「ナラティブ論」カテゴリーアーカイブ

聖ニコラウス

サンタクロースの造形のもとになった、ともいわれる聖ニコラウス(4世紀)。けれどもこの人物自体の存在も微妙で、ミラのニコラオスほか幾人かの聖人のいわば「掛け合わせ」のような感じで伝承が形成されたのだという。最初はギリシアで、続いてヨーロッパ中世で盛んになったといわれるその崇拝について、ちょうどクリスマスでもあるし(笑)、関連する論考をちょっと読んでみる。サラ・バーネット『中世イタリアにおける聖ニコラ崇拝』(Sarah Burnett, “The Cult of St.Nicholas in medieval Italy”, University of Warwick, 2009という博論。500ページ弱あるので、すぐに全部は読めないけれど、さしあたり第一章までの60ページほど(続く第二章はイコノグラフィ、第三章、第四章はそれぞれプーリアとヴェネティアにおける事例研究。巻末の図版とかも素晴らしい)。

聖ニコラウスはとりたてて文書を残したわけでもなく、教会の教義に貢献したわけでもないというものの、いくつかの奇跡譚を通じて、民衆救済者としてのイメージがしっかりと根を下ろしていくのだという。かくしてビザンツに広まったその崇拝は、聖人伝という形で西欧にまで拡がっていく。ヤコポ・ダ・ヴォラギネの『黄金伝説』のはるか以前から、拡散・浸透はゆっくりと、けれども着実になされていったらしい。7世紀ごろには12月6日が聖ニコラウスの祝日となり、さらに後にはフレスコ画にも登場するようになり、その名を冠する教会もできてくる。やはり奇跡譚でもって民衆の間での人気も高まる。で、13世紀ごろには、フランシスコ会がそのプロモーションに一役買ったりもしているのだという。フランシスコ会の擁護者だった教皇ニコラウス3世は、その名が示す通り聖ニコラウスの信奉者でもあったというし、フランシスコ会にとっても聖ニコラウスは清貧思想という点で結びつきやすかったという。なるほどねえ。このフランシスコ会との結びつき、という部分が個人的にはとりわけ興味深い。

(↓Wikipediaから。フェラポントフ修道院のフレスコ画に描かれた聖ニコラウス)

アルフォンソ10世とマリア信仰

去る8日は聖母マリアの無原罪の御宿りの祝日。フランスはリヨンなどでは窓辺にロウソクを灯す習わしが、今や光のショウに変貌していて盛況らしい(笑)。で、その聖母マリア信仰に関連してだけれど、これまたちょっと興味深い論考があったので読んでみた。「アルフォンソ10世、聖ヤコブ、聖母」というもの(Anthony Cárdenas-Rotunno, ‘Alfonso X, St. James, and the Virgin’, Latin American and Iberian Institute, University of New Mexico, 2009)(docファイルがこちらでダウンロード可)。

アルフォンソ10世の聖母信仰が、聖ヤコブ崇拝(サンティアゴ・デ・コンポステラ)への一種の対抗措置だった、みたいな説を以前聞いたことがあるのだけれど、この論文はそういった説への反論を唱えている。アルフォンソ10世が編纂したカンティガ集を読み直すことで、実は聖母マリアの崇拝が聖ヤコブ崇拝を補完するものであることを浮かび上がらせようという試み。カンティガ集の内容となる様々な奇跡譚が、どれもアンチ聖ヤコブではないということを実証的に論じていく。また、賢王アルフォンソが実利主義的な人物だったことをもとに、コンポステラの近くに聖母に捧げられた寺院を建造したことなども、対抗措置などではなく、むしろ領土政策上の政治的判断などもあってのことかもしれない、という可能性を示唆している。なるほどねえ。13世紀のマリア信仰の高まりは、一般に救済の内面化などに関連づけて説明されることが多いと思うのだけれど、そういう動きは一端成立してしまうと(言葉は悪いが)政治的に利用される面も当然出てくるというわけか(もちろん、だからといって賢王の信仰そのものを疑わしく扱うわけではないのだけれど)。こういう複合的な視野はやはり大事だなあと。

