古楽蒐集日誌 - 過去ログ

2002年12月〜2003年07月



07/29 これはもう文句なしの名盤。タリス・スコラーズによるヴィクトリア『レクイエム』(Gimel、CDGIM 012)(87年の録音)。この溶け込み具合、この音の広がり、まさに惚れ惚れするよう。今月初めの来日公演はタイミングが合わなくて逸したのだけれど、たしか「レクイエム」もプログラムによっては入ったはず。うん、ぜひまた来日して欲しいっすね。最近出た『エッセンシャル・タリス・スコラーズ』(Gimel、CDGIM 201)はいいとこ取りのベスト盤。超有名なアレグリ「ミゼレレ」の80年の録音から始まって、80年代の盤からの抜粋を中心に集めている。92年録音のブリュメルの「見よ、大地の揺れ動きを」からのグロリアは、先のクレマン・ジャヌカン・アンサンブルの穏やかな音の重なりやテンポとはまた違って、いっそう張りつめた印象を与えている……うーん、微妙だ。
07/27 BCJによる「ドラマ・ペル・ムジカ」なる公演に出かけてみた。この表題「音楽劇」は、当時の世俗曲の演奏会の曲目(世俗カンタータ)を指すのだそうだが、今回の公演はバッハの「結婚カンタータ」「コーヒーカンタータ」にイタリアの世俗曲を交えての演奏会。うーん、最初のドイツ人バスによるイタリア語のカンタータ(「人をたぶらかすアモルよ」はさっぱりイタリア語に聞こえず、音も不安定で「またやっちゃったか?」と不安をかき立てる出だし(笑)。とはいえ、続く結婚カンタータでは大いに巻き返し、後半のアレッサンドロ・スカルラッティ(「愛の神よ、なんてひどい奴なんだ」)、コーヒーカンタータはなかなか渋い仕上がりだった。うん、舞台演出もちょっとだけ入れていて、面白い感じに。この世俗カンタータもシリーズ化していくようなので、まずは今後も期待しよう。
07/20 古楽、じゃないけれど民族楽器(ウードなど)が使われていたので、あえてここで取り上げておこう。王子ホールの「エレクトラ3部作」の第1話「姉イピゲネイアの犠牲」。歌と一人芝居と舞踏とが、入れ替わり立ち替わり様々な登場人物を演じ分けていくという実に面白い試み。音楽はすべてオリジナルで(笠松泰洋)、始まりの曲こそギリシアっぽい(民族音楽的)で大いに期待させたのだけれど、歌に入ったら、なんだかパターン化されていて単調になってしまったのが残念。さらにクライマックスで、単純な旋律(キーは違うかもしれないが、ミドドーレー、ミドドーレー、ミソソソミレド、ソレーレドド、という感じ)を持ってきたため、その部分だけ「お前はテントでやるアングラ劇か?」という感じになってしまった。うーん。全体的に、叙情的な面がちょっとギリシアっぽくなく、きわめて日本的。ギリシア劇において運命に翻弄される登場人物は、もっと張りつめた絶望感が出ないと。うーん、来年はどうしようかなあ。3月のギリシア国立劇場の公演(演劇だけど)の凄さが改めて思い出される……。
