silva10

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.10 2003/06/21

------書評コーナー---------------------------------------
暴君討伐論の真相

以前『反「暴君」の思想史』という書籍を取り上げましたが、同書では真意を判
読しがたい難解なテクスト(解釈が様々だという意味で)として、ソールズベ
リーのジョンによる暴君討伐論が紹介されていました。そのあたりの話は面白そ
うで、もっと詳しい論考が見たくなってきます。柴田平三郎『中世の春 ソール
ズベリーのジョンの思想世界』はまさにうってつけの一冊です。ジョンの主著
『ポリクラティクス』を中心に、その政治論を追っていくのですが、これが実に
興味深い探求となっています。

ソールズベリーのジョン(ヨハネス)は、12世紀に活躍したイングランド人
で、学問的にはシャルトル学派に属していました。当時の知的風土としては、古
典復興にともない「世界と人間の関係の再解釈」が進んでいた、とされます。一
方、ジョンがカンタベリ大司教の秘書職についた当時、政治的にはイングランド
のヘンリー2世(聖職者が絡む土地問題を国王裁判所の管轄とし、教会と激しく
対立した)の治世で、教権と俗権との関係をめぐる緊張関係が高まっていまし
た。こうした中で著された『ポリクラティクス』は、アリストテレス(12世紀
にはすでに、「オルガノン」の実質的な部分は伝えられていた)やキケロ(中世
には一種のキケロ主義もあった)を取り込みつつ、国家身体論(人体と国家を比
喩で結びつける)という形で、あるべき政治の姿を示そうとした著書だったとさ
れます。

同書で示されている重要な問題の一つが、ジョンの国家身体論です。君主は
「頭」、聖職者は「魂」に相当するとされ、一見すると、教権(聖職者)が俗権
(君主)に勝るという教権論になっているように見えるのですが、ジョンの場合
はそうではない、と著者は論じます。従来、クレルヴォーのベルナルドゥスなど
が論じる両剣論(精神的剣と物質的剣)は、教権と俗権を指すもののように理解
されてきましたが、実はそうではないのだそうで、物質的剣とは、教会が具体的
手段で強制力を行使する権利だ、というのが最近の解釈なのだそうです。ジョン
の場合も、そういう意味での両剣論を踏まえていて、その国家身体論も、結局は
身体の各器官が同じ目的に向けて協働することに力点が置かれていることを著者
は指摘しています。つまり、頭より魂が上だなどという単純な図式ではない、と
いうことなのです。

となると、暴君討伐論も、また新たな文脈に置き直されることになります。つま
り『ポリクラティクス』は、君主の鑑という文学ジャンルを踏襲しつつ、それを
君主個人ではなく、「政治社会の枠組み」において展開した斬新なものだった、
というのです。そうなると、暴君の扱いなどは論旨の上での本筋ではなく、あく
まで「レトリックの発展」として記されているのだ、という解釈がいよいよ説得
力を持ってきます。当然これは、テクストに深く潜って行かなくては得られない
視点です。そしてこの論考そのものも、テクストに深く潜っていく場合の古典
(中世文献も含めて)の読解がどれほど面白いものになるかを示す、実に優れた
例をなしていると思えるのです。

○『中世の春 ソールズベリーのジョンの思想世界』
柴田平三郎著、慶應義塾大学出版会、2002、
ISBN4-7664-0903-5

------新刊情報--------------------------------------------
新刊情報です。

○『悪魔の歴史 12〜20世紀 西欧文明に見る闇の力学』
ロベール・ミュッシャンブレ著、平野隆文訳、大修館書店
ISBN4-469-25071-6

フランスの文化史家による、西欧の悪魔と悪の形象を追った力作の待望の翻訳。
通史の形ですが、前半で中世が詳しく扱われています。

○『磁力と重力の発見 1 古代・中世』
山本義隆著 、みすず書房
ISBN:4-622-08031-1

「古代ギリシャからニュートンとクーロンにいたる科学史空白の一千年余を解き
明かす」(内容説明)という3部作の一冊。実に興味をそそるテーマです。


------文献講読シリーズ-----------------------------------
「シャルルマーニュの生涯」その6

今回は9章と10章を見てみます。9章で言及されるスペイン戦役は、中世の武
勲詩「ロランの歌」に描かれたものです。

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[9] Cum enim assiduo ac poene continuo cum Saxonibus bello certaretur,
dispositis per congrua confiniorum loca praesidiis, Hispaniam quam maximo
poterat belli apparatu adgreditur; saltuque Pyrinei superato, omnibus, quae
adierat, oppidis atque castellis in deditionem acceptis, salvo et incolomi
exercitu revertitur; praeter quod in ipso Pyrinei iugo Wasconicam perfidiam
parumper in redeundo contigit experiri. Nam cum agmine longo, ut loci et
angustiarum situs permittebat, porrectus iret exercitus, Wascones in
summi montis vertice positis insidiis - est enim locus ex opacitate silvarum,
quarum ibi maxima est copia, insidiis ponendis oportunus - extremam
impedimentorum partem et eos qui novissimi agminis incedentes subsidio
praecedentes tuebantur desuper incursantes in subiectam vallem deiciunt,
consertoque cum eis proelio usque ad unum omnes interficiunt, ac direptis
impedimentis, noctis beneficio, quae iam instabat, protecti summa cum
celeritate in diversa disperguntur. Adiuvabat in hoc facto Wascones et
levitas armorum et loci, in quo res gerebatur, situs, econtra Francos et
armorum gravitas et loci iniquitas per omnia Wasconibus reddidit impares.
In quo proelio Eggihardus regiae mensae praepositus, Anshelmus comes
palatii et Hruodlandus Brittannici limitis praefectus cum aliis conpluribus
interficiuntur. Neque hoc factum ad praesens vindicari poterat, quia hostis
re perpetrata ita dispersus est, ut ne fama quidem remaneret, ubinam
gentium quaeri potuisset.

