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「GO WEST」と言えば…

サッカーのワールドカップの時期になっています。この時期は、いろいろな場所で応援ソングのようなものがかかったりしますよね。近所のスーパーでさえ、そんな選曲の音楽が流れていました。定番チャントシリーズみたいな。で、この日、定番中の定番「アイーダ」に続いてかかったのが、アレンジされた「go west」でした。

もとはヴィレッジ・ピープルのディスコサウンドですね(79年)。90年代にペット・ショップ・ボーイズのカバーがあり、人気を博しました。その後2006年のドイツのワールドカップで使われて一気に広がったのだとか。
https://youtu.be/LNBjMRvOB5M?si=skMKlXLvigpEP2EX

でも個人的に、これが実に巧みに何度も使われていたものとして思い出されるのは、ジャ・ジャンクー監督の2015年の映画『山河ノスタルジア』だったりします!
https://www.imdb.com/title/tt3740778/

はっきりいって映画の内容はあんまり覚えていないのですが、最初とか、最後とかに、若い時から初老になるまでの主人公の女性を演じていた女優さんが、この曲に合わせて、いきなり軽快に踊りだすというところが、とても印象的というか、インパクトあったのですよね。そんなわけで、go westと言えば、個人的には『山河ノスタルジア』一択です。

マジックリアリズム!

マジックリアリズム(魔術的リアリズム)というと、日常的世界の描写に、非日常的なものが突然フッと差し挟まれる、という例の描写ですね。ラテンアメリカ文学などで多用されていました。ガルシア=マルケスの『百年の孤独』とかですね。ものや人体が突然浮遊したりする描写が代表的で、Netflixで配信していたドラマ版『百年の孤独』でも、いろいろ浮んだりしていましたね(笑)。でもまあ、マジックリアリズムってそれだけじゃないよなあ、とは思います。

今やいろいろなところで使われているらしいこの技法ですが、先日wowowオンデマンドで観たインド映画『私たちが光と想うすべて』(2024年、バヤル・カバーリヤー監督)では、「え?」と思う使われ方をしていました。これ、ちょっと斬新だったかもしれません。
https://www.imdb.com/title/tt32086077/

後半のとても重要なエピソードとして、主人公の看護師の女性が、村人が見守る中、海岸で溺れていた(?)男性を救助します。担ぎ込まれた民家の老婆は、二人が夫婦だと勘違いするのですが、その直後、二人きりになったところで、ドイツに出稼ぎに行って帰ってこない夫がその男性に乗りうつったかのように、二人は夫婦としての最後の(?)会話を交わすのです。

とっかかりは少し違和感を覚えますが、マジックリアリズムなんだろうな、と思って観ていると、なんかいいんですよね。これ。遠くにいるはずの夫に対する、女性側からの内面の吐露として、とてもいい場面設計になっていたと思います。おそるべしマジックリアリズム。可能性はまだまだ広がっていそうです。もっとも、緻密に計算した場面設計でないと、観る側が理解できなくなってしまうので、ぎりぎり紙一重のところが勝負なのかも。

最近観た秀作二本

配信で最近観たうちから、これはいいなあと思ったものを二つほど。一つは『ブラックドッグ』(グアン・フー監督作品、2024)。wowowオンデマンド(なぜか5月31日までになっています)とu-nextで配信中です。
https://www.imdb.com/title/tt28131427/

北京オリンピックが間近に迫っているという文脈の中、ゴビ砂漠の辺境の町では野犬の捕獲が大々的に行われます。そこに参加させられたムショ帰りの青年(エディ・ポン)が主人公。この青年と、群れから離れた黒い野犬(とても精悍な感じの犬です)とが、いつしか親しくなっていくというのが主筋になっています。

全体に引き気味のキャメラがとてもいいです。冒頭、砂漠の道を一台のバスが走っていくと、あたりにわらわらと野犬たちが姿を現し、そのせいかハンドルを切り損なったかのようにバスが横転してしまいます。このあたりのワンショットからして、観る側を惹きつけますね。

話は全体として、主人公が自分の人生で喪失した様々なものを、わずかづつ埋め合わせていくという感じで進んで行きます。再生の物語ですね。まるでキャメラが、少し離れたところで寄り添う感じに佇んでいる感じがしたり、主人公や野犬の、ときに静謐な佇まいと、映画的なギャグ(というか、笑わせどころというか)とが、いい塩梅に散りばめられていたりしていて、映像空間として実に秀逸です。77回のカンヌ映画祭「ある視点」部門で最優秀賞を取ったというのもうなずけます。

もう一つは、Netflixで配信されている『トレイン・ドリームズ』(クリント・ベントリー監督作品、2025)。舞台は20世紀初頭のアメリカ。森林伐採や鉄道敷設に従事する季節労働者の一生を、ジョエル・エジャトンが見事に演じています。
https://www.imdb.com/title/tt29768334/

こちらの作品もまた、喪失の重圧を静かに受け入れ、乗り越えようとする話になっています。ただこちらは、大きな悲劇に心を砕かれる様があまりに痛々しく、主人公はひたすら長い時間をかけて、自分がなしてきたことの後悔や悲しみを受け入れていくほかありません。重苦しい展開ですが、それでも友人に救われたり、娘の姿を投影した若い女性を助けたりと、いろいろなエピソードが散りばめられて、大自然の中で再び自分を見出していくという讃歌になっています。