07/13 フランスは舞台関係者のストで、あちこちの芸術祭が中止に追い込まれたり危ぶまれたりしているそうだけれど、それとは関係ないものの(当たり前だが)なんだかこのところ個人的にも、行きたい公演や絵画展に行けない状況が頻発している(体調やら仕事やらのせい……)。特に残念なのは、うっかりしていてロマノフ王朝展を逃してしまったこと(先週までだったのだが)。うーん、イコンの実物とか見たかったよなあ。ま、それとの関連もあって、今日は少し前に入手した『聖ヨアンネス・クリュソストモスの聖餐式』(HMX 2908125)を聴く。これは凄い一枚。祭儀の圧倒的な迫力に心打たれること必至。歌と朗唱とが境目をなす瞬間を目撃するかのよう。ヨアンネス・クリュソストモスは4世紀後半のコンスタンティノープルの総主教。この聖人に由来するとされる聖餐式は、形式こそ各地で違うものの、東方正教会ではほとんどどこの国でも祝われるものだそうで、この録音はソフィア合唱団(ブルガリアか?)によるもの。スラブ正教会では17世紀にポリフォニー化が定着したのだという。
07/07 最近聴いて面白かったミサ曲を二つ。一枚はアンサンブル・クレマン・ジャヌカンの新作ブリュメル『12声のミサ:見よ、大地の動きを』(HMC 901738)。カウンターテナーのドミニク・ヴィス(行けなかったけど、5月末に来日したんだっけね)が指揮に当たっている。うん、ブリュメルの曲は複雑なのだろうに(とくに最後の3つのアニュス・デイがいいっす)、この声部の重なり具合、溶け合い具合はなかなか印象的だ。ただ、しなやかさとというか、音の伸びや奥行き感は、今回のは今一つかな。もう一つは初録音(99年)だというロッティ『レクイエム』(DHM、05472 77507 2)(トーマス・ヘンゲルブロック指揮)。アントニオ・ロッティは18世紀頭にヴェネチアのサン・マルコ大聖堂の楽長だった人。こちらは収録されているレクイエム(ヘ長調)ほかはいずれも軽やかで華美な印象を与える曲で、演奏も細やかに動く旋律が際立って好印象。全体的にバランスの良さを感じさせる作りか。
07/01 今日はちょっとリュートもの。ポール・オデットが昨年出した、『ザ・ロイヤル・リューターズ』(HMU 907313)。副題に「ヘンリー8世とエリザベス1世お気に入りのリュート奏者の音楽」とあるように、ジョン・ジョンソンほかの曲によるアンソロジー。今でこそ、リュート奏者は英語でlutenistだが、当時はlewterといったらしい。今回もオデットの演奏は、ボリュームこそ抑えているものの、確かな技巧で透明感溢れる音を作り上げている。うん、実にいいっす。こういう濁りのない(と聞こえる)音って、素人がいくら出そうとしても出ないよなあ。そう感じたのは、特についこの前、某リュート講習会を聴講したせいかしらん。イギリスものを弾く(または弾きたい)人は結構多いようだけど、大陸ものだっていいんだぜ……と思うのは、最近『16世紀フランスのリュート音楽』(Jean-Michel Vaccaro, "La musique de luth en France au XVIe siècle", Editions du CNRS, 1981)を手に入れたせいかしらん(笑)。まだ読んでないけれど、とても面白そうな一冊。


