メディオローグ的日常
(書評の試み)
00年10月〜12月

H.C.パイヤー『異人歓待の歴史』
(岩井隆夫訳、ハーベスト社、1997)

『歓待について』("De l'hosopitalite", Calmann-Levy, 1997)でデリダは、歓待という行為が限定的にせよ可能になるのは、そこに不可能な「無限の歓待の法」が措定される限りにおいてである、ということを述べている。パラドクスだが、「歓待」はそうした不可能な法のもとに、その現実態として捉えていかなくてはならないというわけだ。そうした視座から現代社会における「歓待」という問題を考えるには、当然ながら一度は過去に遡って「歓待」の現実態の変遷を探ってみなければならないだろう。本書はそのための重要な事例を提供してくれる。ローマ人、ゲルマン人の血盟の交わりから始まって、その相互扶助的な伝統は中世にまで受け継がれる。だがそこで、領主の権力関係や貨幣経済の成立、教会の関わりなどから様々な支流が形づくられていく。例えば「居酒屋」の流れ。税関や倉庫の発展形となった「居酒屋」はシトー会が率先して設置するようになるが、やがて土地領主がそれを掌握していく。ところが都市の建設が進むにつれ、領主との間に権利上の抗争が発生する。かくして「居酒屋」は市場に従属することになり事業化する。教会はそうした「歓待業」を批判するが、いつしか共存関係を敷かざるをえなくなっていく。その教会におていも歓待の対象とする貧者概念はかなり広く、しかも教会内でも上質の客人と貧しい人々とが二分化され、特に貧者(足洗いの対象)が象徴的に12人のみ選ばれて、いわば不平等で限定された歓待を受けていた云々。

このように本書は具体的な事例を数多く挙げていくが、歴史書にともすればありがちなように、その変遷の力学についてはごくわずかに触れられているだけで、静的な記述に始終しがちな感がある。だが、より現代的な問題意識に引き寄せるためには、その動的な検討、つまり複合的な変化の動因をも見ていく必要があるのではないだろうか。おそらく実証的な研究としては難しいだろうが、やはり今最も必要なのは、そうした力学的な視座からの検討であるように思われる。その意味で本書はまさにスタート地点なのであり、まだまだ広大な研究領域が広がっているように思われる。「歓待」が心性史の領域に関わる部分でもあるだけに、そうした検討が待たれるところだ。

阿部謹也『中世賎民の宇宙』
(筑摩書房、1987)

もはや言うまでもないことかもしれないが、上のコメントで触れた「歴史への動的な視座」へと限りなく接近しているのが阿部謹也だ。例えば本書に再録された論考の中では、「モノを媒介とする関係の変化」という視点から、中世の所有権、富、労働をめぐる価値感が再考されている。それらを通じて、キリスト教の影響下での村落共同体の意識上の変化が浮かび上がってくる。このあたりは圧巻だ。だが、そこから得られた内-外の二元的宇宙を賎民の成立に当てはめる時、どうもそれがあまりに図式的になりすぎていくような気もしなくはない。

賎民論においては、マクロコスモスとミクロコスモスとの境界線上におかれた人々が賎民として扱われるようになるというのだが、記号論的にはいちおう妥当とされる図式だとはいえ、例えば煙突掃除夫と、放浪の詩人たち(ジョングルール)とがそれぞれ蔑視される際に、いずれもそうしたコスモス的な二元論でのみ見るという視点には慎重にならざるを得ない。両者には、「蔑視」における差異もあったのではないかという気がする。特に後者の場合、確かに、大宇宙の音を小宇宙へと取り込む媒介者という点で両方の世界の狭間にいるとは言えるのかもしれない。だが詩人たちは、両宇宙の一元化を目指したというキリスト教の側からもさげすまれていたことが知られているし、一方で民衆の行事では大いにもてはやされる存在でもあった。同じジョングルールでも、音楽を奏でる者と、それ以外のアクロバティックな身体行為を行う者とでは扱いが異なっている。こうしたことから考えるならば、そこに何か別の心性がからんでいる可能性を探っていかざるをえない。

