May 29, 2004

No.33

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silva speculationis       思索の森
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<ヨーロッパ中世探訪のための小窓>
no.33 2004/05/22

------新刊情報--------------------------------
このところ寒かったり暑かったりと、なんだか気候が落ち着きませんね。もう少
し安定してほしい気もします。なにはともあれ新刊情報です。

○『中世ヨーロッパ万華鏡2:中世の聖と俗』
ハンス=ヴェルナー・ゲッツ著、津山拓也訳、八坂書房
?2,940、ISBN:4-89694-738-X

「信仰と日常の交錯する空間」という副題がついています。聖職者の生活と俗人
の生活とがクロスする様を描き出す作品のようで、特に修道院を聖俗の境界に位
置づけているらしく、そのあたりが興味深いですね。死生観や悪魔の表象など、
それだけで一冊になりそうなテーマにも触れているようですが、どう料理してい
るのでしょうね。『中世ヨーロッパ万華鏡2』となっていますが、これはドイツ
の中世史家による3冊をシリーズとして刊行するもののようで、1と3はこれから
出るようです。

○『吟遊詩人たちの南フランス:サンザシの花が愛を語るとき』
W.S.マーウィン著、北沢格訳、 早川書房
?1,890、ISBN:4-15-208558-4

著者は谷川俊太郎作品の英訳も手がけているという現代アメリカの詩人。中世の
詩的世界への憧憬を、南フランスへの旅の中に綴るという感じの詩的紀行という
ことで、特に著名なトルバドゥール、ベルナルト・デ・ヴェンタドルンの生涯を
たどっていくようです。ちなみにこのベルナルトの詩、邦訳では白水社の『フラ
ンス中世文学集1』に収録されているほか、CDでも『トロバドール』(AVI
8016)などで曲として聞くことができます。

○『中世フランスの食』
森本英夫著、駿河台出版社
?6,300、ISBN:4-411-02217-6

『料理指南』『ヴィアンディエ』『メナジエ・ド・パリ』といった中世の料理書
を読み解いていくという研究書のようです。これだけでも大変面白そうですが、
さらにラブレーの『パンタグリュエル』の食材・食事作法についての考察もある
とか。ラブレーへのそういうアプローチ、ありそうでいてあまりなかった気もし
ますね。ちょっと注目してみたいです。

○『巡礼の文化史』(叢書・ウニベルシタス797)
ノルベルト・オーラー著、
井本、藤代訳、法政大学出版局
?3,780、ISBN:4-588-00797-1

中世から近世までの巡礼を史料を駆使して復元するもののようです。巡礼に関す
る研究書は各種ありますが、日本語で読めるものはそれほどありません。そうい
う意味では貴重な一冊かも。この著者には『中世の旅』という一冊もあり、移動
という観点から歴史を捉え直そうとしているようで、好感が持てます。

○『ダンテ「神曲」講義:改訂普及版』
今道友信著、みすず書房
?12,600、ISBN:4-622-07092-8

2002年に出た同名の書の普及版(3000円ほど廉価になっています)。著者は
数十年にわたり『神曲』を読んできたということで、かなり年季の入った精密な
読解がなされているようです。いわば偉業で、ただもうそれだけで素晴らしいで
すね。個人的に『神曲』の原典購読を少し前から初めていたのですが、諸般の事
情で一時中断していました。またそろそろ再開したい感じもします。そういえ
ば、東京大学が出している語学教材のシリーズですが、仏語、独語に続いてイタ
リア語『Piazza』が出ています。これにもダンテの『神曲』から一節が収録さ
れていますね。


------文献講読シリーズ-----------------------
「マグナ・カルタ」その10

今回は56条から60条までです。さっそく見ていきましょう。

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56. Si nos disseisivimus vel elongavimus Walenses de terris vel libertatibus
vel rebus aliis, sine legali judicio parium suorum, in Anglia vel in Wallia, eis
statim reddantur; et si contencio super hoc orta fuerit, tunc inde fiat in
Marchia per judicium parium suorum; de tenementis Anglie secundum
legem Anglie; de tenementis Wallie secundum legem Wallie; de tenementis
Marchie secundum legem Marchie. Idem facient Walenses nobis et nostris.

