5.メディオローグ的日常
(書評の試み)
99年10月〜12月

ヴィレム・フルッサー『写真の哲学のために』
(深川雅文訳、勁草書房、1999)
19世紀に写真が誕生した時から、テクストと画像の関係は逆転する。それまではテクストが画像を「引きさ」いていたのに対し、装置によって生み出されるテクノ画像は「テクストを「引きさく」。フルッサーはそれを「プログラム化された魔術」だと称する。では、われわれには、それを脱魔術化する道は残されているのだろうか。同書は83年にドイツで刊行されたというが、ここには一種ポストモダンへの反省のようなものが見えかくれする。なによりもそれは、フルッサーが、芸術としての写真を取り巻く機構(装置)に投げかける視線に現れている。今や人は機械に囲まれているのではない、機械が人に囲まれている、世界は装置の可能性を実現する口実としてあるのだ、とフルッサーは述べる。そして芸術写真家こそが、そうした状況からの抜け道を探っているのだという。写真家は装置によってプログラムされ、写真を見る人々も写真家によってプログラムされている。ここからフルッサーは「すべての装置は『人工知能』である」と言い放つ(それは決して暴言ではない。装置はすべからく外在化の賜だからだ)。複合化したプログラムの中で、ではどうやって脱魔術化することができるのか。その問いは開かれたままだ。芸術家の、ある意味でテロリズム的な戦略が功を奏するとはさほど思えない。なぜならフルッサーも言うように、今や「流通装置のチャンネル」こそが「意味を規定」しているからだ。かくしてチャンネルは「見えなくなっている」。ならば、そのチャンネルこそを検討に付してしかるべきだ。同書はそこまでは立ち入っていない。その仕事はわれわれに課されている。

ハルオ・シラネ、鈴木登美編『創造された古典』
(新曜社、1999)

カノン(正統と見なされる古典)が、きわめて歴史的・政治的に規定されたものであることは容易に察しがつく。研究する者はしたがって、それが誰によって、どのように、何のために規定されているのかを探っていくことになる。同書は97年3月に米国のコロンビア大学で行われたシンポジウムに基づいた研究の成果だという。「万葉集」、女流日記文学、「平家物語」、古事記・日本書紀、「伊勢物語」、「奥の細道」など、取り上げられる「古典」は、いずれも教科書などで馴染みの深いものばかりだ。それぞれの論考も興味深いが、特に冒頭のハルオ・シラネによる総説が全体の大きな要約をなしている。そこでは、ジャンルの序列がもとは中国のモデルに従っていたことや、平安時代の仮名文学が、おびただしい数の中国語のテクストの中にあってごく一部の場所しか占めていないこと(それらへの対立物として、仮名文学は近代になって「女流文学」カテゴリーにより遡及的に構築されジェンダー化された)、18世紀になると中国の文化的植民地の地位から解放され、また、貴族・武士の朱子学に対し町人の側からのアイデンティティの確立が試みられたこと、そして明治維新以後、西欧モデルをベースとしてカノンの形成が再編されたことなどが指摘される。何を選択し何を捨てるのか、それはきわめて政治的な判断だ。そして選択されたものが、一種の「権威」として流通する。権力と流通の機構との力学が、こうして少しずつ、改めて浮かび上がってきている。

大山誠一『〈聖徳太子〉の誕生』
(吉川弘文館、1999)

上述の書籍に収められた諸論考が、いずれも政治的な側面からカノンの成立に光を当てるものであるなら、こちらでは「歴史的事象」の成立そのものの政治性が暴かれる。著者のスタンスはこうだ。聖徳太子はそのものとしては存在していない、それは後から、遡及的に仮構された政治的象徴にすぎない…。実証的なアプローチが、そうした虚構性を暴きだしていく。それはとくに日本書紀の成立をめぐるスリリングな論考となっている。大宝令以後、権力の中心人物となった藤原不比等は、国家秩序の歴史的正当化を図る作業に着手する。古事記はそうして成立する。ところが遣唐使の帰国後、国が国際的な孤立状態にあったことを思い知らされる。かくして、日本書紀の編簒を通じ、当時の仏教・儒教・道教的な知を取り込みながら、再び正当化の刷新を図ることになる。その過程で、中国的な聖天子像を取り入れる必要性から、厩戸王を「聖徳太子」として祭り上げていったのではないか。これが基本的な同書の論旨だ。説そのものの是非は専門家の判断にまかせるほかないが、それにしても力関係を視野に入れての資料の検証というアプローチは実に魅力的だ。もはや神話が、なんら検証に付されることなく大手を振って歩くような時代ではない。とはいえ、神話は常に再生産されてもいる。おそらくはそうした再生産過程をこそ、これから問題にしていかなくてはならないのだろう。そしてそのためには、下部構造としての技術的問題が改めて問われなくてはならないだろう。

加藤隆『「新約聖書」の誕生』


(講談社選書メチエ、1999))

キリスト教は、メディオロジーの基本モデルを提供している。その意味でも、聖書の成立を歴史的に読み解いていこうとする同書はきわめて示唆的だ。初期教会といわれているものは、主流派のエルサレム共同体と反主流派のヘレニストとの対立関係を軸に動いていく。そして聖書の中核をなす福音書の多くが、反主流的な側から生じていることが興味深い。マルコ福音書はヘレニストの側から生まれ、ヨハネ福音書も主流派内部の非同調者の中から出てくる。さらに主流派から分裂するパウロの動きもある。やがてそこから教会共同体が成立し、ルカ福音書、ひいてはエフェソ書などが生まれていくのだ。そうした中、ユダヤ戦争後、一方の主流派の側も「書」の重要性を認識していく(ヤコブ書、マタイ書)。そして四世紀になって、一連の公会議を経てようやく27の書が「正典」として確立される。同書ではまた、主流派・反主流派の対立を通じて、権威を得るためにそれ以前の権威を利用する様が克明に描かれる。権威は対立構造を通じて再生産されていく。それは記憶の技術を支えとしているのであり、支えとしての書は、口承による権威付けが弱まったところに出現していく(とはいえ、伝達の作用においては口承は高い地位を享受しているのだが)。同書から読み取るべきは、そうした記憶技術の、パラレルながらも拮抗する関係なのかもしれない。

