March 13, 2004

No.28

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.28 2004/03/06

------クロスオーバー-------------------------
宗教と貨幣

中世の宗教に対する考え方を、現代の貨幣に関する考え方でたとえてみると意外
にすっきり理解できることは、以前ここで取り上げた瀬戸一夫氏の著作などでも
明らかですが、このことはより論理的に突き詰めることもできそうです。少なく
ともそういうプロセスの一端を、例えば中沢新一『緑の資本主義』に見ることが
できます(この著書は、講談社の選書メチエで出ている同氏の「カイエ・ソバー
ジュ」シリーズでも何度も言及されていますね)。

一神教の「一」は、後期旧石器時代の人類が見いだした「超越」概念を表すもの
で、それは人類の認識の一大変革だった、と著者は言います。それは多神教的な
魔術的思考を蹴散らしていくというのですが、一方では、その魔術的思考こそ
が、増殖する価値という意味において経済の温床をなすものでもあったとされま
す。すると、一神教と経済とは対立しあうもの、一方が他方を批判するものとい
うことになります。一神教をその原理において守ろうとするイスラム教の場合、
貨幣価値の増殖を阻もうとします。コーランにおいては利子などを徹底して禁じ
ます。逆にキリスト教は、貨幣の生産性を否定するのではなく、あくまで貨幣が
貨幣を生む状況を制限すればよい、という考えに向かっていきます。それは、キ
リスト教が必ずしも魔術的思考を遮断していないためなのですね。

そのため、例えばトマス・アクィナスなどの神学論を経済論的に読むことができ
るのだといいます(実際、古典派経済学のルーツは、トマスなどのスコラ学に遡
れるのですね)。たとえば三位一体論です。父と子の関係が示すように、神と人
間との世界の間が断絶しておらず(イスラムの場合とは逆に)、また、聖霊の
「発出」に見られるように、現世において価値の差異、流動性が生み出されると
すれば、世界はまさに資本主義的な世界に向かっていくしかない……資本主義的
精神はプロテスタントにというよりも、カトリックの教義に内在しているかのよ
うです。いずれにしても、スコラ哲学は資本主義の本質に肉薄している、と著者
は論じます。マルクスが『資本論』で神学を引き合いに出しているのも、ごく自
然なことなのだというわけです。これは実に刺激的な読み方です。実際、スコラ
哲学は、社会が都市化し商業化する中で練り上げられています。そうした並行関
係として読んでいくことは実に興味深いですね。

そしてその対極には、貨幣的増殖を禁じるイスラム教の独自の経済があるとされ
ます。ですがこの部分は、イスラムをやや原理的に理想化している感じもなくは
ありません。スーク(アラビア語で「マーケット」ですが)の描写もやや理想的
ですし、イスラム世界にも神秘主義的な系譜もあり(ネオプラトニズムの流れな
ど)、その周辺にはあるいは魔術的思考の残滓も見いだされそうです。そういう
部分も拾い上げていく必要があるかもしれません。もちろん、世界化した今日の
資本主義への批判という点からすれば、同書が十分にその骨子を示した議論に
なっているのは確かです。ですが、イスラムを対立軸に持ってくる前に、キリス
ト教神学の議論を読み込んでいって、どこかにオルタナティブの芽が見つからな
いかと探すのもまた、重要な作業になるのではないかと思えます。極限を突き詰
めていって物事が反転するその瞬間を見極めること。それはまさしく中沢氏が
『はじまりのレーニン』などで示唆していたことだったはず。いずれにせよ、探
求の途はいろいろ開かれていそうです。

○『緑の資本論』
中沢新一著、集英社、ISBN 4-08-774576-7

○『はじまりのレーニン』
中沢新一著、岩波書店(同時代ライブラリー)
ISBN 4-00-260333-4


------文献講読シリーズ-----------------------
「マグナ・カルタ」その5

今回は17条から25条までの、土地をめぐる訴えに関する部分です。

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17. Communia placita non sequantur curiam nostram, set teneantur in
aliquo loco certo.
18. Recogniciones de nova disseisina, de morte antecessoris, et de ultima
presentacione, non capiantur nisi in suis comitatibus et hoc modo : nos, vel
si extra regnum fuerimus, capitalis justiciarius noster, mittemus duos
justiciarios per unum quemque comitatum per quatuor vices in anno, qui,
cum quatuor militibus cujuslibet comitatus electis per comitatum, capiant
in comitatu et in die et loco comitatus assisas predictas.
19. Et si in die comitatus assise predicte capi non possint, tot milites et
libere tenentes remaneant de illis qui interfuerint comitatui die illo, per quos
possint judicia sufficenter fieri, secundum quod negocium fuerit majus vel
minus.

