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フランク族の史書

フィリップ・デルラー「Liber Historiae Francorum−−フランク族の新たな自己意識のためのモデル」(Philipp Dörler, The Liber Historiae Francorum – a Model for a New Frankish Self-confidence, Networks and Neighbours, Vol.1, No.1, 2013)という論文をざっと読み。フランク族、とくにメロヴィング朝の史書とされる『Liber Historiae Francorum(LHF:フランク史書)』についての論考だ。LHFは8世紀ごろに書かれ9世紀に流布したとされている。著者は不詳ながら、ネウストリアのフランク族の歴史を記し、伝承や王の正当性に重きを置いた文書だという(修道院で書かれた?)。俗説としてフランク族の出自が古代のトロイにあるという話があるけれども、LHFはそこから語りが始まっているといい、同じくガリアの歴史を記したものとして知られるトゥールのグレゴリウス(6世紀)やフレデガー(6〜7世紀)の年代記のように、聖書の出来事から語り起こしていない点が特徴的だという。トロイ起源の伝承も古くからあるようで、6世紀の歴史家ヨルダネスはゴート族とトロイの関連性を指摘しているといい、ゴート人がローマ人と対等だと証してその統治を正当化する意図があったとされる。フランク人とトロイ人の関連についても同様で、一説には、フランク人がローマ帝国の行政職に就くようになった4世紀ごろから、フランク人をローマ人の「兄弟」と見なされたいと思ったのが始まりだろうとも言われる。さらに1世紀のティマゲネスというギリシアの歴史家にトロイとガリアの関係への言及があるとされ、4世紀の歴史家アンミアヌス・マルケリヌスがそれを間接的に引用しているともいう。

論文の中盤以降では、そうした議論を踏まえ、より大きな枠組みでLHFを捉えようとしている。トゥールのグレゴリウスやフレデガーが、フランク族の歴史をより普遍的な宗教史の中に位置づけようとするのに対し、LHFは教会絡みのディテールを省略しているというが、一方でLHFは語句のレベルや語りの枠組みなどで聖書を参照しているともいい、どうやらフランク人をイスラエルの民と同様の選民として描こうとしていたフシがあるのだという。聖書の逸話にみずからを直接結びつけることで、ローマ人と同等どころか、史的にそれを凌ぐ存在としての自己意識の確立を図ったのではないか、というわけだ。諸民族全般を指す「gens」ではなく、聖なる民に用いられる「populus」という語をみずからに与えること、それがLHFの隠れた意図なのでは、と……。8世紀の政治的文脈の中にあって、LHFが応えていたであろう同時代的ニーズが浮かび上がってくるかのようだ。

wikipediaからフレデガー(偽?)の年代記の一葉(8世紀)。パリのフランス国立図書館所蔵
wikipediaからフレデガー(偽?)の年代記の一葉(8世紀)。パリのフランス国立図書館所蔵

中世の個々人の敬神

先のアーティクルでは、個別事例に降りていくことの重要性を改めてかみしめた感じだったけれど(笑)、なんというか、ある意味でそれとパラレルな動きは歴史学の世界でも起きているらしい。ジェニファー・コルパコフ・ディーン「中世の家庭内の敬神」(Jennifer Kolpacoff Deane, Medieval Domestic Devotion, History Compass, Vol. 11:1, 2013)という論文は、そのことを再認識させてくれる一編。教会系の史料は当然ながら制度化された組織を考察する上で重要だけれども、その一方で教会組織外の、いわば世俗の一般信徒の信仰がどんなものだったのかという問題がかつては軽視され続けてきた。これが近年、様々な史料の掘り起こしによって少しずつその隠れた問題が見えてくるようになった……とくに家庭における信心について。というわけで、同論文はそういう現状の総括と展望をまとめている。本来は家庭的なものだった初期教会は、後代にいたり(とくに中世盛期にかけて)権威をもった正式な教会組織に取って代わられていくわけだけれど、すると一般信徒の人々は、ある種の信仰上の空虚となった家庭内環境を、様々な工夫を凝らして埋めるようになっていくのだという。たとえば家具の類を聖職者によって祝福してもらうとか、家庭内での祈りの場を独自に設けるとか。それなどは聖遺物の信仰の高まりとも軌を一にしている動きらしい。13世紀から14世紀にかけてのロザリオの人気は、マリア信仰の高まりにも結びついている。定期的な祈りや十字を切るジェスチャーなどは、たとえば13世紀のジャック・ド・ヴィトリなどの説教でも称揚されているというし、15世紀の家庭内教育の手引き書(ドミニコ会のジョヴァンニ・ドミニチによる)には、家庭内にミニ祭壇を作ることが推奨されている、と。家庭内での信心は日常の食事の準備などにも影響しており(金曜は肉を食べないなど)、台所用品などにも霊的なアイデンティティは表されうるのだという……云々。