第56条:イングランドないしウェールズの同じ身分の者による司法の裁定を経
ずに、ウェールズ人の土地または自由、あるいはその他の事象の所有権が剥奪も
しくは排除された場合、すみやかにその回復を図ることとする。かかる件につい
て異議申し立てがあった場合には、管轄区域において、同じ身分の者による司法
の裁定を下す。イングランドにおける保有財産はイングランドの法、ウェールズ
における保有財産はウェールズの法に、管轄区域の保有財産は管轄区域の法によ
るものとする。ウェールズ人もわが国に対し同じ措置を講じるものとする。

57. De omnibus autem illis de quibus aliquis Walensium disseisitus fuerit vel
elongatus, sine legali judicio parium suorum, per Henricum regem patrem
nostrum vel Ricardum regem fratrem nostrum, que nos in manu nostra
habemus, vel que alii tenent que nos oporteat warantizare, respectum
habebimus usque ad communem terminum crucesignatorum, illis exceptis
de quibus placitum motum fuit vel inquisicio facta per preceptum nostrum
ante suscepcionem crucis nostre; cum autem redierimus, vel si forte
remanserimus a peregrinatione nostra, statim eis inde plenam justitiam
exhibebimus, secundum leges Walensium et partes predictas.

第57条:さらに、同じ身分の者による司法の裁定を経ずに、わが父ヘンリー王
またはわが兄リチャード王により、ウェールズ人の所有権が剥奪もしくは排除さ
れ、わが所有となっているか、もしくはわが担保として他の者が保持している
いっさいの所有物については、十字軍の通常の終了時まで猶予を得るものとす
る。ただし、訴えが起こされた場合、あるいは十字軍の宣誓前にわが命令により
審問に付された場合はその限りでなく、わが遠征から帰国の後、あるいは場合に
より遠征を取りやめる場合には、ウェールズまたは上記の地域の法に則り、すみ
やかに十全なる司法手続きを取るものとする。

58. Nos reddemus filium Lewelini statim, et omnes obsides de Wallia, et
cartas que nobis liberate fuerunt in securitate pacis.
59. Nos faciemus Alexandro regi Scottorum de sororibus suis, et obsidibus
reddendis, et libertatibus suis, et jure suo, secundum formam in qua
faciemus aliis baronibus nostris Anglie, nisi aliter esse debeat per cartas
quas habemus de Willelmo patre ipsius, quondam rege Scottorum; et hoc
erit per judicium parium suorum in curia nostra.
60. Omnes autem istas consuetudines predictas et libertates quas nos
concessimus in regno nostro tenendas quantum ad nos pertinet erga
nostros, omnes de regno nostro, tam clerici quam laici, observent quantum
ad se pertinet erga suos.

第58条:ルーウェリンの息子、ウェールズの人質のいっさい、平和の保証とと
してわれに送られた証書は、すみやかに返還する。
第59条:スコットランド王アレグザンダーに対し、その姉妹および人質の返還
と自身の自由および権利について、イングランドの他の貴族たちに行うと同じ形
の処遇を与える。ただし、スコットランド前王であるその父ウィリアムから届け
られた証書に、別の規定がなされている場合はこの限りではない。その場合、わ
が国の法廷にて、同じ身分にの者による司法の裁定に委ねるものとする。
第60条:王国内において、わが国民に対し保持すべきであると認める上述の慣
習および権利のいっさいは、聖職者、在俗者にかかわらず、国内のすべての者
が、臣下に対して関与する限りこれを遵守する。
               # # # # # #