第17条:通常の訴えはわれわれ立法府にではなく、他のしかるべき場に申し立
てるものとする。
第18条:占有侵奪、被相続人の死去、最終的な申し立ての審理は、以下に従
い、その件を管轄する州でのみ受理する。われわれ、もしくはわれわれが王国外
にいた場合には主任司法官が、年に4回、各州に2名の司法官を派遣し、州にお
いて選ばれた4名の騎士とともに、所定の日付と州内の場所において、かかる審
理を行う。
第19条:所定の日に州での審理が開けない場合、同日に出席する騎士ならびに
財産所有者のうち、案件の規模に応じて判決を下すのに十分な人数がとどまるも
のとする。

20. Liber homo non amercietur pro parvo delicto, nisi secundum modum
delicti; et pro magno delicto amercietur secundum magnitudinem delicti,
salvo contenemento suo; et mercator eodem modo, salva mercandisa sua;
et villanus eodem modo amercietur salvo waynagio suo, si inciderint in
misericordiam nostram; et nulla predictarum misericordiarum ponatur, nisi
per sacramentum proborum hominum de visneto.
21. Comites et barones non amercientur nisi per pares suos, et non nisi
secundum modum delicti.
22. Nullus clericus amercietur de laico tenemento suo, nisi secundum
modum aliorum predictorum, et non secundum quantitatem beneficii sui
ecclesiastici.

第20条:自由人は微罪について、その微罪の程度に応じた以外の罰金は科せら
れない。重罪についても、その罪の大きさに即して罰金が科されるが、同人の生
活手段はそのままとする。商人の場合にも、その商品はそのままとする。農夫に
罰金を科す際にも、われわれに自由裁量権がある場合には、その農具はそのまま
とする。かかる罰則は、しかるべき隣人によって誓約された証言がある場合以外
は科されない。
第21条:伯爵および公爵は、同輩によってのみ、また、罪の程度に応じて罰金
を科せられる。
第22条:聖職者は、世俗の保有地について、上記の規定に準じる以外の罰金は
科されない。また、教会での奉仕の程度に即して科されるものでもない。

23. Nec villa nec homo distringatur facere pontes ad riparias, nisi qui ab
antiquo et de jure facere debent.
24. Nullus vicecomes, constabularius, coronatores, vel alii ballivi nostri,
teneant placita corone nostre.
25. Omnes comitatus, hundredi, wapentakii, et trethingi' sint ad antiquas
firmas absque ullo incremento, exceptis dominicis maneriis nostris.

第23条:旧来より法によって義務づけられた者以外、いかなる都市および人
も、橋の建設を強要されることはない。
第24条:いかなる州知事、治安官、財産管理官、その他の執行吏も、われらが
王の名のもとに訴えを起こしてはならない。
第25条:われわれの領地を除くいずれの州、郡、区も、旧来の借地代を支払う
ものとするが、増額は行わない。
               # # # # #

前回の箇所では、軍役代納金および献金(上納金)の話が出ましたが、マグナ・
カルタはそうした金銭の徴収に制限を加えた点が大きな特徴だとされます。ここ
では国王とその臣下である貴族たちの関係、つまり社会のヒエラルキーの上層で
の関係が問題になっているわけですが、全体として、当時はすでに社会のより下
層の部分でも、賦役を介した関係は弱まっていました。イングランドは若干異な
るようですが(商業的な拡大に伴い、一部の領主は農民の賦役を強化したといい
ます)、大陸の方では、農民の負担はかなり小さなものになっていたようです。

今回の箇所でも、例えば20条〜22条は罰金の取り立てを制限する内容になって
います。生活手段を温存しつつ、罪を裁くという姿勢が妙に現実的ですね。マグ
ナ・カルタの起草には貴族のほか聖職者も加わっていたわけですが、そのあたり
の権利関係は国王といえど侵害できない、と釘を刺しています。マグナ・カルタ
は封建法を再確認するものだったと言われますが、たとえそうだったにせよ、転
換期に現れた文書として、社会的な大きな変化を反映していることも確かです
ね。

次回は26条からちょうど全体の半分にあたる32条あたりまでを見ていきたいと
思います。

投稿者 Masaki : March 13, 2004 07:07 AM