古楽蒐集日誌 - 過去ログ

2002年3月〜2002年11月



11/29 フランスを代表する文学賞、ゴンクール賞は今年100回目。一ヶ月前に発表されたその記念すべき回の受賞作は、なんとパスカル・キニャールの『最後の王国 - 第一巻:さまよえる影たち』(Pascal Quignard, "Dernier Royaum, tome 1 : Les Ombres Errantes", Grasset)。キニャールというと、なんといっても『めぐり逢う朝』の原作者としてよく知られている(音楽評論なんかもあるけどね)。というわけで、最近ようやくゲットした映画版サントラ『めぐり逢う朝』(ジョルディ・サヴァール、AV9821)を聴く。2001年のリマスタリング版。もとのサントラから10年後ということで、おまけCD付き(サントラ同様、マレ、リュリなどの曲を中心に新たに録りなおしたもの)。サントラの方は映画だけに時間的制約(テンポとかも)があるせいか、今聴いてみるとなんだか所々物足りないかも(とはいえ、サント・コロンブの「帰還」とかクープランの「ルソン・ド・テネブレ」抜粋などはやはりとても美しいっす)。おまけCDの方がよりしなやかで快活な感じ(笑)。

マラン・マレといえば、ちょっと前の話題はパオロ・パンドルフォのヴィオラ・ダ・ガンバによる『グラン・バレ』(GCD 920406)だったっけ。これも素晴らしいよなあ。収録曲はヴィオール曲集の2巻、3巻からの組曲だが、2枚目に収録の「スペインのフォリア」も、サヴァール版に負けない剛直ともいえる演奏。

11/21 数ヶ月前から購読を始めたフランスの音楽雑誌『Classica』は、コレクター指向を前面に出していてなかなか面白い。で、11月号は「宗教音楽」の小特集。ま、入門編という感じなのだが、マルセル・ペレーズのインタビューなどが掲載されている。なかなか手頃なガイドになっている感じだ。宗教音楽ものといえば、個人的に最近特に感銘を受けたのが『シビュラの歌』(モンセラート・フィゲラス、AV9806)。指揮はジョルディ・サヴァール。15世紀から16世紀にかけてイベリア半島で歌われた(行列の際に)というこの歌、なんとも切ない旋律が胸を打つ。この盤では、マヨルカ島とバレンシアのそれぞれのバージョン(いずれもサヴァールによる再構築の世俗語版)が収録されていて、それらの比較も興味深いが、特にマヨルカ版は圧倒的。この哀愁、まさにため息が出るほど。
11/17 フランスの中世史家ジャン・ドリュモーの「楽園の歴史」三部作。その二冊目にあたる『幸福の千年』(J.Delumeau, "Mille ans de bonheur", Fayard, 1995)を最近読んでいるが、そこで膨大な史料から描き出されるのは、世俗化していく終末思想と、それに関連した千年王国思想のダイナミズム。うーん、なかなか面白いぞ。というわけで、これに連動して(笑)『ミレニアム - 中世の音楽』(アンサンブル・ジル・バンショワ、7243 5 61640 2 4)を聴く。2枚組で、1枚目はフランスの初期ポリフォニー集(11世紀)、2枚目はジャン・ド・レキュレル(Jehan de Lescurel : ? - 1304)の世俗の定型詩(バラード、ヴィルレ、ロンデル)集。綴じ込み冊子が個別の詳細を解説をしていないのが難点だが、1枚目に収録されたミサ曲では、とりわけそれぞれのトロープスが面白い。特に「殉教者のためのミサ」のトロープスなどは、ケルトの伝統歌曲を思わせる旋律でとても気に入ったり。2枚目も実に味わい深い旋律の数々。楽器演奏の中東的な響きというか、土臭さもまたいいしね。やはり詩は歌ってこそ華だな〜。
11/13 昨日はリュートの師匠こと水戸茂雄氏のリサイタル。今回は「フランス模様 - 天使の歌声」と題したオール・フレンチ・プログラム。ルネサンスものは16世紀のピエール・ファレーズ(セルミジ作品の編曲)とアドリアン・ル・ロワ、バロックものはジャック・ガロ、エヌモン・ゴーティエ、ガル・ル・ジュンヌ(リュリ作品の編曲)。いずれも優れた小品の数々だったのだが、会場の反応がいまいちだったのは、おそらく聴衆側にあまり馴染みがないせい(バロックリュートのあのテンポとかね)だと思う。ちょっとそういう部分が残念だった。ちなみに来年はドイツものとかいう話だった(?)。

フランスものというと、このところ聴いていたのがミンコフスキーによる『フレンチ・カンタータ』(471 730-2)。内容は18世紀のブラモン、クレランボー、ストュックらの室内カンタータ。いずれも宮廷で歌われていたもので、ミニチュア・オペラという風。いろいろな要素が詰まっている感じの曲だけど、実に軽やかな演奏でなかなか楽しい。

11/07 今日はスケジュールがぽっかり空いたので、ぜひとも行きたいと思っていた「ウィーン美術史美術館展」を見る。お目当てはなんつーてもアルチンボルドの2枚(連作「四季」と「四大元素」から1枚ずつ)。図版などで見るよりもはるかに鮮明な色づかいだったなあ。あと、バルトロメオ・ベッテーラの「静物:楽器、地球儀、菓子皿」も、予想以上に圧巻(画面左のひっくり返ったリュートの後ろにはビウエラらしきものも描かれているんだね)。

