。古代ギリシア時代の「懐疑派」(後世の懐疑主義とは別ものとしての)4派を改めて検討するという内容で、おおもととされるピュロン主義、新アカデメイア派、新ピュロン主義(エネシデムス)、セクストス・エンペイリコスが取り上げられる。まだ序章と一章めしか目を通せていないので、気になる3つめの新ピュロン主義あたりは後にとっておく。とりあえず個人的に惹きつけられるのは、ピュロンの弟子ティモンについて。

「ピュロン自身はピュロン主義ではまったくなかった」とは従来から言われてきたことだが、ではどのようにして「ピュロン主義」が後付け的に練り上げられたのか、それはどういうものとして成立したのか、といった問題が興味深い。同書の著者によると、ピュロンをある意味神話化したのはティモンだったといい、ピュロンが述べていた感覚の可謬性や価値の非決定性をさらに推し進めて、対象世界それ自体が定義不可能、認識論的に同定不可能であるとまで主張するようになったのだという。ティモンにおいては、感覚的な不確かさは存在論的に捉え返されることにもなり、ひいては認識形而上学的な議論にまでいたった、と。ピュロンにおいては他家の理論を批判する態度だったものが、ティモンを通じて理論そのものになったという次第。ピュロン主義はこの場合、そういうものと定義されることになる。

このティモンについては、ディオゲネス・ラエルティオスの『哲学者列伝』では、ピュロンに比べて記述は大幅に少なく、思想的な記述はほぼ皆無といってよい。セクストス・エンペイリコスあたりが重要になるようだ。またティモンはどちらかというと詩人・劇作家として活躍していたようで、現存する作品も『シロス』(嘲笑詩)などがあり、イタリア語訳の校注版が1989年に出ているようだ。

ガッサンディのアリストテレス主義批判・世界霊魂批判

Pierre Gassendi and the Birth of Early Modern Philosophyこのところ少し中世プロパーなところから離れたアーティクルが続いているが、それは少しばかり、後世からその時代が回顧的にどう見られていたのかを改めて眺めてみたいと思っているため。というわけで、今度はガッサンディについての概説書を見てみることにした。アントニア・ロロルド『ピエール・ガッサンディと初期近代哲学の誕生』というもの(Antonia Lolord, Pierre Gassendi and the Birth of Early Modern Philosophy, Cambridge University Press, 2007)。ガッサンディの生涯から始まって、その思想をテーマごとにまとめてみせている。個人的にはまだ冒頭のあたりをうろうろしているだけだけれど、ポイントがまとまっていて役立ちそうだ。とりあえず、第二章「ガッサンディの哲学的対立者たち」が面白い。ガッサンディがアリストテレス主義、世界霊魂論、デカルト派などをどう批判しているかをまとめている(以下メモ)。

ガッサンディのアリストテレス主義への批判は多岐にわたっているようだが(とはいえ、たとえば中世の個々の神学者を取り上げるようなことはいっさいしていないのだとか)、その中心をなしているのは、きわめて唯名論的な「存在するのは個物の性質のみ」というスタンス。永遠の真理とか本質に関わる命題というものは条件文においてのみ真理をなす(これはスアレス的な論点とされている)とガッサンディはいい、そこから敷衍するかのように、実体的な「範疇」の存在も否定する。質料形相論についても、形相をかたちやパターンと見なす分にはよいとしながら、その「具象化」は避けるべきだとしている。つまり形相が自然界において能動的原理をなしている、という議論は斥けているということ。ガッサンディは、そもそも被造物が発端となる「二次的因果関係」を認めない。また、形相を作用原理だとするのは一部のアリストテレス解釈者の誤りだとして、原典への準拠の不十分さも糾弾しているという。

そんなわけなので、世界霊魂についても同じような論拠にもとづき批判する。ガッサンディが批判の対象とするのは、ロバート・フラッドなどが唱える「非物質的」な世界霊魂論。それとは別筋の、霊魂をたとえば生命の熱として解釈するような物質論的な人々は批判対象にしていないのだとか。デカルト的自然学についても、たとえば物体の本質は延長だという議論が、非物質的な原理を再度持ち込んでしまうという点で、ガッサンディは難色を示していたという。世界霊魂の批判は、オルタナティブな因果論、すなわちガッサンディが唱える原子論を導き入れることを主眼として展開されている、と著者は見る。

