フランス近現代のプラトン受容 – 3 (ヴェイユ)

引き続き『プラトンとフランス現代哲学』から。ジャン=リュック・ペリイエ「シモーヌ・ヴェイユの「神秘的プラトン」−−パラダイムのラディカルな変化」(pp.108 – 147)は、フランスで、テンネマン、あるいはヘルマンなどの系譜に連なる一人が、シモーヌ・ヴェイユだったという話が展開する。すなわち、プラトンの対話篇はある種の普及版でしかなく、その哲学的教義の核心は口頭でのみ伝えられていたという考え方。いわゆるテューリンゲン学派の先取りのようなことをヴェイユはやっていたというわけなのだが、ヴェイユが考えるプラトンの思想的な核の部分というのは、ピュタゴラスの教義そのものではなかったかとされる。ヴェイユは当初、哲学の師匠らの影響もあって、むしろシュレーゲル、シュライアーマハー的な、近代的なプラトン像(近代思想の先駆者的位置づけ)に傾倒していたという。やがてそれがピュタゴラス派的な神秘主義的プラトン像へとシフトしていく。となれば、そのシフトをもたらした要因はどのあたりにあるのかが気になるところだ。論文著者はこのシフトを、四つの要因に関連づけて解釈している。1920年代から40年代にフランスで隆盛となっていたプラトン研究(新訳・校注版などの刊行)、キリスト教神秘主義へのヴェイユの転向(カトリック関係者との接近、ただしヴェイユは帰依はしていない)、所属のない自由な研究環境、さらに数学分野の発展(兄のアンドレ・ヴェイユは数学者)。いずれにしても、そこには複合的な要因があったものと見られる。現在、こうした神秘主義的なプラトン観に対しては、それを真摯に受け止める向きも少なくないものの、反対する立場も依然根強く、たとえばリュック・ブリソンなどの名が何度か挙げられている。