で、その後、「西洋音楽との邂逅 - 天正遣欧使節と音楽」と題されたレクチャーコンサートへ。ん?レクチャーにはなっていなかったぞ。講師は古楽系でよく名前を眼にする人だけど、話の中身はほとんど天正遣欧使節の足跡を追っただけで、楽曲の解説は一切なし。おいおい、これなら例えば松田毅一『天正遣欧使節』(講談社学芸文庫)あたりを読めばすむ話じゃないの。ま、ナレーションと音楽のコラボレーティブ・パフォーマンスのつもりだったのかもしれないけど、それにしては原稿の読み上げも準備不足って感じ。演奏はアントネッロとラ・フォンテヴェルデという若い演奏家集団。舞台のノリはわるくないけど、少々荒っぽい感じもしたりとか。個人的にはカベソンの曲(「甘き思い出」)なんかも聞けて面白かったけどね。

11/02 古楽じゃないけど、今日は脱線しよう(笑)。アルブレヒト+読響のワーグナー「パルジファル」を観た……のだけれど、うーん。演出や舞台美術も面白いし、演奏だって悪くないのだけれど(歌唱はグルネマンツ役のモルの一人舞台ってな感じ……2幕はなかったことにしよう(笑))なんだか今ひとつ盛り上がりきれなかった。貴重な機会だったからまあいいか。個人的には、むしろLa Nefによる「ペルスヴァル」あたりを生で聴きたいんだけどね。これはクレチアン・ド・トロワのテクストに、古楽的な演奏を加えたもの。田辺保『フランスにやって来たキリストの弟子たち』(教文館、2002)によると、民間伝承(レゲンダ)では、聖杯を持っていたのはアリマタヤのヨセフ(最後の晩餐の準備をしたともされる)で、「ペルスヴァル」に登場するロワ・ペシュール(漁夫王)は、そのヨセフの義弟ブロンなのだそうな。ペルスヴァルはブロンの孫にあたり、最終的にブロンがヨセフから杯を受け継ぐところでヨセフの物語は幕を閉じるという。なるほどワーグナーのはいろいろ換骨奪胎しているけれど、基本ラインは踏襲しているわけね。


10/31 うーん、多忙でなかなか演奏会にも行けない。マリー=クレール・アランのオルガンによるバッハも逃したし、ピアノの名手マウリツィオ・ポリーニがチェンバロ(つーてもモダン・チェンバロだろうけど)でモンテヴェルディやジェズアルドを弾くという面白そうな演奏会も断念。そういえば社会学者エドワード・サイードは、『音楽のエラボレーション』(みすず書房、大橋洋一訳)の最初のところでショパンがらみでポリーニに言及し、その功罪を述べている。つまり、ポリーニのテクニックは凄すぎて、万人に開かれた技巧問題の提示というショパンの意図を完全に粉砕してしまったのだという(笑)。それもまあ、アドルノ的な意味で時代の反映ということなんだけど、超絶技巧ばかりがもてはやされる風潮が、音楽的行為の裾野をかえって狭めているとしたら問題だよなー。ま、それはともかく。鍵盤ものが聴きたいので、手持ちのCDからトン・コープマンによるフレスコバルディ『オルガン名曲集』(4509-96544-2)を聴く。「フィオーリ・ムジカーリ」と「トッカータ集第2巻」からの抜粋。フレスコバルディはモンテヴェルディとほぼ同世代(ジェズアルドの一世代後)で、サン・ピエトロ大聖堂のオルガニスト。収録曲のうちでは軽快なカンツォーナ類がとりわけ印象的だ。多少とも踊りたくなるというか、体を動かしたい気分になるオルガン曲は珍しいぞ。
10/22 このところえらく忙しくなってしまい、20日のザ・ハープ・コンソートのコンサートを逃してしまった。とても残念。二年ぶりだったのにね。ま、仕方ないや。またぜひ来てほしいっす(笑)。今回のはサンティアーゴ・デ・ムルシア(18世紀前半のメキシコ)とリバヤスということで、新旧両大陸の組み合わせ。ならば、というわけでもないけれど、手元の未聴CDから『スペインと新大陸』(ヒリヤード・アンサンブル、7243 5 61394 2 8)を。こちらはもうちょっと時代が古くて、16世紀の宗教曲中心のアンソロジー。二枚組で、一枚はアラゴン王フェルナンド2世(15世紀後半から16世紀初頭)の宮廷で聞かれた音楽。ちょっと復習しておくと、イザベルとの結婚でカスティリャとの連合を果たしたこの王宮は、グラナダ征服でローマ教皇から称号を得て「カトリック両王」と称された。で、この時代、王宮の礼拝堂所属の作曲家が一挙に増えたのだという。アロンソ・デ・アルバの「スターバト・マーテル」とか珠玉の小品が揃っていて素晴らしい。ヒリヤード・アンサンブルがまた実に聴かせてくれるし。二枚目はメキシコなどに「輸出」されたスペインの作曲家の作品集。新大陸の教化に、音楽は欠かせないものと見なされていたのだという。当初はオルガンがなく、器楽パート的な声の重なりなど、旧大陸よりも自由度の高い演奏がなされていたともいう(ライナーノーツ)。収録曲にはモラーレスなんかもあって嬉しい。
10/07 昨日、二期会とBCJによるモンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』の上演を観に行ったのだけれど、寝不足で出かけたため不覚にも爆睡してしまった。うーん、やはり万全の体調で臨まないとなあ(反省)。展開に乏しい一幕目などは特にさっぱり覚えていない。貴重な機会だっただけに大変残念。あまりコメントもできないのだけれど、演奏や歌いぶりはなかなかのものだった気がする。でも、諸版を突き合わせて(『ポッペア』には決定稿のようなものがないのだそうだ)構築したのだというアラン・カーティス版って、以前観た舞台よりもどこか全体に散漫な印象が……(半分眠っていたせいかな?)。