9.ザクセン人との戦いはほぼ途切れることなく続いたが、境界のしかるべき場
所に陣営を敷くと、彼は最大限の戦の準備をしてスペインへと赴いた。ピレネー
を越え、襲撃してはすべての都市や城を降伏させたが、軍隊は無事で、無傷のま
ま帰路についた。ただしピレネー山脈では、帰路、一時ガスコン人の奇襲に遭遇
した。土地が狭まっていたため、軍は長い隊列を組んで進んでいたが、ガスコン
人の側は切り立った山頂で待ち伏せしーーその場所は森の最も茂った場所で、隠
れて見えにくく、待ち伏せるには好都合な場所だったーー荷物運搬の末尾部分
と、最後尾を進んで先を行く部隊を守っていた隊列とに上から襲いかかり、谷に
突き落とそうとした。彼らとの戦闘は、最後の一人を殺害するまで続き、荷物は
略奪され、夜になったのに乗じて、彼らは様々な方向に急いで散っていった。こ
の一件では、ガスコン人の側は武具の軽さと地の利に味方されていた。反対に、
フランク人側は武具が重く、場所としてもあらゆる点でガスコン人より不利な戦
いを強いられた。この戦いでは、王の給仕だったエギハルドゥス、宮廷の侍臣ア
ンセルムス、ブルターニュ属領の総督ロラン、その他多くの者が命を落とした。
この件についてはすぐさま復讐することもままならなかった。というのも、ひと
たび戦を成し遂げると、敵は分散してしまい、情報も残らないほどで、どの民族
に潜り込んだか探ることもできなかったためだ。

[10 ] Domuit et Brittones, qui ad occidentem in extrema quadam parte
Galliae super litus oceani residentes dicto audientes non erant, missa in eos
expeditione, qua et obsides dare et quae imperarentur se facturos polliceri
coacti sunt. Ipse postea cum exercitu Italiam ingressus ac per Romam iter
agens Capuam Campaniae urbem accessit atque ibi positis castris bellum
Beneventanis, ni dederentur, comminatus est. Praevenit hoc dux gentis
Aragisus: filios suos Rumoldum et Grimoldum cum magna pecunia obviam
regi mittens rogat, ut filios obsides suscipiat, seque cum gente imperata
facturum pollicetur, praeter hoc solum, si ipse ad conspectum venire
cogeretur. Rex, utilitate gentis magis quam animi eius obstinatione
considerata, et oblatos sibi obsides suscepit eique, ut ad conspectum
venire non cogeretur, pro magno munere concessit; unoque ex filiis, qui
minor erat, obsidatus gratia retento, maiorem patri remisit; legatisque ob
sacramenta fidelitatis a Beneventanis exigenda atque suscipienda cum
Aragiso dimissis Romam redit, consumptisque ibi in sanctorum veneratione
locorum aliquot diebus in Galliam revertitur.

10.シャルルはブルトン人をも制圧した。彼らはガリアの西の外れの海岸に住
んでいる一族で、命令を聞こうとしなかったため、遠征を送り、人質を解放さ
せ、命令された通りにすることを約束させられた。シャルル自身はその後、軍と
ともにイタリアに赴き、ローマを経由してカンパニア地方の町カプアに到着し
た。ここで城塞を築き、ベネウェントゥム族に対して、降伏しないならば戦うぞ
と脅しをかけた。これを見越したアラギス公は、息子のルモルドゥスとグリモル
ドゥスに多額の金銭をもたせて王のもとに遣わし、「それらの息子を人質として
いただきたい。命令にも自ら民族をあげて従うことを約束する。ただ一つ、自分
が王への謁見に赴くことだけは強要されたくない」と申し出た。王は、この者の
強情よりもその民族の幸福を重んじ、人質の申し出を受け入れ、多くの貢ぎ物の
代わりに謁見に来ることは強要しないことを認めた。息子たちのうち弟の方は人
質としてとどめ置き、兄の方は祖国へ返した。ベネヴェントゥム族がアラギスと
ともに行うべき義務を定めた忠誠の誓約のために使者を遣わしたシャルルは、
ローマに引き返し、神聖な場所での瞑想に数日を費やした後、ガリアに戻った。

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ガスコン人による襲撃事件とされている出来事は、岩波文庫版『ロランの歌』
(有永弘人訳)の解説によると、スペインのイスラム教徒討伐後、ピレネーのロ
ンスヴォー峠でバスク人の襲撃を受けた事件だと記されています。778年8月15
日の事件です。武勲詩の方は、テクストとしては迫真に迫る筆致が見事で、壮絶
な戦いとして事細かに描かれています。

10章の方に見られるベネヴェントム(ベネヴェント)人については詳しいこと
は不明ですが、ベネヴェントという地名はイタリア南部カンパニア州の町として
残っています。また、中世の写本の字体で「ベネヴェント体(Beneventan)」
というのがあり、モンテ・カッシーノ修道院を中心に13世紀ごろまで使われた
といいます。ベネヴェント体のサンプルはネット上で見ることができます。慶応
大学のHUMIプロジェクトのサイトには字体のサンプルがあります(http://
www.humi.keio.ac.jp/~matsuda/collection/script/scriptsample1.html)。
写本のページの画像などもあります(http://www.columbia.edu/acis/ets/
seminar/benevent.html)。こういうのを眺めているのは楽しいですね。

次回は11章、12章あたりです。まだちょっと戦の話が続きます。

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(C) Medio/Socio (M.Shimazaki)
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