分析神学、分析宗教哲学?

分析美学も聞き慣れないものだったけれど、さらには分析神学、分析宗教哲学なんてものまであるようだ。マックス・ベイカー=ヒッチ「分析神学と分析宗教哲学:違いは何か」(Max Baker-Hytch, Analytic Theology and Analytic Philosophy of Religion: What’s the difference ? in Journal of Analytic Theology 4, 2016)という論文が公開されている。具体的な学問領域の定義はともかく、少なくとも両者がかなり微妙な境界線をもっていることだけは同論考から窺える。もちろん両者は分析哲学系のアプローチ(とくに可能世界論など)を踏襲したものらしく、同著者によれば、とくに分析宗教哲学は「神、死後の生、宗教的信仰、信条、宗教体験など、宗教的に意味のあるトピック」を扱う分析哲学の支流ということらしい。また、有神論全般を扱うのが分析宗教哲学だとすれば、とくにキリスト教の宗教的伝統に見られる神についての主張にまつわる諸問題を検討するのが分析神学だという。で、同論考は、両者の違いをまさしく分析哲学的な観点から掬い上げようとしているかのようだ。その大きな部分を占めるのが方法論的な違いなのだけれど、問題となっているのは聖書や伝承の扱われ方。聖書の命題を基本前提と見なすかどうかや、聖書の命題が特定の主張のみについての真理論になっているか、聖書が一般的に信頼しうる出典として認められるかどうか、認める場合に、それが認識論的循環論法として認められているのか、それとも非循環論法か(聖書以外の史料などを用いるか)などの分岐でもってケース分けを行い、分析神学と分析宗教哲学の境界線を確定しようとしている……わけなのだけれど、うーむ、やはりこれだけでは今一つピンと来ないか……(当たり前か)。やはりそれぞれの具体的な論考などを見てみないと。というわけで、これもまた個人的に、探求領域の拡大として少し面白そうな予感がする(?)。