そんなわけで、今日は反省しつつ久々に『聖母マリアの夕べの祈り』を聞く。今回のはアンブロシアン・シンガーズ&オーケストラの盤(08 9276 71)。デニス・スティーヴンス指揮。全曲盤ではない。声の力強さを前面に押し出していて、繊細さ(ヘレベッヘ盤のような)に欠ける恨みはあるけれど、堂々たる歌いぶりがかえって教会での用途の側面を強く感じさせてくれる。



09/20 『バッハの偉大さ - 19世紀フランスの音楽への愛』(J-M. Fouquet et A. Hennion, "La Grandeur de Bach - L'amour de la musique en France au XIX siècle", Fayard, 2000)という一冊を読了。バッハの偉大さを鼓舞する本ではなくて(笑)、19世紀のフランスでバッハがどう受け入れられていったかを追った、音楽の歴史社会学の一冊。著者の一人エニオンは、媒介行為という視点から音楽を見るという社会学の実践者だ。で、同書によるとフランスの場合、バッハはまず最初、教育的配慮(鍵盤楽器の練習用としての「平均律(不等分律)クラヴィーア曲集」など。19世紀前半のフランスのオルガンにはドイツと違ってペダルがなく、オルガン曲の普及は遅れたのだそうな)から受容が始まり、後に「作曲のモデル」をなすようになっていく(同時代的音楽、とりわけベートーベンとの対比として)。これに各種伝記の出版などが続き、それからパレストリーナ的理想の名のもとに合唱曲が紹介されていくのだという。こうした流れの上に、グノーの「アヴェ・マリア」(バッハの第一前奏曲)、「精霊降臨祭のエア」(カンタータBWV68のアリア)、「マタイ受難曲」(フランスでは1868年にパンテオンで演奏)などの「ヒット曲」が位置づけられるという。いずれにしても、こうした流れを追うだけでも当時の聴衆の趣味の変化が窺えて興味深い。こういう方向での研究って、これから多くなっていってほしい、と。で、これに関連して(?)、今日はマルク・ルオラヤン=ミッコラによる『ガンバ・ソナタ』(BIS-CD-1061)を聴く。ライナーノーツには、ガンバ用として知られるBWV1027 - 1029は別の楽器用からの転用の可能性もある、みたいな話が載っている。うーん、古楽的イデオロギーを超えて、現代的なバッハの受容がどうなっていくのかなんて話も、あるいは面白い考えどころかもね。
09/14 今週は休暇と称して長崎に旅行。残念だったのは、県立美術博物館が移転のため常設展示がなくなっていて、いわゆる「出島図」(当時のオランダ屋敷の風俗が描かれていて、楽器なんかも描き込まれている)が見られなかったこと。ま、よかよか。写本は各地に残っているらしいから、そのうち目にする機会もあるだろうし。てなわけで、今日は『諧謔音楽 - 出島のオランダ音楽』(EBM-199503)を改めて聴く。これって二年前にライブで聞いたんだっけなあ。佐藤豊彦ほかのアンサンブルで、当時もしかすると演奏されたかもしれない作品を集めた盤。「マルシムス」「アマリリ麗し」「涙のパヴァーヌ」などの各種バージョン(同じ旋律を各作曲家が取り上げている)を聞き比べられるのが嬉しい。そういえば、わがリュートの師匠などは、当時のビウエラなどがどこかの倉とかに眠っていないもんだろうか、なんて以前こぼしていたことがあった。うーん、そんなのが出てきたら大騒ぎだが、実際見てみたい気がする(笑)。
09/07 初来日だというミンコフスキーによる『フィガロの結婚』を観る。エクサンプロヴァンス音楽祭の昨年のだというこのプロダクション、実にいい感じでないの。音質の柔らかなオケ、しかもテンポの緩急や細かな間合いなどがなんとも絶妙で、演出と音の一体感が見事だ。すばらしいぞ。一般に、バロックオペラにはなくてモーツァルトあたりから出てくる人物造形として、「時間の経過に伴う心の微妙な動き」が言われるけど、そういう部分が本当に感じられるのは、やはりこういう細やかな演奏・上演においてなんだろうね。ポスターやチラシで「艶っぽさ」を前面に出した広告はいただけなかったが(なんせ「フィガロ」だからねえ)、音のしっくり加減はとーても「艶っぽい」かも。次回はぜひバロックものも生で聴いてみたいっす。