06/27 最近の話題盤はなんといってもル・コンセール・スピリチュエル(エルヴェ・ニケ指揮)のヘンデル『水上の音楽&王宮の花火』(Glossa、GCD 921606)。ロンドンの初演を再現しようという大編成の「初の歴史的バージョン(première version historique)」ということだが、もう面白さ爆発という一枚だ。曲の運びも実に軽快だし、聞かせどころはそれなりに盛り上げるし。この伸びやかさはまさに「発見」か。震えるように危うい感じのナチュラルホルン&ナチュラルトランペットはなんとも絶妙だ(笑)。技術的に秀でてこその、このぎりぎり加減は大拍手もの。

06/21 このところミュシャンブレ『悪魔の歴史』(Robert Muchembled, "Une histoire du diable - XIIe - XXe siècle", Editions du Seuil, 2000)をちらちらととばし読みしている(最近邦訳も出ている。平野隆文訳、大修館書店)。西欧の「悪」の形象を追った長大な通史になっていて興味深いのだけど、音楽と悪、みたいなテーマ別の絞り込みがもってあっていいような気がする。音楽との絡みだけで悪の系譜を取り上げたら、それはそれで面白いと思うのだが……。ま、その場合、当然取り上げられるべきものの一つは(ブルースならロバート・ジョンソンのクロスロード伝説とかあるように)、タルティーニの「悪魔のトリル」話だろうなあ。夢の中で見た悪魔による演奏の美しさにとび起きて、それをすぐに書き留めようとしたという逸話(ド・ラランドへの手紙)は、心理学的にも面白いかも。というわけで今回はアンドリュー・マンツェ演奏の『悪魔のソナタ、その他の作品』(HMU 907213)なんかを聞いてみる。97年録音の盤。和音を追加した無伴奏版というのが特徴だそうだが、ライナーノーツに「悪魔だって一人で弾いていたんじゃないの」みたいに書かれているのが、ちょっと笑えるかも。でも全体の感想としては、なんだか可もなく不可もなくという感じで……。
06/14 BSでやっていたBCJによるバッハ「マタイ受難曲」。あっと言う間に満席になっていて、チケットが入手できなかった公演だけに、この放映は嬉しかった。昨年の埼玉での公演でも感じたのだけれど、この団体、きびきびとした流れを作る感触の強かった以前に比べ、あえて淀みや荒瀬を作ろうとしている感じがして(?)、個人的には微妙な不自然さというか違和感もあったり。これからどういう方向に行くのか、やはりちょっと気になるよね。それにしても鈴木雅明氏、草野厚『癒しの楽器パイプオルガンと政治』(文春新書、2003)で名指しされているのはちょっと酷という感じもする。オルガニストに限らず、あるいは音楽関係に限らず、マイナー分野のギルドには不透明な集団性がつきものだし、芸術家などの場合には道具へのこだわりみたいなものも絡むわけで、もちろんそうした閉鎖性をなくす努力、開く努力を推奨すべきではあるけれど(同書の主旨もそちらにあるのだけれどね)、そうした環境にいる個人の名を出して攻撃してもどうなるってもんでもないのでは……。この本、おそらく鈴木氏への直接取材とかやっていない気がする(もし憶測だけで書いているとしたら、その意味でジャーナリズム的には公正でなく、失格だが……)。ぶっちゃけた話、そもそも学者がサバティカルを利用して行うほどの研究か、という気も(笑)。もっと大きな社会悪を叩くとか、集団的閉鎖性の諸要因を学問的に検証するなどの方がずっと有意義だろうに。どこか中途半端な印象だ。

それはともかく、今回のマタイ、ヴァイオリンで寺神戸亮が参加していた点が見逃せない。その音の存在感、結構感じられた。廉価盤で出ているコレッリ『ヴァイオリン・ソナタ』(Denon, COCO-70459)は94年の録音だけれど、この爽快感は今聴いても色褪せていない感じ。ソナタ全曲じゃないのが、ちょっと残念といえば残念か。

06/09 昨日はFMで、エイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団によるヘンデルのオラトリオ「エフタ」を流していた。全部は聞けなくて残念だったけれど、特にその合唱部分(ケンブリッジ・クレア・カレッジ合唱団)が実に映えていた感じがする。ヘンデルのオペラ作品もいいけれど、やっぱりオラトリオやな〜、と改めて思った(笑)。そういえば、2日から8日まで、フランスはパリの音楽シテ(cité de la musique)では、第一回の声楽ビエンナーレが開催されていたらしい。雑誌『Classica』の6月号は小特集を組んでいて、フランスでの合唱の人気とその水準の高まり(アマも含め)をレポートしている。また、そのビエンナーレについては一般紙のLe Mondeも取り上げ(6月2日付け)、教会以外でのグループ活動が盛んになって、全体的な質の向上が図られている点が強調されている。
06/02 最近あまり聴いていないNHK FMの「あさバロ」(朝のバロック)。この元担当アナウンサー日野直子氏の著書が出たのは知っていたけれど(未読だけど)、関連CDも出ているのは知らなかった。書名と同じタイトルの『目覚めのバロック』(Decca、UCCD-3200)。ラジオのテーマ曲に使われているバッハ「羊は安らかに草を食み」ほか、代表的名曲を集めたコンピレーション。うん、どれも素晴らしく、いままでこういうのがなかったのが不思議なくらい。あれだけ長くやっている番組なのだから、こういう集大成的CDはまだいくつでも出せるよなあ。シリーズ化とかできないものかしらん。注目されるのは、グレゴリオ聖歌とエレミア哀歌を大分中世音楽研究会という団体が演奏していること。この水準の高さ!この団体を率いている竹井成美氏の『南蛮音楽その光と影』(音楽之友社、1995)は最近読んだばかり。日本の西洋音楽受容の黎明(宣教師らの音楽教育から天正遣欧使節の出国・帰国を経て、隠れキリシタン再発見にいたるまで)を追った良書で、類書があまりないだけに貴重な一冊かも。


