トマスとメレオロジーなど

意味論の内と外 ―アクィナス 言語分析 メレオロジー―今週の読書は主にこれ。加藤雅人『意味論の内と外 ―アクィナス 言語分析 メレオロジー―』(関西大学出版部、2019)。個人的には久々に読んだトマス・アクィナス論。トマスの存在論、中世のメレオロジー、さらに個体化論、認識論などについての著者の論考をまとめたもの。力点は最初の二つのテーマ、すなわち存在論の解釈とメレオロジーとに置かれている。最初の存在論については、とくに意味論的な観点から見た存在論が検討されている。とりわけbe動詞が主語を述定する文をめぐっての考察。トマスが(A)現実的存在、(B)心的存在を区別していることを指摘した上で、特にその後者についての解釈に重点が置かれる。たとえば「caecitas est」のような欠如や否定を表すような文は、論理形式的には「ある者に視覚が欠けている」という命題が真でありうることを述べているのだと解釈でき、したがって欠如や否定(悪など)についても、そうしたbe動詞文が成立することをトマスが説いているのだと解釈してみせる。

全体と部分の関係性を問うメレオロジー的な読みも、同様に刺激的。全体というものについてアリストテレスが示した、統合的全体(部分から構成される)と普遍的全体との区分に、トマスは「魂」を例とする能力的全体を加えてみせる。というか、実はこれはボエティウス以来の伝統になっていた区分らしく、トマスはそうした伝統を踏襲し、精緻化している、ということらしい。その三様の全体それぞれに、対応する部分の概念があるということになる。学術論文の集成なので、いささか言及されている事象や議論の重複などもあるけれども、現代的なタームや分析方法によって、トマスの晦渋なテキストから新たな解釈が導出されるという意味で、同書は両者の、ある種幸福な出会いのトポスと言ってよいかもしれない。