08/30 今週、レ・ザール・フロリサンの創設者・指揮者ウィリアム・クリスティが来日して公開マスタークラスとレクチャーを行ったようなのだが、残念ながら観に行けなかった。クリスティはニューヨーク生まれながら、95年にフランスに帰化しているんだね。ま、とりあえず来日を記念して(笑)同団体によるCDを聴こうと思い立つ。まずは、レ・ザール・フロリサンの代表的録音だという87年(リュリの没後300年!)のリュリ『アティス』(HMC 901257.59)。長いので、ほとんど飛び飛びに聴いただけだけど、うん、端正・優美でこれぞ宮廷オペラって感じか。なにせこのリュリの作品そのものがルイ14世へのオマージュなんだもんね。添付の冊子には台本のコピーが採録されていて、気分を盛り上げてくれる。次いで最近の録音、ラモー『花飾り/ゼフィール』(8573-85774-2)。実に瑞々しくて味わい深い仕上がり。なかなか盛り上がるよなあ、これ。「花飾り」と「ゼフィール」はいずれも一幕のバレエで、ともに1750年前後に作曲されたものとか。前者は牧歌的な羊飼いの恋話、後者はディアナのニンフの話だ。この盤、そういえば前に英Gramophone誌なんかも絶賛していたんだっけね(余談だけど、この雑誌、最近誌面が刷新されて古楽系の扱いが少なくなったのが残念)。
08/21 ちょっと前に某楽器店の書籍棚の隅にあった古本『12世紀から15世紀の音楽理論における高音部と対位法』(Ernst Apfel, "Diskant und Kontrapunkt in der Musiktheorie des 12. bis 15. Jahrhunderts", Heinrichshofen, 1982)なんてのを先月くらいからつらつら眺めているのだけれど(読み込んでいるわけではない(苦笑))、これが面白いのは、時代が下っていくにしたがって、厳格だった和音解決の規則が別規則へと緩んでいく過程を扱っているから。多様多彩になっていく中世後期の音楽がどう導かれたのか、なんて実に面白い問題だ。で、今日はそれに関連して(というわけでもないか)パオロ・ダ・フィレンツェのマドリガーレ集『ナルチッソ・スペクランド(Narcisso Speculando)』(マラ・プンカ、HMC 901732)を聴いてみる。15世紀初頭の聖職者として著名だというドン・パオロ・ディ・マルコは、数多くの曲を残したとされるものの、現存するのはごくわずかなのだそうで。収録曲はどれも寓意的なマドリガーレ(政治思想やらモラル的な主張などが込められているのだそうだ)だというが、そういう部分を考えずとも、15世紀あたりのポリフォニーとしては割と複雑でなくて取り付きやすい感じがする。それでも対位旋律の震えるような微妙な上下などは当然健在で、実に面白かったり。表題は、ナルシスの悲惨を唱った「Non piu 'nfelice(これ以上の不幸はない)」から。
08/17 今週はFMで「あさバロ」が連日特集を組んでいたのだが、残念ながらほとんどまともに聴けなかった。うーん、残念。17日早朝にBSでやっていたグルックの『アルチェステ』はミニマルな演出がとても新鮮で見事だった(これってDVDでも出ているらしい)。バロックオペラにはこういう演出がとても合うと思ったのだけど、というのも最近DVDで観た、もっとコテコテの演出(半端に写実的なのだ)のヴィヴァルディ『オルランド・フリオーソ』(サンフランシスコ・オペラ・オーケストラ、100210)がイマイチだったから。これ、題材は「ロランの歌」だといので期待したのだけれども、うーん、ちょっとなあ。二幕のアリア「なんと白い花よ」(qual candido fiore)なんかはいいのだけれどねえ。そんなこともあって(?)、今日は久々にヴィヴァルディの宗教曲を。『アルト、弦楽、通奏低音のための宗教曲』(ジェラール・レーヌ、H/CD 8720)がそれで、内容はモテットと「スターバト・マーテル」、序唱、「主が家を建てられるのでなければ」。とりわけ短調の部分の盛り上がりが味わい深い。ヴィヴァルディも宗教曲は面白いよなあ。
08/04 昨日、二期会によるワーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」を観に行ったのだけど、これに触発されて(大笑)、歌合戦の上流に遡ることとし、今日は『ミンネザング - 黄金時代』(CHR 77242)を聴く。先行する数枚のCDから曲を集めたコンピレーション盤。ミンネザングというとトルバドゥール抒情詩の流れを汲むドイツの宮廷恋愛抒事詩だけど、おそらくはその流れを示そうという意図なのだろう、この盤はカルミナ・ブラーナの一曲やベルナール・ド・ヴァンタドゥール(有名なトルヴェールだ)の曲から始まっている。大学書林から出ている対訳本『ミンネザング』(ヴェルナー・ホフマンほか、1999)の解説によると、ミンネザングは大きく5期に分かれるというが、このCDはほぼ時代順に代表的なミンネゼンガーを取り上げている。各人1曲というのがちょっと寂しいかな。曲全体を覆うこの薄ら寂しさこそがまさに至芸。もっとも、ミンネザングの場合はトルヴェールなどと違ってメロディの伝承がきわめて乏しいのだそうで、上の書籍などは「レコードでの中世歌謡の再現は信頼できん」と手厳しい。実際、このCDでも例えばデル・ヴィルデ・アレクサンダーの曲はメロディは借り物。余談だが、フランスの中世文学者ミシェル・ザンクの小説(!)『三つめの愛』("Le tiers d'amour", Editions de fallois, 1998)は、トルヴェールの作った歌がジョングルールたちの間に膾炙する様を描いていて秀逸。ミンネゼンガーたちの間でもそうだったのだろう。その悲哀も負けず劣らず、というところか。