こうしてみると、ここで取り上げられている家庭内の信仰という問題は、近年の動向でもあった聖遺物や説教に関する諸研究、あるいはジェンダー研究などの成果にもとづいていることがわかる。個々人の敬神についても、今や様々な側面が明らかにされつつあるのだという。さらに今後の展望として同論文は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でのそうした個人の敬神の比較研究、教会と家庭という聖俗二つの領域のオーバーラップについての再検討、さらには経年的な信仰状況の変化の検証などを挙げている。うーむ、思うに思想史的な面でも、なんらかの神学思想が世俗世界へとどう波及しているかなど、いろいろと興味の尽きないテーマを思いつけそうだ。もちろん、検証はとても難しい作業になるだろうけれども。

時祷書も忘れちゃいけない……というわけで、1410年ごろのパリの時祷書からの図像(wikipedia)
時祷書も忘れちゃいけない……というわけで、1410年ごろのパリの時祷書からの図像(wikipedia)

アフォーダンスと個の倫理学

河野哲也『善悪は実在するか−−アフォーダンスの倫理学』(講談社選書メチエ、2007)を読む。ギブソンのアフォーダンス理論から倫理学を導くのか……と思って読み始めたが、冒頭ではアフォーダンス理論はどちからというともっぱら反自然主義の批判のために援用されている印象だったので、最初ちょっと引っかかりがあったのだけれど、その後で話は大きく展開していって、なにやらほっとする(笑)。意味や価値は認識する個体の主観にのみ存するのではでなく、環境からアフォードされているのだというアフォーダンスの考え方からすると、善や悪もまた個体にとっての環境からのアフォードだということになり、こうして人間一般といった概念ではなくあくまで個体(個人)を中心に据えた倫理の問題が開かれるというのがその主筋。個人を中心に据え直すというスタンスは同書のまさに中核的なテーゼで(まあ、古くからあるテーゼではあるけれど)、このあたりはなるほどと頷かされる。

で、その個体ベースでの倫理学だけれど、同書ではそれがいわば三段ロケットのように描かれている。まず一段目には他者に対する「共感」がある。これは他者の模倣という形(赤ん坊が親の表情を真似ることなども含めて)で、他者からアフォードされるものだ。けれどもこれだけでは「〜すべし」という強制力がない。そこで働くのが二段目としての互酬性だという。これも人間関係からアフォードされるということなのだろうけれど、当然ながら互酬には復讐という裏の面もあり、両者は表裏一体だ。ま、だからといって「倍返しだ」のインフレルールは不毛にいたると思うのだけれど(笑)。この復讐の論理がエスカレートしていくことを代替する機構として、現状では三段目としての法的秩序による暴力の奪取・占有がある、とされる。いわば道徳の法化という段階だ。著者はこの法化という段階は三段目として唯一の選択肢なのではないとして、これを批判的に見ようとする。他者との関係性に国家などを介入させると、個人はまたたくまに捨象されてしまう。それと対照的に同書で提唱されているのは、個人を重んじる広義の「ケア」の概念を導入して別の可能性を開くという方途だ。

もとより生態的・人為的環境がアフォードする意味や価値は可塑的だとされる。だからこそそういう組み替えもまた可能だということになるわけだ。けれども問題は次の点にあるとされる。人間一般を問題にする、法化された道徳にもとづく見識はあまりに広く受け入れられすぎているために、個人を相手にする意味や価値の創出へと社会が向かっていくことはなかなか実現困難だ。たとえばこんなところにもそれは感じ取れる。素朴な哲学的難題として「なぜ人を殺してはいけないか」という問題があるけれども、これなども、「人」という抽象概念で考えるから行き詰まるのであって、具体的個人が問題になるのなら殺さない理由はいろいろと挙げられる。あのサンデルの講義とかで取り上げられた二択問題(たとえばトロッコで右に行けば一人しか轢かないが、左に行けば五人轢くとき、さああなたならどうする、といった問題)も、状況がもっと具体的であれば問題は複雑化するが、対処法もまた複合化されうる。上の例ならトロッコそのものをなんとか止められないのかとかね。そんなわけで、この個人のもとへ、具体的なものへと問題を差し戻すという考え方は、とても重要だったりする。

「異教徒」観の相違

フィリップ・ブサラッキ「比較による異教徒たち:中世キリスト教・イスラム教の異教的「他者」の構築」(Philip Busalacchi, Pagans by Comparisons: Medieval Christian and Muslim Constructions of the Pagan “Other”, Perspectives: A Journal of Historical Inquiry, vol. 37, 2010)という論文を眺めた。ベーダ『イングランド教会史』(7世紀)、ヘンリクス・レットゥス『リボニア年代記』(13世紀)、イブン・ハルドゥーン『歴史序説』(14世紀)、バーブル『バーブルナーマ』(16世紀)という4つの文献をもとに、キリスト教とイスラム教がそれぞれ「異教徒」をどう見出していったかを検討しようというもの。一種の「他者論」というわけだ。ヘンリクスとバーブルは個人的に馴染みがないのだけれど、前者はドイツ騎士修道会の一員で、異教徒の改宗とバルト海一帯にキリスト教帝国を創設する目的でリボニア(現在のラトビア、エストニア)に派遣され、そこで上の年代記を記した人物だという。バーブルはムガル帝国の初代皇帝で、インドに侵攻した人物。その自叙伝が上記の『バーブルナーマ』なのだそうな。論文の前半は異教徒の認定根拠がテーマ。基本的にこれら4つの文献では、扱う相手の異教徒はそれぞれ異なるものの(ベーダの場合は改宗前のブリトン人、ヘンリクスではバルト海一帯の原住民、ハルドゥーンではイスラム化以前のベドゥイン、バーブルではヒンドゥー教徒)、異教徒と自分たちを区別する基準として儀礼や信仰を表す外的なサイン(身振りや行動など)などが使われているという。ただ、彼らは一様に異教徒を文明化していない未開人として上から目線で見ているともいい、その蔑視の根拠が問われることになる。

