通詞の現象学 – 1

蘭学と日本語杉本つとむ『蘭学と日本語から、二つめの論文「現代文法用語の翻訳と考察」を見てみた。これまた中野柳圃が著した『九品詞名目』という語学研究書(オランダ語の品詞を分類・解説したもので、成立は18世紀末とされる)を取り上げ、その内容を文献学的な手法で考察している。品詞は9つに分類されていて、今とは呼び方が異なるものも多い。というか、当初の品詞名の翻訳は相当に難しいものだったろうと推測される。今でいう名詞は静詞、形容詞は虚詞、分詞は動静詞、副詞は形動詞、接続詞は助詞、前置詞は慢詞などとなっている。とりわけ興味深いのは、今でいう「冠詞」で、これは「発声詞」と訳されているのだそうだ。

論考ではこの発声詞について、それが柳圃の意訳であると指摘し、機能などをもとに、日本語の性格として言われてきた「発語」、荻生徂徠の「発語ノ辞」などに関連づけて訳出したのだろうと記している。「冠詞」の訳語が登場するのは、『蘭学梯航』(1816)、『和蘭文範摘要』『魯語文法規範』(1813)、そして論文著者が見いだしたところでは、宇田川槐園『蘭訳弁髦』(1793)が最も早いという。とはいえ、素人考えながら、この「発声詞」という名称はもっと複雑な感触を伝えている気がする。そもそも「発声」という語から、音声を念頭においたアプローチ、認識論的解釈を見て取ることも可能なのではないか……などと。

そんなわけで、手がかりを求めて、ネットで公開されている櫻井美智子『英文法事始』(東京女子大學附屬比較文化研究所紀要 47, 105-120, 1986)(PDFはこちらという論考を見てみた。それによると、本邦初のオランダ語文法書とされる、同じく中野柳圃の『和蘭詞品考』も、やはり品詞分類と用法を考察しているという。もっぱらイギリスの事例ではあるけれども、同論考によれば、18世紀には、16世紀から続くラテン語ベースの文法と、独自の文法体系を打ち立てようとする流れとの二つが存在していたらしい。八品詞(冠詞を除いた)の分類というのは、ラテン語文法での分類法がそのまま踏襲されたものだという。実は冠詞に関しては、もとのギリシア語文法の伝統では、八品詞に含まれていたのだそうだ(一方で形容詞が独立した品詞扱いされていなかった)。しかしながらラテン語には冠詞がなかったことから、ギリシア語文法で副詞に含まれていた間投詞が、代わりに加えられて新八品詞となった。こうして八品詞は、紀元前一世紀のギリシアの文法家ディオニュシオス・トラクス(あるいはそれ以前)からあり、ラテン語では6世紀ごろのプリスキアヌスを経て整備され、やがてそれが各国語の文法にも受け継がれていくこととなる。冠詞を加えて九品詞とするというのはその後の流れだ。こうしたことを踏まえるなら、柳圃の「発声詞」という訳語が、なにかその間投詞(感情や応答などを表す)の流用の経緯、残響を感じさせるようなものになっている、と述べることはできないだろうか。訳出にあたって柳圃は、おそらく相当にいろいろ調べたに違いないが、いずれにしてもアルカイックな経緯が、訳語という形で部分的にせよ蘇る(言い過ぎならば、原義の一端が露呈する、とか)というような事態を、ここに目の当たりにすることができないだろうか……。もちろんこれは、今のところ個人的な想像(妄想?)にすぎないのだけれども。