07/28 バッハの命日だということもあって、今日は以前購入してあったDVDで『ミサ曲ロ短調』(TDBA-0013)を聴く(観る)。2年前の没後250年記念の命日に、聖トーマス教会で収録したものだということで、指揮は同教会カントールのビラー。テンポをさほど速くせず、一音ずつはっきり出している感じの演奏。伝統を感じさせる音作りってこういうのを言うのかもなあ、と納得(?)。ちなみにDVD再生装置はiBookなので、再現性そのものには若干疑問も残るけどね(だけどこれ、外部接続端子がない代わりといってはなんだが、地域コード2でPALでもNTSCでも再生できるのがいいよなあ)。うーん、それにしても斜め左から捉えられた指揮者の背後に、日本人らしき観客がまとまって映っているのが気になったり(笑)。
07/24 毎年面白い公演のある<東京の夏>音楽祭。今年も琵琶楽とかロシア詩の朗読とかいろいろ面白そうなものがあったのだけれど、タイミングが合わず全然行けなかった。唯一行けたのが、今日のアファナシエフの「プルーストの音楽を求めて」。うーん、このタイトルがなかったらなんてことない室内楽演奏会。前半のバッハやモーツァルトはよかったけど、後半のベートーヴェン「大公」は、演奏はともかく個人的には聴いていて疲れる曲だった(笑)。アンコールではプルーストの友人ことアーンの曲(ホールミュージックっぽくてつまら〜ん)や、メンデルスゾーン(クラリネットソナタの一部)とかをやったのだけど、なんだか一応それでタイトル的に取り繕った感じがしなくもない(笑)。

プルーストと音楽については、音楽記号学者ジャン=ジャック・ナティエの『音楽家プルースト』(斉木眞一訳、音楽之友社)なんてのが面白い。プルーストの作品全体がワーグナーに関連する様を示してみたり、作品から浮かび上がる音楽的探求の三段階モデル(知覚-知性-真理)が、ドビュッシーからワーグナー、ベートーベンへと遡及する歩みに対応し、またそれが、プルーストによる記号論的音楽理解にも呼応する、ということを示してみたり。とすると、今回のアファナシエフの選曲も、ある意味で的を射ているのかという気もするのだけど…うーん。

07/19 今日はまたしてもBCJの定期公演へ。今回は「真夏のヘンデル」と題して、2000年にヘンデル作と認められたのだという「グロリア変ロ長調」ほか詩編109、112など。いずれもイタリア滞在時(1706〜10年)のラテン語歌詞での作品。うん、ヘンデルの快活さというか自由さというか、その面白さがよく伝わってくる、といった風な演奏だった。やや不満が残ったのは合唱かな。子音の発声が不発なのはどうかな〜。ドイツ語歌詞を歌う日本人歌手によく指摘されるみたいだけれど、ラテン語歌詞だって同じだ。「dixit Dominus」(主は言いたまいぬ)なんていう時のdの音なんか全然響いてこないんだもん。うーん…。
07/12 台風一過でなんとも暑い。だけどその暑気払いになる一枚を発見。ちょっと前に購入してあったステファノ・ランディ『人は影のごとくに去りぬ(Homo fugit velut umbra...)』(Alpha 020)。演奏はアルペッジアータというグループ。これはひさびさの逸品。この豊かさ、迫力。うーむ、と思わず唸ってしまう。表題作は作者不詳の、ロマ的な要素を感じさせる曲だが、ランディ自身は17世紀前半のイタリアでバルベリーニ家の宮廷で活躍していた器楽奏者、歌手。後には教皇の聖歌隊メンバーにもなる。いずれにしても当時の伝統楽曲(世俗曲)などから様々な要素を借り入れての作曲手法はなんとも豪奢という感じ。テオルボやプサルテリーが形作っていくそのリズムと旋律は、もうそれだけで暑さも吹き飛ぶぜ。超ご機嫌だ。
07/07 久々の快晴に誘われて(笑)、今日は印刷博物館(トッパンホールの横)で開催されていた「ヴァチカン教皇丁図書館展」を見に。展示点数はそれほど多くはなかったけれど、10世紀のモサラベ聖書(モサラベは当時のスペインの様式)やビザンティンの聖書などがとりわけ興味深かった。それにしてもこの博物館、入り口の「文字の歴史」展示やVRシアター(システィーナ礼拝堂を完全再現シミュレーションが上映されていた)など、実に楽しめる内容になっていて好感がもてた。もっと展示スペースが広々としていたら言うことなしなんだけどね。ま、それはともかく。今日は帰宅後にデュファイの曲集『カテドラル・サウンズ』(74321 92584 2)を堪能。クレマンシック・コンソートの演奏で、全体としてインパクトはないけれど、例えば「海の星よ」(Ave maris stella)が秀逸で(海の星とは聖母マリアのこと)、合間に挿入されるオルガン曲集からの数品もなかなか。こういう暑い季節にはどこか清涼感を与えてくれる一枚かも(笑)。
07/04 ダウランドのリュート曲はいつ聴いても惚れ惚れする。てな思いを新たにしたのは、リュート奏者永田平八氏による『涙のパバーン』(EBM 201006)を聴いたから。うん、この穏やかでいて濃密な曲の数々は何ともいえん。演奏もたおやかだしね。先に記した原田宿命『フランス・ルネサンス舞踊紀行』に、エリザベス1世とアランソン公(ヴァロワ朝)の悲恋(?)にまつわる物語に結びついた、当時の民衆に愛された舞曲として紹介されている「蛙のガリヤード」(別名「今こそ別れ」)など、実に素晴らしいよなあ。これのタブラチュラ譜はないかしらと思ってみると、有名サイト「The Lute Page」にちゃんとあった。多数のタブラチュラに混じってPDF形式で掲載されている。実にナイス(弾きこなしは大変そうだが(笑))。