05/23 3月に逃してしまったオルランド・コンソートの公演。嬉しいことにこれをFMで放送していた。曲目は13世紀フランス、14世紀イングランド、15世紀イタリア&ブルゴーニュ、16世紀前半スペイン&ポルトガル、16世紀ドイツという、時代めぐり国めぐりという趣向の妙、なかなか面白いツアーになっている。だけどやっぱり生で聴けなかったのは残念。ライブ録音とはいえラジオだと今ひとつ躍動感が伝わってこない。

このところ時間のある時に聴いているのがジェズアルド。半音階を巧みに取り込んだ作曲家として知られているけれど、確かにその使い方は絶妙。『5声のマドリガーレ集第4集』(ラ・ヴェネクシアーナ、Glossa、GCD 920907)のマドリガーレも悪くないが、なんといっても宗教音楽が絶品という気がする。『5声の宗教曲全集』(オックスフォード・カメラータ、NAXOS、8.550742)は、1603年の聖歌集第1巻の全曲録音。この壮麗な様式美。半音階への逸脱とそこからの復帰がなんとも美しく決まる。見事。

05/11 6日あたりから昨日まで、ニューグローヴ音楽事典が無料開放のキャンペーンをしていた。少し項目を引いてみたが、なかなか詳しい内容が検索できる。こりゃ便利だ。しかしまあ、正式なライセンス料金は年間24万だそうで、組織での利用だけ念頭に置いているのがケチくさいといえばケチくさいか。検索項目数や接続時間数の制限とかあってもよいから、個人向けの廉価なライセンスを販売してほしいよなあ……。

今日は久々にレクチャーコンサートへ。「エリザベス朝の宮廷音楽ーーアントニー・ホルボーン400年記念」というやつ。講演者の金澤正剛氏によると、ホルボーン没後400年は正確には昨年末なのだそうだ。謎の多い作曲家ということで、密使みたいな仕事もしていたのではないかという話。そういえば金澤氏は、1980年にトゥールで開かれたリュート音楽のシンポジウムの論文集『リュートとその音楽』("Le luth et sa musique II ", Editions du CNRS, 1984)に、ホルボーンのリュート曲とその他楽器への編曲版を比較する論考を寄せていて興味深い。今回の演奏はリュートソロと弦楽三重奏曲、五重奏曲。永田平八氏のソロ演奏は味わい深いものだったが、終盤、低音弦の調子が悪くなったのか音が割れまくっていたのが残念といえば残念。三重奏曲はなんだかバランスが悪かったが、弦楽五重奏曲はなかなか。とはいえ、最後にリュートが加わったのだけれど、ヴァイオリンの音量(だいぶ抑えていたようだが)相手にルネサンスリュートが対抗できるわけもなく、なんだか隠し味にしかなっていなかった……うーん、こんな感じでいいのか?

05/08 テレビ(BS)でコンバッティメント・コンソート・アムステルダムの公演の様子を放映していた。うん、活きのいい演奏がなかなか。曲目はヘンデルの合奏協奏曲、ヴィヴァルディの「調和の霊感」、バッハの組曲4番、それからフックス「シンフォニア」。フックス(17世紀オーストリア)って聞いたことなかったけど、対位法の教本なんかも出しているのだそうな。ちょっと注目してみたい。注目といえば、昨年からの重点目標にしていたテレマン。これも盤によって結構違う(当然だが)なあと改めて思ったのは、最近『ダルムシュタット序曲集』(ケルン室内オーケストラ、NAXOS、8.544244)と、『組曲集』(ベルリン古楽アカデミー、HMC 901654)を続けて聴いたから。同じように組曲を扱いつつも、洗練されているのだろうけれどどこか平板な印象の前者と、微妙な軽妙さを引き立たせる後者、という対比が感じられて面白い。テレマンもまた、相当に難しいのだろうなあ。


04/25 昨日、一昨日と、BSでレ・ザール・フロリサンの公演を放映していた。うーん、改めてその優美さを堪能。言うまでもなく、こういうテレビ映像のよさは、一つには指揮しているクリスティの表情がわかること。曲に対する愛着がよく伝わってくる気がする。仕切直しというか、初心に帰る意味でちょっと前に読んだ金澤正剛『古楽のすすめ』(音楽之友社、1998)のまえがきには、学寮の自室をロココ調に変えてしまった逸話などが紹介されていて面白い。なかなか変わった人だったんだねえ。

