存在神学の証明法の変遷(近世)

最近復刊したディーター・ヘンリッヒ『神の存在論的証明−−近世におけるその問題と歴史』(本間謙二ほか訳、法政大学出版局)を読んでいるところ。邦訳の初版は1986年、原著は1960年。とりあえずデカルトからヒュームにいたる存在論的証明の概要をまとめた「カント前史」にあたる第一部を眺めた。うーむ、これはある意味、神の存在証明において何が曖昧なままであったのか、何が不充足のまま残されていたのかについての変遷史、というふうに読むことができる。豊かな枝葉を切り落として、ここでは大きな見取り図だけメモとして取り出しておこう。まず中世においては、アンセルムスのアプリオリな証明(最大の存在である神には必然的に現実の存在がなくてはならないので、ゆえに神は存在する)と、トマスが行った根本原因の遡及による宇宙論的証明がとりわけ代表的とされるわけだけれど、このうちの前者をより精査する形でデカルトは、神の観念が最も完全なものであるというだけでなく(第一の論証)、現実存在がいかに最も完全なものに結びついているのかを論証しなければならないと考えたが(第二の論証:最も完全な存在者には必然的に現存在が含まれている)、それ自体を厳密に展開することはしなかった。これがその後に大きな影響をもたらす。ガッサンディは主として第一の論証のほうを誤謬推理として批判するのだけれど、その際に(デカルトと同様に)第二の論証の必要性を説き、つまりは概念から現実存在への移行が導かれない点を論難したりする。マルブランシュはデカルトを批判的に継承する形で主に第二の論証をいっそう定式化しようとし、神を純粋な現実存在として考えるのだけれど、これはどこか第一の論証へと戻っている感じでもある。スピノザもこの第二の論証から出発しつつ、やはり第一の論証のほうへ舞い戻るというか、完全性と事象性と存在はイコールであることを強調する。

その後に第二の局面が訪れる。マルブランシュやスピノザは第二の論証を重んじ、論証の出発点となる概念(完全性を構成する概念。たとえば「必然的存在者」など)を厳密に考え抜こうとしているが、これはイギリスの新プラトン主義者たち(トマス・モア、カドワース)による必然性概念などの批判的見直しに対応するためだった。そうした厳密化の姿勢をさらに強めるのがライプニッツで、現実存在が推論されるにはその存在者の可能性が証明されなくてはならないとし、ここへきて可能性の議論が前面に出される。その上で、可能にとどまるものよりも現実に存在するもののほうが高い完全性をもつとして、存在に向かう本質の衝動なるものを考える。「自己による存在者」が可能であるとされるなら、それは現実存在に不可避的に移行せざるをえないことになり、これで存在論的証明に反対するすべての人々を論難できることになる。なにしろ「可能性がないことを証明してみろ」と言い放つわけだから……。デカルトの議論の精緻化ここに窮まる、という感じでもあるのだけれど、一方でライプニッツは現実存在の最高の程度とはどんなことなのかを考察していないという。

ヴォルフになるとまた雲行きが変わる。ライプニッツのテーゼである可能性を前提とした上で、ヴォルフは、そこに現実存在が必然的に帰属することを論証すべく事象性という概念を提示する。こうしてどこか宇宙論的論証を持ち出したりして体系化するのだけれども、一方で概念的な厳密さは後退する。その弟子筋となるバウムガルテンは論証の統一性を体系化しようとし、あえて第一の論証を再検討する。その結果、第二の論証が依って立つ必然的なものという概念が、第一の論証をもってしか定義されえないことが明らかになる(!)。こんな感じであたかも円環が閉じるのかに見えるところに、いよいよカントが華々しく登場するというわけで、かくして舞台は一気に整う……のかな?続く第二部はカント。