「生命、自然、コスモロジー」カテゴリーアーカイブ

マイモニデスのコスモゴニー

ケネス・シースキンという人の『マイモニデスによる世界の起源』(Kenneth Seeskinm, “Maimonides on the Origin of the World”, Cambridge, 2005を読み始める。マイモニデスのコスモロジー系の話なのだけれど、基本的には概説書という感じ。長さも200ページちょいだし。 創造神、『ティマイオス』、アリストテレスの世界の永続性、プロティノスなど、創成神話の諸テーマをめぐりながら、マイモニデスのスタンスをそれらとつき合わせて確認・整理するというもので、マイモニデスの合理主義的な立場がいかにそれらのテーマを批判しているかに重点が置かれているように思える。うーむ、正面切ってのマイモニデスのコスモゴニー思想を論じるというのを期待していたので、少し違う感じも(苦笑)。とはいうものの、全体的な整理としてはなかなか有益かもしれないなあ、と気を取り直してもう少し読み進めようかと思っているところ。

それにしてもマイモニデスは欧米では哲学史のごく薄い概説書にすら名前が出るほどメジャーだったりし、時にちょっと意外な感じを受けることもある。そういえば少し前に読んだマニュエル『ニュートンの宗教』でも、ニュートンの宗教論的ベースの一つにマイモニデスの合理主義があるとされていた。カバラやグノーシス、果てはプラトン主義へと批判の矛先を向けるニュートンにあっては、とりわけ流出論などがやり玉に挙がるのだけれど、その際の議論は、初期教父のほかマイモニデスなどの考え方を踏襲しているのだという。その文脈でも同じくマイモニデスの「合理主義」が強調されていたけれど、うーむ、このあたりはどうなのか。個人的には、マイモニデスの個々の議論などからはもっと違う側面も感じられるような気がして、一概に「合理主義」と言われてしまうと、どこか違和感をが感じられてくるのだけれど……?

エメラルド碑文

魔術関連シリーズというわけでもないのだけれど(笑)、ヘルメスの伝承のうちで名の知れたエメラルド碑文(エメラルド・タブレット)の様々な版を集めて仏訳した本が出ているのを最近知った(“La Table d’Émeraude”, préf. Didier Kahn, Les Belles Lettres, 2008)。エメラルド碑文というのは、1世紀の新ピュタゴラス派の哲学者・魔術師、テュアナのアポロニオス(アラブ世界ではバリヌス)に帰されるという『創造の秘密の書』の巻末に収められた短いテキスト。そのアポロニオスがヘルメス・トリスメギストスの墓で見つけた碑文とされる。ディディエ・カーンの序文によれば、『創造の秘密の書』は6世紀ごろのアラビア語訳という形で伝わっていて、ギリシア語の原典は失われているという。また、別のバージョンのエメラルド碑文が、偽アリストテレスの『秘中の秘』(8世紀)にも収録されているという。で、この両方の碑文がアラビア語ともども上の仏訳書に収められている。

『創造の秘密の書』は12世紀前半のラテン語訳(サンタラのフーゴ)のほか、別のラテン語訳もあり、この後者は西欧で最も普及したホルトゥラヌスの注釈つきのラテン語版(14世紀)に近いものなのだとか。『秘中の秘』は13世紀中頃の訳があり、ロジャー・ベーコンが注釈を付けている。上の仏訳本は残念ながら、それらは仏訳のみを収録している。さらに15世紀、16世紀の韻文での仏訳版、『ヘルメスの七章(黄金の章)』(16世紀の編纂)、『クラテスの書』(9から10世紀)が収録されている。うーむ、やはりラテン語版テキストがあるものはそれも合わせて収録してほしかったなあ。

ギヨームとスコット

このところあまり時間が取れなくてちょっと進んでいないけれど、引き続き『魔術的中世』の2章、3章に目を通す。それぞれ、オーベルニュのギヨームとマイケル・スコットを扱った章。ギヨームはアウグスティヌス主義の嚆矢みたいに言われることもある人物だけれど、いわゆる黒魔術ではない「自然」魔術の理論の発展にも貢献したのだという。自然魔術って、要はアリストテレスに準拠した医術・占星術的なものを言うらしい。アーバノのピエトロの先駆みたいな感じ。アウグスティヌス主義的との関連では、「悪魔=堕天使」の考え方の根拠が、基本的にアウグスティヌスの反マニ教的に書かれた『善について』などの、被造物はすべて本来善として創られた後に悪へと逸脱するという議論にあるという話などが興味深いところ。