変わっているといば、この一枚も変わっている(面白いという意味で)。『オルガンの声 - ゴシック時代の鍵盤音楽』(ジョセフ・ペイン、DICD 920593)。ドイツは15世紀半ばの「第一黄金期」のオルガン写譜による曲集なのだが、なんだか世俗曲のオンパレードのような印象(笑)。当時の写譜には、著名な作曲家の声楽曲などをオルガンにアレンジしたものも多かったのだという。使われている楽器は、メクレンブルクのギュストロウ聖堂にあるオルガンと、フローニンゲンにある実奏可能なオランダ最古のオルガンだというが、実に表現力に富んでいる。曲の独特な面白さとも相まって、実に印象的な一枚になっている感じ。

04/22 まとまった時間が取れなかったので切れ切れに聴いていた『ベネチア、サンマルコ聖堂の音楽』(バルタザール・ノイマン合唱団ほか、DHM、05472 77531 2)。これはサンマルコ聖堂ゆかりの音楽家の作品(17世紀ごろ)を集めた一枚。「ルネサンス音楽やるなら一度は行け」といわれる(らしい)ベネチア、パラッツォ・ドカーレ(総督宮)の私設礼拝堂だったサンマルコ聖堂は、政治的儀式の中心として、ローマとは異なる典礼を育んでいったとされる。全体的に当時の少人数編成を模した端正な演奏で(ライナーノーツによれば、儀式を描いた絵画からわかるという。音楽図像学的アプローチ)ジョヴァンニ・ガブリエーリの声楽曲がやはりとりわけ光っているというか。

これはこれで面白いのだが、さらにド迫力なのが、ベネデット・マルチェッロ『ベネチア風レクイエム』(アテスティス合唱団ほか、CHAN 0637)。マルチェッロは18世紀初めごろに活躍したベネチアの作曲家。今でこそ忘れられたような存在だけど、かつてはペルゴレージやパレストリーナに並び称せられるような評価を得ていたのだそうだ。そしてこの「レクイエム」、旋律的にも構成的にもバッハを彷彿とさせるようで、壮大さも全然劣っていない。圧倒された。

04/15 教会暦では今週はホーリーウィーク。ここはやはり関連ものを、というわけで今回はシャルパンティエ『聖水曜日のテネブレ』(コンチェルト・ヴォカーレ、HMC 901005)。ライナーノーツによると、ルイ14世のころには「聖水曜の第一の朝課」といえばすでに聖木曜日の朝課のことを指していた(前日に行われていた)そうで、そのため歌詞にはエレミアの哀歌が使われている。メリスマ様式(一音節に複数の音符が当てられる)の一つの頂点だとも書かれるこの『テネブレ』、17世紀末ごろのフランスでは、朝課の音楽(テネブレ)は大衆の間で人気を博したのだそうで、つまりは世俗化したのだというが、このどこか切ない歌のメロディを聴いていると、そうした世俗的な人気も妙にうなずける気がしてくる。控えめな伴奏と伸びやかな声とがとてもいい感じだ。
04/04 2月にアトス山のルポルタージュを見てから、ずっと気になっていたギリシア正教もの。で、ようやく一枚入手できた。これは嬉しい。『正教の聖体礼儀(The Orthodox Divine Liturgy』(sony、S2K89203)。Divine Liturgyは正教での聖餐のこと。それにしても、ギリシア語の響きはなかなかに刺激的(いわゆる歯音などが特に心地よいかも)。アラブ圏のものに部分的に類似するかと思えば、実に明るい感じの独特の動きになったりもするメロディ。あくまで印象だけで言うと、西欧で12世紀ごろから広まる「磔刑の苦しみのキリスト」以前の、いわゆる「栄光のキリスト」的イメージを色濃くとどめた歌のように聞こえる。


03/11 ルネサンスやバロックの話ではどうしてもその「諸分野の平行関係」が注目される。最近、マリオ・プラーツ『ムネモシュネーー文学と視覚芸術の平行現象』(高山宏訳、ありな書房)を改めて読んでみた。プロップの昔話の形態論じゃないけれど、現象そのものではなく機能の同一性に着目しようというのがその主旨。かくしてルネサンス絵画の蛇状曲線と当時のソネット改革、バロック絵画の襞の描写と当時の自由思想、ロココの混融と当時の小説作品(ディドロなど)が関連づけられる。うーん、なかなか面白い。襞という話については、ジル・ドゥルーズ『襞ーーライプニッツとバロック』(宇野邦一訳、河出書房新社)なんかもえらく晦渋だけれど興味深い。ライプニッツの唯心論的「モナド」が、バロック絵画の表面の激情的言語と内部の静穏な平和との対比(襞によって分かたれる二つの世界)に対応する様を、詩的に綴っていく。