アイネシデモス

古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)なにやら現代版政治的ドグマティストらの断行が世間を騒がしているが、こういうときにはいったん気を静めて、この先のための静かな怒りを備給するに限る。ならばスケプティシズムを読むというのも一興かも。……という次第もあって(やや強引だけれども)、最近文庫化されたJ. アナス&J. バーンズ古代懐疑主義入門――判断保留の十の方式 (岩波文庫)(金山弥平訳、岩波書店)を眺めているところ。セクストゥス・エンペイリコスが『ピュロン主義哲学概要』で取り上げていた、判断保留の論拠となる「一〇の方式(トロポス)」を、文献的・認識論的な見地から総合的・批判的に検証しようという一冊。まずは概論(第一章から第三章)として文献的な話が出、そこから一〇の方式を一つずつ各章で詳細に取り上げている。

個人的にはさしあたり第三章などがなかなか面白い。セクストゥスはこの「一〇の方式」をアイネシデモスに帰しているといい(『論駁』第七巻というから、「論理学者に対して」の巻)、また別の資料からもアイネシデモスがその嚆矢であることが確認されるという(ディオゲネス・ラエルティオスやアレクサンドリアのフィロン)。フィロンをもとにしたものらしいヘレンにオス作と称されるアリストテレス『形而上学』注解なんてのもあって、中世に流布したという話。メッセネのアリストクレスによる言及では、アイネシデモスの方式は「九つ」とされているのだとか(エウセビオスの『福音の準備』)。これはエウセビオスの書き写し間違いか、なんて言われているのだとか……。ちょっと面白いのは、アグリッパ(一世紀末ごろの懐疑主義者)が「一〇の方式」を「五つ」に集約するような議論をしていたといい、そこで出てきた比較的新しい議論を、セクストゥスがもとの『一〇の方式」を記する際に取り込んでいる、といったくだり(第四章)。

概括・中世の懐疑論

懐疑論がらみの俯瞰的な論考を見てみた。アルフォンソ・マイエル、ルイザ・ヴァレンテ「中世の懐疑論と批判主義」(Alfonso Maierù e Luisa Valente, Scetticismo e criticismo nel medioevo, in Scetticismo. Una vicenda flosofica, ed. Mario De Caro ed Emidio Spinelli, Carocci, 2007)というもの。概説書の一部をなしているらしく、懐疑論の中世における流れが要領よくまとまっている。前半はアウグスティヌスからゲントのヘンリクスまでの懐疑論の流れ、後半は中世の批判主義と題して、アリストテレス受容に関係した中世盛期の批判主義(語弊のある言い方だが)から、とくにオッカムとオートレクールのニコラを取り上げている。以下ポイントのまとめ。セクストゥス・エンペイリコスの翻訳は13世紀末から14世紀初めになされていたものの、やはり懐疑論の流布にはキケロが重要で、しかもそれはアウグスティヌスやラクタンティウスを通じて受容されていた。懐疑論の方法論的な再評価にとりわけ貢献したのは、12世紀のアベラールとソールズベリーのジョン、さらには13世紀のゲントのヘンリクスなど。それらの著者たちを通じて、アウグスティヌスのアカデメイア派解釈は再解釈されていく。かくして示されることになるのは懐疑論的な姿勢とキリスト教的な知との両立可能性だ。これはその後、近代にいたるまで綿々と受け継がれる。アウグスティヌスにはまた(さらにスコトゥス・エリウゲナにも)、後のデカルト的コギトの先駆的な議論も見られる。ただ、そこでのコギト論は、あくまで魂における三位一体の痕跡を把握することに力点が置かれている。で、この三位一体の問題は、14世紀になって、アリストテレス論理学の枠内での一種の難点としてクローズアップされる。「この本質は父である。またこの本質は子である。したがって子は父である」という弁証法があったとき、キリスト教の教義では前提二つは真であるのに、結論部が偽とされてしまう。こうした事情を受けて、ロバート・ホルコット(14世紀のドメニコ会士)が「自然論理」に代わる「信仰の論理」を打ちだすなど、この後者を包摂する「特殊論理」(logica speciale)ということが言われ始める。スコトゥスから始まる直観認識・抽象認識の区別は、オッカムにおいて神の直接的介入の可能性(そのせいで非在の対象についての直観認識が生じるような場合)が言われるようになると、翻って人間が正しい感覚的・知的認識を得ることができないといった帰結が導かれてしまう。そうした懐疑論に対する批判者として、オートレクールのニコラなどが登場し、直観認識の明証性が改めて擁護される……。全体として同論考は、コンパクトなまとめでありながらアウグスティヌスやオートレクールのニコラについてはかなりの紙幅が割かれ、詳細部分にまである程度踏み込んでいる印象だ。とはいえ概論的・骨子的なものを読むと、やはりさらなる肉付けを、と思ってしまう。個人的には、上の特殊論理についての話や、オートレクールのニコラ以後の懐疑論の扱いなどがとりわけ気にかかる。