一方のマイケル・スコットは、シチリアのフリードリヒ2世の宮廷で翻訳に従事したことで知られている人物。他方では占星術師としても活躍したとされる。まずは13世紀以降にvetula medica(古医術)が悪しき術へと価値の低下を被る社会的文脈と絡めてスコットの登場を描いている。アヴェロエスやアリストテレスの翻訳が多数あるとされているけれど、アルベルトゥス・マグヌスが、マイケル・スコットは自然も理解していないし、アリストテレスの著作も分かっていない、みたいに批判しているという話が興味深い(笑)。スコットの関心領域はむしろプラトン主義だったらしく、フリードリヒ2世の用意した諸説混淆の環境(アラブ世界やユダヤ教も含めて)を反映するものであったらしい。スコットはその中で、観想的ではない作用的(operativa)な哲学を理想としていたらしく、それがアラビア的な「魔術」だったというわけか。スコットの考える魔術は、作用すなわち事物の変形・変質を指向する点で『ピカトリクス』との共通性もあるそうだが、流出ではなく神の創造を重んじる点、また黒魔術を知の総合的な術としてではなく限定的に扱っている点などが異なっているという。

アルキンディと魔術

『ピカトリクス』だけを眺めているのもナンなので(苦笑)、魔術関連の参考書も併読しようと思い、以前に届いていたヴェスコヴィニ『魔術的中世』(Graziella Federici Vescovini, “Medioevo magico – La magia tra religione e scienza nei secoli XIII e XIV”, Utet Libreria, 2008)も開いてみる。400ページ超の本で、様々な著作や思想を取り上げている一冊のようだけれど、とりあえず第一章30ページにざっと目を通す。語り起こしとして言及されているのはアルキンディ。なるほど、西欧中世の魔術関係の文献は、9世紀アラブ世界のアルキンディから始まるというわけか。たとえばその『視覚論』は翻訳を通じて広まり、ロジャー・ベーコンやアルベルトゥス・マグヌスの引用するところとなる、と。さらに『第五元素論』やら『光線論』などを通じて、その後の「魔術」プロパーのテーマ系が出そろい、とりわけルネサンス以後に影響を強めていくことになるようだけれど、中世ではまだ個々のテーマが散発的に取り込まれたりする程度の印象を受ける(ホントか?)。章の後半では9世紀から12世紀にかけてヘルメス主義的な占星術・魔術の伝統ということで、『ピカトリクス』を初めとする代表的な文書が紹介されている。いろいろあるねえ。そのあたりも興味深いのだけれど、なによりもまずはアルキンディの文書をちょっと読んでみたいところだ。

2章以降はテーマ別に各論的議論が展開するようなので、また興味深い点などがあればまとめていくことにしよう。

ピカトリクス

確か少し前まで閉じていた(と思う)adam takahashi’s blogが再開されていて、16日付けでとても興味深いことが記されている。アルベルトゥス・マグヌスが占星術や錬金術に向かったそもそもの要因は、アヴェロエスによるアリストテレスの自然学系の註解書(『生成消滅論』『気象論』)に不満だったからでは、というもの(!)。これは中世の異教的要素の受容という大きな問題も孕んでいるわけで、とても重要な点という気がする。是非とも論証していただきたいところ。

異教的要素の受容という点には、このところ個人的にも関心が高まっている。で、そんなわけで中世の占星術的魔術書といわれる『ピカトリクス』の仏訳本(“Picatrix – Un traité de magie médiéval”, trad. B. Bakhouche et al., Brepolis, 2003)を読もうと思っているところ。まずは訳者らによる序文にざっと眼を通すが、すでにして興味をそそられる。『ピカトリクス』はむしろルネサンス期にもてはやされた書だけれど、ラテン語版が成立したのは1256年とか。逸名著者によるアラビア語のテキスト(Ghâyat Al-Hakîm:『賢者の目標』)がスペイン語に訳されて、そこからラテン語が作られたのだという。いずれの訳者も不明で、二度の翻訳を挟んでいるせいか、もとのアラビア語版とはかなりの違いが出ているらしい(仏訳本はラテン語ベース)。すでにして翻訳の問題が絡んでくるわけか。内容的には魔術の理論面を扱うものらしく、術を行うものが高い教養(哲学的な)をもっていないければならないという倫理的スタンスが強調されるという。また、術に関係する占星術・天文学的知見はプトレマイオスに準拠しているようだ。