そうした二重世界の対比は、確かにいろいろな曲で感じ取ることができるように思えるけど、例えば手元のものでは、マリー=クレール・アランのオルガン演奏によるグリニー『讃歌(Les Hymnes)』(Erato、3984-27443-2)なんかもその好例かも(ま、どちらかといえば静謐さの方に重きが置かれている感じだが)。収録されているのは、ランの大聖堂のオルガニストだったニコラ・ド・グリニー(ライプニッツの同時代人だ)の「オルガン曲集第1巻」。曲としても渋いし、演奏も端正。

03/01 初来日だというドイツのリューティスト、ルッツ・キルヒホフのリサイタルに行ってみる。ロイズナーの組曲などはいかにも難物という感じだったけど、この人の持ち味みたいな部分は、トークもさることながら、前半の締めくくりのヴァイス(ギャラント風小品)と、後半のファルケンハーゲン(自分でも引けない曲を作った変な人、とみずからコメントしていた(笑))のソナタ(ヘ長調)によく出ていたんじゃないかなと。アンコールも、スペインの初期のものだというアップテンポなサラバンド、バッハが気に入っていたというヴァイスの「ロンドー」「サラバンド」などなどてんこ盛り。なかなか楽しいリサイタルだった。


02/25 昨日は行きたいコンサートがバッティング。ミシェル・コルボの「ヨハネ受難曲」かヴェニス・バロック・オーケストラか……で、結局コルボの方へ。うーん、2年ほど前の「ロ短ミサ」の時も思ったけれど、この解釈と、どこか球形を思わせる音響は実に独特。昨年の1パート1人という形式の「ヨハネ」よりも、むしろこちらの方がはるかに斬新だ。これは賛否両方ありそうだ。個人的にもちょっと抵抗感があったなあ。最初の頃のテンポ設定なんかには、ちょっと不満というか落ち着かない感じを喚起したりもしたけれど、それでも終盤の静謐感と盛り上げ方はちょっと面白かったりした。「ヨハネ」の印象が解釈如何でどれだけ変わるかを実に明確に示してくれたので、よしとしよう(笑)。
02/21 今日は時間を作って上野の「ヴェルサイユ展」を観に行ったのだが、平日なのにものすごい人出で、ろくに眺めていられなかった……うーん、なんだったのだろう。日本人って、そんなにヴェルサイユとかブルボン王朝とか好きだったかなあ?展示コンセプトはルイ14世からだが、ヴェルサイユ宮自体はルイ13世による狩猟用の屋敷の建造が発端なのだから、ルイ13世あたりからの展示品を見せてほしかったよなあ。というわけで、関連CDとしてル・コンセール・デ・ナシオン(ジョルディ・サヴァール指揮)の『ルイ13世のオーケストラ』(Alia Vox、AV9824)を挙げておこう。無類の音楽好きだったというルイ13世の生涯の節々を彩った曲の数々を再現した一枚で、なかなかご機嫌だ。それにしてもこういう録音を精力的に手がけるサヴァールにはいつもながらホント脱帽。
02/16 待ってましたとばかりに、今日はレ・ザール・フロリサンの公演へ。前半はパーセル「妖精の女王」の抜粋。ん、これってなんだっけ、とか思っていたら原作が『真夏の夜の夢』なんだそうで。後半はラモー「優雅なインドの国々」の一部。とりわけ前半のプログラム、進むにつれて実に盛り上がっていく様は圧巻。後半はラモーだけにまたちょっと味わいが違って、これはこれで端正な演奏。別の日の「メサイア」はちょっと行けなかったけど、さすがに彼らのおハコだというだけあって、実に見事でやんした。拍手。
02/08 テレビでギリシア正教の聖地「アトス山」のルポを放映していた。ここって許可ないと入れないんだったよねえ。テレビカメラが入るのも初めてだったそうだが、イコンなどをもうちょっと映して欲しかった気もする。また、定時の勤めで唱われる聖歌が秀逸。もっと長く聴きたかったのだけどね。残念ながらギリシア正教もののCDは手元になかったよなあ。西欧圏の中世の修道生活というのも、多分にこれに近いものがあったはず。そういう思いを馳せつつ、とりあえずNAXOSの『サルヴェ・フェスタ・ディエス』(イン・ドゥルツィ・ユビロ、8.550712)を改めて聴く。女声聖歌隊による各季節のグレゴリオ聖歌集で、10世紀ごろの最古のネウマ譜に基づいた演奏とのこと。じっくり旋律の妙が味わえる。