法哲学の根っこの方へ

ルイ・サラ=モランスといえば、個人的には以前読んだ『異端審問の手引き』の仏訳者。博論がライムンドゥス・ルルスの研究だったという話も聞いていたのだけれど、あまりマークしていなかった。で、少し前に邦訳が出たと聞いていた『ソドム−−法哲学への銘』(馬場智一ほか訳、月曜社)をつい数日前に読み始めたところ。まだ全体の3分の2くらいか。読む前、きっとかっちりとした論考だろうと想定していたため、最初は見事に面食らう。ほとんど詩といってよいような自由奔放な比喩・連想で綴られる文章。「現代思想」系に慣れていないと閉口間違いなしというふうなのだが、でもこのノリに乗っかってしまうと読書のある種の快楽を味わうことができる(笑)。ロラン・バルトっぽく言うならテキストの享楽。ま、広く推奨しうる本ではないかもしれないけれどね。闊達な語りから浮かび上がってくるのは、「法」というものの基盤が実は空間的な囲い込みにあることのほか、一方でそれが全体性として君臨し、(それを神に譬えるならば)司祭役によってその支配は幾重にも強化され、それが語りとして歴史をなしている、といった話。法のそうした基盤というか根っこの部分を掘り下げることが、サラ=モランスのねらいということになる……のかしら(?)。ルルスや異端審問への言及もいたるところに出てきて、そのあたりも興味深い。

個人的には、学術論文などのかっちりした論理構成の明晰な文章もいいけれど、たまにはこういう組んずほぐれつする詩のような曖昧でおぼろな文章もいい。でも、だんだんと後者のようなテキストは出版されなくなってきているのが残念(こういうのが盛んだったフランスでも、日本でも)。まあ、売れないだろうし、需要も受容も今一つというところなのだろうけれど、たとえば同書で扱っているような法という現象の根源をめぐって思考を重ねていくような場合には、そもそも通常の論証には馴染まないかもしれず(本当にそうかどうかはさしあたりわからないけれど)、こうした詩的言語を駆使した、いわば考察の追体験のようなものが意外に読む側に響いてくるような気もする。そういうのがなくなっていくというのはちょっと寂しいかもなあ、なんてことを思う。

マッキンタイア

サンデル本に出てきたマッキンタイアのナラティブ論。話には聞いていたものの、ちゃんと読んでみたくなって取り寄せてみた。アラスディア・マッキンタイア『美徳なき時代』(篠崎榮訳、みすず書房)。なるほど、これはバリバリの道徳哲学の本。諸徳が失われた近代において、なおも道徳哲学をどう語りうるかという問題設定。そこでのマッキンタイアのスタンスはとても明快で、「個人が同定・構成されるのは、その人のもつ役割のいくつかにおいて」であり、「そうした役割とは、人間に特有の諸善がその中で(…)達成されうる共同体に個人を結びつけている」という(p.211)。小規模の共同体への帰属が諸徳の前提であって、共同体が変わればその諸徳の性質も変わってくる。「あらゆる道徳哲学には、それに対応する何らかの特定の社会学がある」(p.276)というわけで、このあたりがコミュノタリズムと言われる所以か。そしてその帰属の靱帯をなすのが、ほかならぬ物語(ナラティブ)だということになる。マッキンタイアはこれを、古代の英雄譚や中世の諸テキストなどをめぐりながら説き起こしていく。とりわけ、アリストテレスを援用した中世の「アリストテレス主義」が体現する社会的変容に執心する(?)あたりには、ちょっと共感できたりもする(笑)。

でもナラティブ論としてはどうなんだろうなあ、と少し思う。共同体内の役割を個人が自分のものにするために物語(あるいは物語的秩序)があるのだという面ばかりが強調されていて、個人が物語の側に働きかけるとか、伝統そのものの変容の契機などの話は出てこないので、とても静的なモデルといった印象が強い……。もちろん、そこで語られる物語的秩序(ナラティブ・オーダー)は個人にとっての役割モデルだけにとどまらず、「人格の同一性とは、物語の統一性が要求する登場人物の統一性によって前提されている同一性に他ならない」(p.267)なんて踏み込んだ文言もあるのだけれど、それもまた主体構成的・行為論的な話とかではなく、あくまで事後的に眺めた認識論的な話にとどまっていて、ちょっと物足りない。また、「私の人生の物語は常に、私の同一性の源である諸共同体の物語の中に埋め込まれている」(p.271)として、複合的・重層的な埋め込みに言及している箇所もあるけれど、投影される共同体モデル相互の矛盾に引き裂かれる場合とかもあるし、フラットな「歴史同一性」などと簡単には言えないような気もするし……なんて。