06/25 BSで「オーケストラ・リベラ・クラシカ」の演奏会を一部放映していた。BCJからのスピンオフ(と言っていいのかしら?)的な団体で、古典期の曲をピリオド楽器で演奏するのが基本コンセプトだという。確かに、ハイドン(あまり聴かないせいか)の「マーキュリー」なんか音色が柔らかくていい感じになっていた気がする。そういえば、少し前に中古CD屋で買った変なセットもののCD(いわば「お国めぐりCD」、ドイツの5都市にちなんだ作曲家のコンピレーションらしい)のうち、『アイゼンシュタット』(CDZ 25 2389 2)でハイドンが取り上げられていて、「薬剤師」からと「バリトン三重奏曲」「テ・デウム、ハ長調」なんかが入っていた(カール・フォルスター指揮、ベルリン交響楽団ほか)。で、こういうのもピリオド楽器がいいかもな〜と思ったっけ。でもやっぱバロック以前も忘れないでほしいぞよ。
06/19 ちょっと前に購入していたものの、忙しくて読めずにいた書籍。その一つが原田宿命『フランス・ルネサンス舞踊紀行』(未來社、2002)。ブルゴーニュから始まってラングル、パリ、ロワール、ブルターニュなど、各地をめぐっていく音楽紀行。雑誌「ふらんす」に連載されたエッセイがベースなのだという。地方に合わせて、そこにまつわる歴史と、ブランル、ガヴォット、ガリアード、パスピエといった舞踊曲が紹介されていく。こういうのを読むと、無性に旅に行きたくなる。

そんなことを思いながら、『ミサ・アレルヤ - ブルゴーニュの宮廷音楽』(カピラ・フラメンカ、Eufado 1232)を聴く。上の書籍の最初の方に、シャルル8世の婚約者で、後にマリーヌ(ブリュッセルの北)に住み人文主義の一大拠点を作ったマルガレーテ・ドゥトリッシュの話が出てくるのだが、このCDのライナーノーツによると、この一枚はその宮廷の書記ペトルス・アラミレの写本から取ったもので、宮廷内の礼拝堂向けの作品とのこと。ドラリューによる表題作に、オブレヒト、デプレなどの作品が挟み込まれている。ブルゴーニュ楽派の粋とでもいうべきものが伝わってくる感じ。やはりドラリューの作品がいい。聴き込むほどに味わいがしみ出てくる。

06/12 昨日何気なくFMをかけていたら、いきなりヒルデガルト・フォン・ビンゲンの曲が流れてきた。「おお、なんと驚くべき予見が」以下4曲で、演奏はアウスブルク古楽アンサンブルだという。うーん、この掟破りぶりな(オクターブをあっさり越える)聖歌はいつ聴いても心地よい。ちょうどヒルデガルトの著作『病因と治療』("Heilwwissen - Causae et Curae", Pattloch, 1997)、『自然学』("Naturkunde - Physica", Otto Müller, 1989)を辞書と格闘しつつ読了したところ(独訳本なので、これだけで一年越しの作業…(笑))。この後者については邦訳(英訳からの重訳)も最近刊行された模様だ。中世の民間伝承的な知の一端が実によくわかるというもの。そういえば『中世の患者』(濱中淑彦訳、人文書院)のハインリヒ・シュッパーゲスによるヒルデガルド論も出たらしい。うーむ、ヒルデガルト研究がにわかに活気づいてきた感じだな。

で、今日はその同時代の聖歌を聴く。『クリュニー:キリストの御変容、尊者ペトルスの聖歌』(アンサンブル・ヴナンス・フォルテュナ、ED 13091)。尊者ペトルス(Pierre le Vénérable : 1122-1156)といえば、あのアベラールをクリュニーに招いたベネディクト会士(シトー会のベルナルドゥスとの論争では、アベラールを援護した。で、そのベルナルドゥスこそ、ヒルデガルトの幻視にお墨付きを与えた人物)。この聖歌、独唱の多用が実に印象的で、旋律もとてもダイナミックだ。特に後半の女声独唱などは独特なしなやかさも相まって圧巻。12世紀の聖歌はやはりいろいろな意味で面白い。



