【雑記】言語の力

公開中の映画『メッセージ』(原題:Arrival、ドニ・ヴィルヌーヴ監督作品、2016)を観た。主人公が言語学者のSF。言語学者を主人公に据えた作品は『アリスのままで』(グラッツァー&ウェストモアランド監督作品、2014)もあったけれど、そちらはアルツハイマー病の話。これも人の尊厳や人格的同一性についての問題提起の映画ではあったけれど、言語学的・言語哲学的に踏み込んでいくわけではなく、言語学者という設定が生かし切れていたかどうかは微妙なところでもあった。一方、今回の映画は、未知の生命体とのファーストコンタクトを題材に、まさに言語と認識の問題に(もちろんほんの少しだけではあるけれど)立ち入っていこうとしている。エンターテインメントだけれど、それはそれで好感が持てる。仮にそんなファーストコンタクトが現実にあったとしたら、同作に描かれたように、やはり軍が先頭に立って指揮するだろうし、言語学者・記号学者も動員されるだろう。そのあたりは、なるほどそれなりにリアリティがあるかもしれない。音声の区切りすらわからない状況で、最初の意思疎通を図るために、文字を見せる(幾何学図形とかではなしに)というのも秀逸なアイデアだ。もっとも、フィクションの要をなす嘘もあって、劇中で言及されるサピア=ウォーフの仮説は、現実の認識は言語の枠組みによって制約を受ける、というもので、言語がある種の認識能力を導く・開花させるという話ではないと思うのだけれど、映画ではこれが拡大的に解釈されて終盤に重要な役割を果たしていく。言語の力といったテーマが全体を貫き、まさにカナダ人監督の多言語環境あってこその一作という気もするし、また、ここには完全言語(神の言語、アダムの言語)をめぐる長い伝統の息づかいも感じられる。

個人的にはまた音楽がよかった。ミニマル・ミュージック的・環境音楽的な流れとドローン(通低音)が、独特な雰囲気を盛り上げている。というわけで、サントラを挙げておく。