01/25 今日は「無人島」を観る。ハイドンの歌劇なんて初めてだったけど、これは実に面白い仕上がり。ま、例によってたわいもない話なのだけれど、ハイドンの「過渡期性」(古典派への)みたいな部分がよく出ている感じの音楽。演奏もなかなか。移動しながら床に描かれた絵を映し出していく鏡による場面転換もちょっとにくいアイデアで、本来ならかなり冗長だろうなあと思われるラストのまとめ方も面白かったっす。登場人物もほぼ熱演という感じ(3人までは)。おそらくは室内向けなのだろうこうした歌劇、小規模な劇場で小編成でやるというのはぜひ続けてほしいっす。
01/22 フランスはナントで毎年開かれる「Folle Journée」という音楽イベント。今年は「モンテヴェルディからヴィヴァルディまで」と題したイタリア特集だそうで、なんとまあ一帯で200から250ものコンサートが開かれるという。このイベント、地元経済だけでなくCD販売などにも結構貢献しているという話で、実際このイベントに関連して、アマゾン・フランスなどは関連CDの販促をかけている。イタリアものということで最近面白かったのは、もう少し時代的に古い『メディチ家の狂宴(Una stravaganza dei Medici)』(タヴナー・コンソート、HMV 5 73863 2)。1589年、フィレンツェで行われたトスカーナ大公フェルディナンド・デ・メディチとクリスティーヌ・ロレンヌ(カテリーナ・デ・メディチの孫娘)との結婚式を祝して上演された「ラ・ペッレグリーナ」の幕間劇の曲を再現したもの。マルヴェッツィーとマレンツィオを中心に当時のそうそうたる作曲家が音楽を担当し、音楽監督はカヴァリエーリだったという。詳しくは米田潔弘『メディチ家と音楽家たち』(音楽之友社、2002)のp.213以降を参照のこと。うーん、このCD、その幕間劇の壮麗さをいやがおうにも想像させてくれる迫力の一枚だ。
01/16 最近は「古楽的演奏」も徐々に時代を下ってきているようで、ヨハン・シュトラウスあたりまで射程に(笑)。ピリオド楽器によるオーケストラ・アニマ・エテルナの『ヨハン・シュトラウス』(zzt 020601)はどこか朴訥というか、ひたすら余計なものをそぎ落とし、踊りへの奉仕に徹するかのような演奏で、なんだか妙な気分になる。うーん、こういうのを聴くと、オーセンティシティを標榜するような古楽演奏を、あくまで一解釈として相対化する必要性に改めて思い至る感じ……。

とはいうものの、やっぱり古楽系はいいなあ、と改めて思うこともしばしばだけに悩ましい(大笑い)。このところ聴いている『カール5世 - ミル・ルグレ』(AliaVox AV9814)(ジョルディ・サヴァール指揮)も味わい深い一枚。カール5世の生涯に沿って同時代の楽曲を集めるという面白いコンピレーションで、ジョスカン・デ・プレ、クレマン・ジャヌカン、モラーレスなども楽しめるが、ヨアン・デル・エンツィーナ("Todos los bienes del mundo ")、カベゾン("Bell qui tients ma vie")なんかも逸品の趣。ザ・ハープ・コンソートあたりが取り上げていたご機嫌なナンバーはアドリアン・ヴィラールトの曲だ。全体の構成はそれだけでカール5世の生涯を浮かび上がらせる。ついでにジョセフ・ペレ『カール5世とハプスブルク帝国』(塚本哲也監修、創元社)を一読してみるのも一興だ。