後半では、キリスト教とイスラム教での違いが際立ってくる。キリスト教の二者はとくに文明化の基準・定義について説明することなく、ただひたすら異教徒らが未開であることの事由ばかりを挙げているという。しかもそこでは、行動、態度、信仰の有無など個人的な面ばかりが問題にされる。ベーダやヘンリクスでは、キリスト教化と文明化はほぼイコールという「結論ありき」の話になっているというわけだ。ところがイスラム教の二者の場合、宗教の力を文明化の手段とする点は共通するようだが、法整備の有無や生活の快適さ(ハルドゥーン)、あるいは技術やインフラの整備、ソーシャル・スキルなど(バーブル)を文明化のキー・エレメントとして見ているという。うーむ、なかなか示唆的だ。さらに興味深いのは、キリスト教の著者二人は異教徒の改宗を強調しているのに対し、イスラム教の著者二人には改宗のテーマは見られないのだという。なにやら宗教的姿勢の根本が大きく違っていそうだが、論文著者は、とにかくキリスト教とイスラム教の改宗のための努力(の違い)についてはさらに詳細な研究が必要だとしている。うーむ、確かにそれはとても面白そうなテーマではある。

バーブルの肖像画(不詳)
バーブルの肖像画(不詳)

関連書籍:

中世の「情報技術」

経済学関連というか、ちょっと毛色の変わった論考を見てみる。ウルリッヒ・ブルム&レオナード・ダドリー「ラテン語の標準化と中世の経済発展」(Ulrich Blum & Leonard Dudley, Standardized Latin and Medieval Economic Growth, Université de Montréal, 2003)(PDFはこちら)というもの。中世盛期(1000年以後)の一人当たりの収入の伸びについて、従来の学説では(1)ヴァイキングなどの侵略の消失、(2)長距離貿易の拡大(ピレンヌ説)、(3)封建制度の確立(ノース説)などが理由として挙げられているというが、それぞれに瑕疵あるとされる。で、同論文はこれに対して一種の情報技術の変革が寄与したという立場から、当時の経済成長を再考しようとする。なるほど、そうした着眼点はすでに50年代のハロルド・イニス(マクルーハンの師匠だった人物)にあり、イニスはコミュニケーション媒体の変化が中世の経済成長を加速化させたという説を唱えていたが、そこでの媒体というのはカロリンガ風書体だとされ、状況証拠的な議論で検証を欠いていた。で、この論文はもう少し広く、情報技術という観点からそのあたりの議論を捉え直そうとする。つまりこの場合の情報技術とは、書体にのみとどまらず、カロリンガ朝ルネサンスによってもたらされたラテン語の書き言葉・話し言葉の標準化のこととされている。

なるほど、言語の標準化がひいては経済成長をもたらしたというのはなかなか興味深い視点ではあるけれど、これは論証は大変だろうなあと思う。実際、この論考でも、様々な推論を交えながら話は進んでいく。とはいえ、カロリンガ朝のそうした整備がどう伝播していったかという問題を考えているところは興味深い。たとえば書き言葉の整備は、修道院を通じて広がっていったとされる。一方で、ベネディクト会などは農業における新技術(馬の頸帯、プラウ、三圃式農法)を文書で盛んに伝えていたというし、シトー会は水車などの工業技術の伝播に一役買っているという。また、言語が標準化されたことにより、世俗においても契約を結ぶことがより効率良くなされるようになる(北イタリアなど)。貴族階級に読み書きが普及すると、統治者の権力そのものに文書による制約を設けることも可能になる……云々。このあたり、印象としてはやはり状況証拠にもとづく推論の域を出ない気もするのだけれど、同論考はその後、経済学系の論考っぽくいきなり情報コストの話に移る。情報の貯蔵コストが高いうちは中央集権的な制度に有利だが、コストが低減されてくると、他の地域との比較なども容易になり、ベストな手続きを選択する余地が出てきて、より分散化した制度が有利になってくる……政治権力もいっそうの分散化を促されるのではないか、という。で、論文は最後に一人当たりの収入の伸びを、概算的に都市の人口増加を指標として、上の情報コストの話との絡みでモデル化してみせている。うーん、このモデルの是非は門外漢なので不明(苦笑)。なにやらイニスの仮説が改めて検証されているようでもあり、このモデルの提示こそがこの論文のミソではあるのだろうけれど、こうした議論を歴史的事実に即して実証する方法というのはほかに何かないのかしら、という気がしなくもない……。