仏ヴラン社が出している新しいプロティノスの新訳・校注シリーズから、今年は『第31論文』が刊行された(Plotin, “Traite 31 Sur La Beaute Intelligible (Bibliotheque Des Textes Philosophiques)”, trad. Anne-Lise Darras-Worms, Vrin, 2018)。これを読み進めるべく、今週はまず希伊対訳版(Plotino, Enneadi. Testo greco a fronte, A cura di Giuseppe Faggin, , Bompiani, 2000)でこの「第31論文」を眺めはじめていた。年代順の分類での第31論文というのは、ポルフュリオスによるとされる通常の分類ならば第5巻第8論文のこと。そこでは知解対象の美について論じられているが、それぞれの節が長く、複数の話題が詰め込まれているため、どこか曖昧模糊とし、主筋がはっきりしないような印象を受ける箇所も少なくない。ところがヴラン社刊の新訳の仏訳のほうは、これに適度な改行と小見出しを付けていて、とても見通しがよくなっている。理解を高めるための優れた方法だ。こうした「編集」を施すことに個人的には大いに賛同する。もとのテキストの改行などを尊重して、余計なことをするなという向きもあるだろうが、個人的には翻訳はなんらかの解釈に立脚するものである以上、そうした介入は、読み手の理解の側に立つ限りにおいて正当化されてしかるべき、というふうに考えている。中味についてはまた今度。
『植物誌』を少し後回しにして、テオフラストス『植物原因論』の冒頭を、Les Belles Lettres刊の希仏対訳版(Théophraste Livres I et II: Les Causes Des Phénomènes Végétaux (Collection des universités de France), trad. Suzanne Amigues, Les Belles Lettres, 2012)で読んでいる。対訳版第一分冊の前半にあたる第1巻をとりあえず読了。『植物誌』は形状や特徴の分類・体系化が主なトピックなのに対して、こちらは少なくとも第1巻に関する限り、茎、根、花、葉、果実といったそれぞれの部分について、発生論的な議論を中心とした観察の数々が提示される。当然ながら植物の種類によっても同一部分は様々に異なっているわけで、記述は事例の併記のようになっていかざるをえない。たとえば実がなるはずの木に実がならないとき、どのような原因で阻害されているのかを特定するのは難しいところ。発芽と結実の起源だけでも一筋縄ではいかない。植物そのものの属性や、環境要因が指摘されたりもする。若い木は二次的な発芽が盛んだが結実は少ないが、それらには湿地の木々と同様に水分が多いという特徴が指摘される。一方で実をなす木、若くない木はそれなりに乾いていると指摘される。さらにまた季節の要因、寒暖なども絡み、実際にどの木がいつどのように実をつけるかはきわめて多岐にわたる……。