トマス・カヒル『聖者と学僧の島』
(青土社、1997)

中世における写本文化の継承においてアイルランドが果たした役割を、本書はやや熱っぽく強調している。ゲルマン人のローマ帝国侵入以降、土地が荒され、豊かなその文化は一度失われかける。だが、アイルランドの学僧たちの手によってそれは救われ、再び大陸に広がっていく。この辺りの歴史については、次に挙げる『古典の継承者たち』でも簡単に触れられており、おそらく異論はないところなのだろう。実際、シャルルマーニュが進めたと言われるカロリング朝ルネッサンスにおいても、その担い手となったのはアイルランドから招かれた修道士たちだったことが知られている。一方、そのアイルランドそのものでは、写本の流入と土地の信仰などが結び付く形で独自の文化が生み出されていく。

ここで興味深いのは、アイルランドが大陸にとっての辺境であるがゆえに、その「媒介作用」をなしえたということだ。ある意味でそれは周縁の力学だと言えなくもない。そして注目すべきなのは次の点だ。その媒介過程において、媒介者の中には一種独特な「混成物」が生じるが(例えば、キリスト教の告白は一度きりだったが、アイルランドでは早い段階から、告白の反復が制度化されている)、影響を与えつつもそれは中心部分によってやがて駆逐されていくのである。まるで周縁はひたすら中心の強化のためにあるかのようだ。周縁と中心というトポスの話は現代的な文脈でもたびたび取り上げられるテーマだが、アイルランドがたどった歴史は、あるいは示唆に満ちているかもしれない。これも詳しく追ってみたいテーマ系だ。

L.D.レイノルズ、N.G.ウィルソン『古典の継承者たち』
(西村賀子、吉武純夫訳、国土社、1996))

イヴァン・イリイチ『テクストのぶどう畑で』
(岡部佳世訳、法政大学出版局、1995)

前者はギリシア・ローマの古典作家の写本が、時代を通じてどう受け継がれていったかを記した大著だ。個別の事例を通じて全体として浮かび上がるのが、書の保護や統括には組織が必要であったことと、とはいえ組織があればそれで済むわけではなく、必ずしもそれが方法と理論を有した保存・統括を導くわけではないということだ。それは初期の印刷における校訂盤の水準の低さとなって現れる。初期の印刷では、業者が選んだ一写本がそのまま刷り上げられ、本来の価値以上の権威・永続性が付与されることもあったという。印刷術が校注を育んだという議論に、これは含みをもたせるべき事象だ。確かに印刷術は校注の重要性を浮かび上がらせる結果を導いただろう。だがそれは、印刷術以前の校注(学問的にはまだ未熟でも)の伝統があったからこそなのだ。これはイリイチの小論にも通じる議論だろう。

後者のイリイチの著書はきわめて重要だ。12世紀のサン=ヴィクトル修道院のユーグ(フーゴー)による『学習論』をめぐってなされる考察だが、そこからは様々な問題が浮かび上がってくる。ユーグは記憶のマトリクスを「静的な知識体系モデルから歴史的相関関係へと発展させた」が、その後の時代、読書という行為は大きな転換を迎えることになる。12世紀といえば「12世紀ルネッサンス」と呼ばれる学芸高揚期だが、イリイチはここで、この時代の学問的収集・体系化・調和の根底に、ページ割り付けと索引(アルファベット順)の発見という一大革新があったと見る。それは文字の発明や印刷術にも勝とも劣らない革新なのだという。それこそが、後に印刷術の成立を待って誕生する「校訂本」を導くものなのだ。知識のあり方を根底から変えたその革新は、今日にまで受け継がれることになる。ともすれば印刷術のみをもって転換とみる視座に、まさに大きな含みをもたらす論点だ。

Text: 2001年1月



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