05/27 25日はリュートの師匠が主催した内輪な門下生発表会。いや〜少人数とはいえ人前で弾くというのは緊張するなあ。だけど一種独特の雰囲気があって、これはやみつきになるかも(聞かされる側はたまったもんではないだろうけど)(笑)。兄弟子、姉弟子各氏が弾いた曲に結構いいものがあって、新たな目標もできたというもの。で、今日は自分へのご褒美的に(大笑)、ラ・ヴォーチェ・オルフィカとアントネッロの演奏によるジョスカン・デプレ「ミサ・パンジェ・リングァ」を聴きに出かける。表題のミサ曲もよいのだけれど(リュートなどが合間に入ったりして、ちょっと世俗との連続性を感じさせる構成にしていたことが心にくいかも)、後半の世俗曲中心のプログラムがとりわけよかった。難を言うと、会場(某教会)がでかいせいか、ルネサンス・ハープはともかく、リュート曲などがあまりよく響いてこないことかな。
05/22 で、今日は日本初だというシングル編成での「ヨハネ受難曲」を聴きに。各パート一人づつという不思議な編成(アメリカのリフキンとかいう音楽学者の説に基づくものとのこと)で、確かに「演奏に携わる音楽家各人の自発性が最もよく発揮される」(パンフより)形態だというのはわかるけど、音としてはちょっとクエスチョンマークつきかな。面白かったのは、後半のバスのアリオーソからテノールのアリアにかけて、後ろにいたテオルボ(アーチリュート?)が前に出てきて伴奏していたこと。さすがに音量的にはチェロに負けるけれど、高音がちょっといい味を出していた気もする。全体としては初の試みというだけあって、ちょっとこなれていない感じも(笑)。でもロ短ミサとかもやってほしい気がしたりして。
05/19 先日ようやく「プラド美術館展」を観に行けた。スペイン王室コレクション。お目当てはゴヤの「巨人」なんかではさらさらなく(笑)、アーノンクールの新録版『マタイ受難曲』でジャケットにも使われていたスルバラン「神の子羊」(1636頃)。思ったよりも小さい(かなり)一枚だけれど、その静謐感はなんとも言えず素晴らしかったっす。17世紀のスペイン黄金時代というのは本当に素晴らしいなあ、と改めて思ったり。藤井康生『フランス・バロック演劇研究』(平凡社、1995)を最近読んだのだけれど、それによると、イエズス会に始まる視覚重視の立場は、フランスを中心に「魂の試練と向上の投影としての舞台」という観点を産み、これがスペインの黄金時代に受け継がれていくのだという。17世紀のバロック絵画のモチーフでもあった殉教などのテーマは、諸芸術が宗教から離脱するぎりぎりのところにあるのだといった話。それは劇空間の野外から室内への移行にも関係する、と。なるほどね。余談だけれど、フランスの新旧論争の中心的存在の一人にシャルル・ペロー(昔話でおなじみ)がいるけど、かつてマルク・ソリアーノ(フランスの17世紀文学研究者)は、その作品世界に頻出する二人組ないし分身(ソジー)のテーマに、ペローの双子コンプレックス的なものを読みとっていた。だけど同書の「分身劇」を扱った章を見て、やはりより社会的にそのバロック性というか、当時の流行りみたいな部分から改めて再考する方がいいんじゃないかという気もしてきたり。うーん…。

…てなことを考えつつ、とりあえず今日は同時代のイタリアものなんぞ聴く。一つはアレッサンドロ・ピッチーニ『リュートとキタローネのためのタブ譜集』(フランチェスカ・トレッリ、TC 561602)。「ガイヤルダ」や「フィレンツェのアリア」などどれも逸品だ。この曲集、1639年のボローニャのタブ譜の第二集ということになっていて、初の録音になる曲も含まれているとのこと。曲もさることながら、この残響音としなやかな音色が絶品かも。もう一つは国内盤でジョヴァンニ・ガブリエリ『ガブリエリの饗宴』(フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル、POCL-5145)。金管によるこの演奏も、なかなか面白い。バランス感覚溢れる一枚、という感じか。