知覚と錯覚

今回の日本人人質事件。最初に二人の人質の映像が出たときに、メディアでは直後からその映像が合成かどうかが問われたりして、どこか違和感を覚えずにはいなかった。「信憑性」がどこかではき違えられているような感じというか……。二人が拘束されたという事象的な信憑性と、映像がその確たる証拠をなしているのかどうかという信憑性は、本来は当然ながら別次元として区別されるわけだけれど、事件の報道の中では、どこかそれらが微妙に曖昧に交錯した印象を与えた(気がする)。あれは何だったのか。その後、最悪の結果に終わった事件だが(これもまた「最悪の結果に終わったとされる」と括弧付きにしたい気分にさせられる。相手と没交渉だった政府が、遺体確認すらなされないことを明言したからだが)、そこでの没交渉の姿勢もまた、テロリストとは交渉しないとか、テロには屈しないとかの文言の意味が、本来の戦略的意味からどこか微妙にずれている印象を与えているように思われる。全体としてこの事件においては、テロリスト側から発せられるメッセージも、あるいは政府側が発し相手側が受け取ったであろうメッセージも、どこか始終曖昧で、意味が不明もしくはズレた形で相互に伝わっている(ように見える)。つまりそれは、メッセージの受信や知覚、認識(翻ってその発信についても)の問題を大きく突きつけたということだ。広報戦略とかメディアだけの問題ではない。また個別事例だけで考えればよい問題でもないように思える。きな臭い空気がいや増すなか、知覚や認識を取り巻く環境にも霧(……なんて生やさしいものではないかもしれない)が立ちこめ始めているようで、何やら落ち着かない。


さしあたり、情勢的なものからは離脱した上で、そのあたりの問題を捉え直したいところだ。そもそも単純な知覚の信憑性からして問題は根深い。以前のエントリーで取り上げたダラス・デネリーの論文では、ペトルス・アウレオリの議論(直観的認識を対象の有無ではなく、体験ベースで定義する)を敷衍すると、あらゆるものが疑わしくなり、社会生活そのものが成り立たなくなるとして、オートレクールのニコラは、「存在しているように見えるものは存在するのだ」という肯定的テーゼをあえて掲げてみせた(もちろん人間の誤謬性から、それなりの条件つきではあるけれど)のだった。けれどもそれで問題が片付くわけではもちろんない。

知覚の哲学入門信憑性をめぐるアポリアは現代でもなお生きている。そんなことを改めて感じさせるのが、ウィリアム・フィッシュ『知覚の哲学入門』(山田圭一監訳、勁草書房)だ。同書は分析哲学が突き進んだ認識論的なターンについての教科書で、センス・データ説(これなどはいわば中世のスペキエス(可感的形象)論の焼き直しのようでもあり、また上のアウレオリの体験ベースの認識論の継承のようでもある)を中心に、それに補完・反駁・発展を加える内在論の諸説を整理し、コンパクトに紹介している。副詞説(知覚対象の諸性質を、知覚の様態として捉え直す)、信念獲得説、志向説、選言説(素朴実在論)などなど。一枚岩にはほど遠い、様々な説が出てくる背景には、やはり知覚と錯覚の区別という難しい問題がでんと横たわっているからか。どの説もなんらかの側面では説明原理として有効そうに見えて、別の側面では解消できない問題が浮上してくる。かくして、読み進むほどにどこか迷路に置き去りにされたかのような感覚を覚えたりもする。現状の錯綜具合は、逆に問題のリアルな難しさを表していることうことか。ちなみに上のオートレクールのニコラの論は、「人は外的世界の知識を持ち得ない」というテーゼ(アウレオリなどが行き着く先の)に反対しているという意味で、素朴実在論を擁護する選言説に通じた議論といえそうだ。