フリードリヒ・キットラー『グラモフォン、フィルム、タイプライター』
(石光泰夫、石光輝子訳、筑摩書房、1999)

改めて言うまでもなく、メディアという用語で一括りにされるものの内実は、多種多様な技術革新の編成だ。その中でも、それぞれの中核をなし、その後の編成に大きな影響をなす技術的発明というものが散見されうる。それらは編成、つまり記憶の「書き込み」に大きな変化をもたらすものだ。「記憶と意識は互いに排除しあう」。両者は乖離しているのだ。よって「おのれが喋り聞く、書くのを見るというフィードバックをたちきってしまうもの」それがメディアなのだ。キットラーが取り上げる三つの発明品は、かくして意識の向こう側にあって、意識に対してのデータのフィードバックを妨げる装置なのだ。そしてそこに、意識の側は欲望の充当を割り当てていくしかない。19世紀にフロイトによって打ち立てられた精神分析という充当の理論は、まさにそうした書き込みシステムによって媒介されている。フロイトはあくまでサンボリックなものに回帰しようとするが、ラカンにおいて、そうした書き込みのシステムの反映は、きわめて精緻な形で体系化されていく。あたかも最初から、書き込みのメディアしかなかったかのように。同書の視点において何よりもまず注目すべきは、精神分析がこのように書き込みのシステムに「媒介」されているということではないだろうか。

音楽は周波数の発見とともに変わった。採譜というサンボリックな書き込みの体系に代り、蓄音機にいたって「エクリチュールに先行する純粋な差異としての痕跡」が書き込まれることになる。それはリアル(レエル)をこそ捉えようとする。フィルムは時間の短絡を可能にする(カットなど)。そしてそれはイマジネールへと向かっていく。鏡像段階は「骨抜き」にされ、心には「技術の洗礼」がほどこされる。タイプライターにいたっては、「書くことに関する物質的なものの男性による占有」が崩れ、かくして解放された女性の進出により「ロマン主義的な愛」など「追放」されてしまうのだ。

キットラーは次のように言う。魂とか精神とかいう「神秘」は、技術によって生理学や物理学へと解消した。映画にいたって、死すらものが機械化されてしまった。メディア化とは幽霊化にほかならず、チューリングマシンになるとデータとコマンドの差異すら解消されてしまう。こうしてもはや文学は終りを告げるのだ、と。いかにも挑発的な物言いではある。だが、よくよく思いめぐらしてみるならば、一方でわれわれは、そうした「神秘」の残滓を常に再活性化しようとしているのではないだろうか。そして新たなメディア機構が、そうした反動的な部分に与する可能性も残されている。われわれはおそらく、キットラーの挑発を受け止め、あるいはそれに乗りつつ、その相対化を図らなければならないのかもしれない。ちょうど精神分析的な言説が、今や徹底的に相対化されているのと同じように。

ポール・ヴィリリオ『戦争と映画』
(石井直志、千葉文男訳、平凡社ライブラリー、1999)
カメラの歴史と自動武器の歴史(クロノフォトグラフィー)、あるいは映画と戦争がパラレルな関係にあることは、上のキットラーも指摘している。そしてその際の参照元の一つをなしているのが、このヴィリリオの著書だ。邦訳は87年が初版のようだ。戦争と映画との間には二方向の関係がある。まずは映画が戦争に入り込むベクトル。もう一つは戦争が映画に入り込むベクトルだ。前者に関係して、ヴィリリオは20世紀に入ってからの戦争の歴史が、知覚の場の変貌の歴史だと述べる。「戦士にとって兵器の機能とは眼の機能」なのであり、それはナダールの空中撮影以来、偵察写真を経て、第二次大戦での「感覚世界を遮断した合成空間」にまで綿々と続く。後者に関しては、映画館の誕生がすでにして「光を生産するマーケットの特権的空間」をなし、「不動のままで動き続ける」観客の現実性を奪う。先のキットラーが言うように娯楽産業とは「軍用機器の濫用」なのだ。戦場における「まやかしの運動性」は、戦争シミュレータとしての映画を成立させるのだ。

増大する速度が現実を突き崩すというヴィリリオの命題は、同書においても貫かれ、数々のディテールを通して技術の批判へと至っている。加速化の状況は現代でもなんら変わってはいない。速度の増大はおびただしい現実の解体を招いているわけだが、言いかえるならそれは、おびただしい幽霊化の状況をもたらしている。だが、そこでの幽霊はただ現れるだけのようにも思える。思考というものが人に取り憑くのだとすれば(デリダ流に言って)、メディアの加速化がもたらすのは、無害な幽霊(現れるだけの)にすぎないのだろうか。もしそうならば人はまったく「動かされなく」なってしまうだろう。またもしそうでないならば、われわれは新たな「憑依」に無防備ではいられないことになるだろう。ヴィリリオの速度論は、おそらくそうした「亡霊論」へと接合されなければならないのではないだろうか。

Text: 99年12月



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