01/03 年明け第一弾はヴォーカル・アンサンブル・カペラのニューイヤーコンサート「『主の割礼の祝日』の晩課」へ。会場の教会はほぼ満員状態。ちょっと年明けから受付で大騒ぎをしている客もいて苦笑(顰蹙)を買っていたが、コンサート内容は素晴らしく、グレゴリオ聖歌とポリフォニーを交替で唱い綴っていくというもの。フランス式発音法のラテン語で一貫していた。特にメインとなった後半の、グレゴリオ聖歌とデュファイとを偶数・奇数節で唱い分けた賛歌「christe, redemptor omnium」や、アントワン・ブリュメルの「第二旋法のマニフィカト」はとても印象的。


12/22 昨日はロバート・バルトのリュートリサイタルへ。ヴァイスとハーゲンのプログラム。うん、演奏によってはひたすら技の巧みさをアピールするだけになったりもする(?)ヴァイスのソナタだけど、バルトの演奏はそんなところにとどまってはいない(当たり前か)。表現力のある演奏だと、ヴァイスのソナタには改めて惚れなおす感じがするよなあ。ハーゲンはよく知らなかったのだけれど、古典派っぽい作りの曲が妙に新鮮に聞こえたり(笑)。なかなか面白い二時間だった。

話は変わって、クリスマスものとしてちょっと面白い一枚が、Virginから出ている『東西の聖歌』(シスター・マリー・ケルーズ、7243 5 45389 2 6)。2枚組で、1枚目はキリスト生誕にまつわる東方教会の伝承歌を集めたもの。シリアのマロン派やビザンツのメルキ教徒などの聖務の歌がアラビア語で歌われているからものすごい。ライナーノーツの冊子の歌詞も当然アラビア語併記(余談だが、今週はNHKのラジオで期間限定のアラビア語入門講座が始まっているぞよ)。この土着性というか、匂いというか、ともすれば見失ってしまいそうな「小アジアの根っこ」の部分に思い至らしめてくれる。と同時に、歌自体の響きにもまた実に深い味わいがあることを再認識させてくれる。うーん、なんともいえんなあ。対照的な2枚目は西欧のクリスマスにふさわしい「アヴェ・マリア」集。1600年くらいかけてここまで変遷してきた、と考えると、これもまた驚異的なことなのだなあという気になってしまう。

12/17 テレビでザ・ハープ・コンソートのコンサートを放映していた。行けなかっただけに、ちょっと嬉しい。さらに最近その『ミサ・メヒカーナ(メキシコのミサ)』(HMU 907293)もゲット。ユアン・グティエレズ=デ=パディリャ(17世紀)作曲のパロディ・ミサ「我は野の花」を中心とした1枚。スペインの音楽的基礎、新大陸の独特なリズム、そして奴隷海岸から来たアフリカ人の伝統などが相まって、17世紀ごろの中南米では教会を中心に豊かな音楽的伝統が育まれていたということだが、この1枚もどこか不思議に躍動感に溢れている感じ。もちろん、ハープ・コンソートの舞台の面白さには比すべきもないけどね。
12/08 昨日は内輪な集まりでリュートを弾く……が、ちょっと撃沈(苦笑)。人前で弾くのは難しいなあと、改めて反省。まあゆっくり慣れていくしかないのだけどね。で、ちょっと模範演奏的なものを聴こうというわけで(?)、ホプキンソン・スミスによる『アテニャン - リュートのためのプレリュード、シャンソン&ダンス』(E 8854)。これがまたなんとも素晴らしい仕事だ。この透明感あふれる響き。アテニャンの曲って、なんだかちょっと変わり種っぽいのが多い気がする(偏見だけど)けど、こういう演奏で聴くと実に味わい深い。

さて、時期的にはクリスマス向けCDの季節だ(笑)。今年ゲットの一枚目はヘレベッヘ/コレギウム・ヴォカーレによる『バッハ以前のドイツ・カンタータ』(HMC 901703)。トゥンダー、クーナウ、ブルーンス、グラウプナーのそれぞれのカンタータが収録されていて、バッハにいたるドイツの音楽的伝統の巨大な流れのようなものを少しだけかいま見せてくれる気がする。コレギウム・ヴォカーレがまた淡々と歌い上げているのも印象的。上の作曲家たち、特に前3者はオルガニストだというから、ちょっとオルガン曲も探してみたい。




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