58条に出てくるルーウェリンは、北ウェールズのグイネズの君主、ルーウェリ
ン・アプ・イオーワス(ルーウェリン大王)のことです。北ウェールズ一帯を
1194に支配し、1205年にはジョン王の庶子ジョーンと結婚して、ジョン王か
らの独立を図った人物です。ちなみに、ヘンリー3世に対抗してシモン・ド・モ
ンフォールの乱に加勢したルーウェリ・アブ・グリフィズ(プリンス・オブ・
ウェールズ)は、この人物の孫にあたります。59条に言及されたスコットラン
ド王はアレグザンダー2世で、1214年に王位を継承し、イングランドの貴族た
ちと同盟を結んでジョン王と対立していましたが、後のヘンリー3世とは友好関
係を築き、やはりジョーンという名の妹と結婚しています。

前回見た箇所(55条)では、カンタベリー大司教ステファヌス(スティーブ
ン・ラングトン)の名前が挙がっていました。実は1205年に、空位になったこ
のカンタベリー大司教の座をめぐって、ローマ教皇とジョン王とは対立していた
のでした。城戸毅『マグナ・カルタの世紀』(東京大学出版会、1980)による
と、スティーブン・ラングトンは教皇側が推した人物で、ジョンは伝統的な発言
権を盾にこれに反対します。さらにこの対立に乗じて、ジョンは教皇が発した聖
務停止命令に対し、その命令に屈した聖職者に財産の没収などをかけ、示談金も
あわせて10万ポンドもの収入を得た、ともいいます。やがてジョンも破門さ
れ、状況的に苦しくなっていたために教皇との和睦を探り、財産没収の償いとし
て10万マルクもの返済を呑んだのでした。これが1214年ですが、当のラングト
ンは律儀な人だったのでしょうか、カンタベリー大司教にはなってはいたもの
の、こうした政治的妥協には反対し、教皇とも仲が悪くなってしまいます。そん
な中で諸侯の反乱にあってジョンが教皇にすり寄り、教皇はそれを受けて、マグ
ナ・カルタの発布後、司教たちに王を助けるようにと半ば強制的に(職務停止を
ちらつかせて)命じますが、ラングトンはそれを拒否して職務停止を食らってい
ます。

国王は伝統的に、司教の任命にある種の発言権を持っていたといわれます。11
世紀には聖職者の叙任権論争があり、それを受けて教皇グレゴリウスの教会改革
が進められるわけですが、瀬戸一夫『時間の民族史』(勁草書房)によると、改
革推進役のグレゴリウス7世と、当時カンタベリー大司教だったランフランクス
との間には、首位論争(カンタベリーとヨークのどちらが首位か、という争い)
をめぐって確執があり、そのせいもあってか、管理強化をめざす教皇座に対し、
ランフランクスは、国内が混乱することを避けたい国王(ウィリアム)寄りの仲
介を果たします。かくしてイングランド王は「教皇座に上納を行ったとしても、
教皇に服従するものではない」、という了解が取り付けられます。そればかり
か、ランフランクスの対応は、逆に王が「教皇を承認するような地位へと飛躍す
る布石」(同書、p.212)でもあったのだといいます。おそらくこれが、その後
の王権のあり方に大きく影響していったのでしょう。イングランドの教会におい
て首位となるカンタベリー大司教職に、おいそれと教皇側の指名する人物を受け
入れられないというジョンの反応も、そういう流れの上にあったのでしょう。ま
た、諸侯らにとっても、教皇座に対して一定の距離を取っている王というのが、
利害に適っていたのではないかと思われます。

このあたりの話はなかなか面白そうで、もっと検討してみたいところですが、そ
れはまた別の機会にしましょう。次回はかなり長い61条(保証条項)を途中ま
で見ていくことにします。また、諸侯との関係についても整理してみたいと思っ
ています。

投稿者 Masaki : May 29, 2004 07:16 AM