04/27 調べもののため外出したついでに、某所でやっていたミサ曲セミナーを聴講してみる。「ルネサンス音楽の魅力をさぐる2」と題された連続講演の1回目で、講師は金澤正剛氏。ミサ曲の成立と発展を追うという内容だが、これって例えば相良憲昭『音楽史の中のミサ曲』(音楽之友社、93-2000)の前半部分をコンパクトにまとめたという感じ。だけれど圧巻だったのは、聴講者の多くが合唱を習っている人たち(別のワークショップとのタイアップだったらしい)で、「中世とルネサンスのミサ曲の違いを、実際に歌ってみましょう」との講師の呼びかけに、会場が一丸となってマショーとデュファイのさわりの部分を歌ってしまったこと。私は歌えないのでひたすら聞いていたけど、うーん、超近距離で聞くミサ曲ってなんとも素晴らしすぎ。やっぱ自分でもネウマ譜読めるようになりたいなあ、なんて思ってしまった(笑)。最後はヴォーカル・アンサンブル・カペラによる実演で、トゥルネーのミサやデュファイのミサ曲の一部など。このところの忙しさが吹き飛ぶ2時間だったっす。
04/15 先月某店で平積み状態になっていたCD『中世・ルネサンスの楽器』(デービッド・マンロウ、YMCD 1031,32)を聞く。17世紀以前の「主要な楽器を説明すべく企画」(ライナーノーツ)されたというアルバムで、同名の翻訳書に基づいて構成されているのだという。うーん、これを売っていた店にはその書籍の方はなかったようだったけど、なぜ今平積みなのかよくわからん(笑)。内容は、よくぞこれだけの曲を集めたなあと思う一方、楽器の紹介が主なので、かなり散漫な印象も受ける。うん、でも木管・金管ものに珠玉な作品が多い印象。中世を取り上げた1枚目では、13世紀フランスのシャンソン(パンパイプ)とか、ミンネゼンガーの旋律(フルート)、13世紀のイングリッシュ・テ・デウム(リコーダー)、ヘルマン(ザルツブルクの修道士、とある)の「夜のホルン」(コルネット)あたり。2枚目はルネサンスもので、16世紀のドイツの世俗歌曲集(ショーム)、同じくシャンソン「酔っぱらい」(クルタル)、あるいはピエール・アテニャンの「ああ愛よ」(リコーダー)かね。コンピレーションとしてはなかなか良い感じかも。
04/07 今年はテレマンを重点項目にすると言っていたものの、このところさっぱりCDチェックする暇がない。こりゃいかん、というわけでとりあえず前に購入し未聴だった『協奏曲集 - unknown works』(5 57232 2)を。収録されているうち、例えば「ヴィオラ協奏曲ト長調」なんかは、前にも記しておいたMostlyClassical.comなんかでしょちゅう(繰り返しだから当然だが)かかっていた1曲。で、これがまた実に軽快でいいんだよな〜。あと「2つのヴィオレッタのための協奏曲ト長調」とかも。演奏しているのはベルリナー・バロック・ゾリステン。この団体って、2月ぐらいに東京で公演したらしいベルリン・フィルの連中か。チラシに「モダン楽器で最高レベルで演奏する」みたいなことが書かれていたっけ。


03/30 先日の「ヨハネ」に続き、今日はやはりBCJの「マタイ受難曲」。浦和まで行くのはちょっと強行軍だったかも…。うーんこのテンポの設定、BCJってもっと小刻みにやっていく印象(誤解?)があっただけに、期待とは違っていて少し意外な感じ。このマタイは割と全体にゆっくりめで、ここぞという感じで爆走する(?)というスタイルのよう。だけどそういうメリハリが必ずしも盛り上がりにつながっていなかったような気も…。うーん、難しいねえ。で、同じ日の深夜、今度はリヒターのマタイをBSが放送しているでないの(復活祭のためかな?)。重厚感のある録音だけれど、このセットはもうちょっとなんとかならなかったのかしら、なんて思う。それにしても数時間空けて2度もマタイを聴いてしまうとは…疲れたけれどちょっと嬉しいかも(笑)
03/27 今日は国内版で『パッヘルベル作品集』(KHM 100033)を聴く。演奏はロンドン・バロック。うん、カノン以外はさっぱりのパッヘルベルだけに、こういう1枚は結構貴重だ(笑)。内容はパルティータ集で、1695年にニュルンベルクで刊行されたという『音楽の楽しみ』からのものがメイン。うーん、4番、5番、6番あたりの曲想が個人的にはいい感じだ。「カノンとジーク」(3つのバイオリンと通奏低音のための)も、ここではちゃんとジークの部分まで入っていて嬉しい。地味だからってあまり取り上げないなんてひどいよなあ(笑)。
03/15 このところお楽しみに興じる時間があまり取れないのだけれど、今日はBCJによる受難節コンサートへ出かけてみる。バッハのヨハネ受難曲第二稿。おお、こりゃ全然違うんだね。始まりからして、あの悲壮感ただよう"Herr, unser Herrscher"じゃないんだもの。ほぼまったくの別物とという感じ。でもこれはこれで実にいい感じ。どっちがいいかとか言われたりしたら困るかも(笑)。なかなか面白い二時間半だった。で、今日ついでの収穫は、NECが毎年出しているらしい古楽レクチャーレポート(というかパンフレット)。会場で配っていたので、せっかくだから10冊すべていただいてきた。ま、ゆっくり読むことにしよう。
03/06 今日は朝からテレビでヴェニス・バロック・オーケストラの演奏の模様を一部放映していた。これまたCDとも微妙に違う感じの躍動的なヴィヴァルディ。朝からなかなかいい気分だ。というわけで、ついでにアンドレーア・マルコンによるオルガン演奏でドメニコ・スカルラッティ『オルガンのためのソナタ集』(CDX 79607)を聴く。来日公演でたぶん耳にした曲も入っている。演目のリストが紛失しまって確認できないけど、たぶんソナタ・ニ長調(K.281)とかソナタ・ト長調(K.328)あたりかな。全般にちょっと平坦な印象。ま、それはそれでよしとしよう(笑)。練習曲という形で膨大なチェンバロ用ソナタを残したとされるD.スカルラッティだけど、ライナーノーツによれば一部の作品はオルガン用(当時の室内用オルガンなど各種)と目されるのだそうだ。うーん、なんだかスカルラッティの教会音楽が聴きたくなってきた(笑)。

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