白黒+スタンダードサイズの可能性

白黒で、しかもスタンダードサイズのインディ系映画を2本、wowowオンデマンドで観ました。どちらも間接的ながら移民・難民がテーマになっている作品です。

一つは『Tatami』(2023)。イスラエルの監督(ガイ・ナッティブ)とイラン出身の女優(ザーラ・アミール)の共同監督による、ほぼ史上初の作品なのだとか。トビリシ(ジョージアの首都)で行われた柔道の世界選手権。それに出場したイラン代表の女子選手が、決勝でイスラエルと対戦しそうだとの予想により、棄権するよう自国の当局から脅されてしまいます。家族まで人質に取られてしまうのですね。同じく圧力を受けるコーチ。このコーチ役を、監督も努めたアミールが演じています(『聖地には蜘蛛が巣を張る』の主演の人ですね)。
https://www.imdb.com/title/tt26674818/

この映画、明暗をくっきり出したライティングで、白黒の画面を見事に活用しているように思えました。スタンダードサイズなのも、試合会場などの明るい被写体と、その手前の控えのドアなどの対比などにとてもよくフィットしています。緊張感のあふれる物語を、巧みなライティングと画面構成で見せているようで、サスペンスがいや増す作りです。

もう一つは『フォーチュンクッキー』(2023)。こちらは原題が地名のフリーモントになっています。アフガニスタンから来て、中華料理店向けのフォーチュンクッキーの工場で働く女性が主人公。単調な日々の繰り返しと孤独、そして描かれてはいませんが祖国脱出の壮絶な体験のせいで(?)、慢性の不眠に悩まされている主人公は、フォーチュンクッキーの占いの文章を書く作業を担当するようになります。ところがそこで、自分の電話番号を書いたことで、停滞している生活がにわかに動き出して行きます。
https://www.imdb.com/title/tt8591526/

微妙なユーモアや緩やかな展開のペースなど、初期のジャームッシュの映画のようだ、なんて前評判を聞いていましたが、どちらかというとカウリスマキの映画を彷彿とさせたり。『Tatami』とは対照的に、こちらの白黒画面とスタンダードサイズは、思いっきり人物を真ん中において、変な言い方ですが、観る側に「おいでおいで」をしているような、オープンさを感じさせます(笑)。

昔、シネマテーク・フランセーズがシャイヨ宮にあったころは、スタンダードサイズの白黒作品を壁(スクリーンなわけですが)いっぱいに大写しで写せる設備があり、前のほうの席で観ると、その没入感たるや半端ではありませんでした(iMaxとかが、そのあたりの先祖返りな感じがします)。うん、この作品はそういう感じで、大写しで観たい気がします。それって究極の贅沢という感じですけどね。いずれにしても、白黒やスタンダードサイズも、表現の多様性をもたらしうるという意味で、まだまだ捨てたものではない、ということを改めて感じたのでした。

やっと観られた『アブラハム渓谷』

フローベールの『ボヴァリー夫人』をポルトガルを舞台に翻案した小説を、マヌエル・デ・オリヴェイラ監督(当時84歳とか)が1993年に映画化した『アブラハム渓谷』。前から観たいと思っていた作品でしたが、ついに目にすることができました!
https://www.imdb.com/title/tt0108471/

もとより、特集上映くらいでしか上映される機会がなかったレアな作品ですが、2025年に4Kリマスターでの上映(ほかにオリヴェイラ作品4本も)がありました。残念ながらそちらには行けなかったのですが、そのうち配信でやるのでは、と期待していました。で、これがu-nextに入ったほか、3月ごろにCSチャンネルの「ザ・シネマ」での放送もありました。

いや〜これ、噂に聞いていた以上に面白かったですね。3時間を超える作品ですが(リマスターされたのは昔の上映版に15分ほど追加された完全版とのこと)、長さをまるで感じさせません。あっという間に思えます。主人公のエマ(ボヴァリー夫人と同じです)を、若い頃とその後で2人の女優が演じているのですが、どちらもその「強烈さ」(若い頃の馬鹿笑いのシーン、長じてからの立ち振舞いの存在感などなど)でもって、観る側をぐいぐい引っ張っていくという風です。

対比を基調とした色彩設定もまたいいですね。多少、老人の美学みたいなところもありますが、ちゃんと主筋に沿って、画面で描かれるものの意味合いを支えている感じが見事です。使われている楽曲もそう。欲情的なシーンで流れるドビュッシー「月の光」から、死の予感に彩られる終盤のベートーベン「月光」へ。ルナティックなエロス、という感じなのでしょうか?

面白いのは、エマが生きるその作品世界内には、ちゃんとフローベールの『ボヴァリー夫人』が存在していて、若い頃のエマがそれを読んでいたり、エマ本人が周囲に「ボヴァリー」呼ばわりされたりしていることです。「君は男なんだよ」なんてとある男性から言われるエマは、「私はボヴァリーでもないし、フローベールでもない」なんて反論しています。メタレベルが地のレベルに貫入しているかのようで、作品構造がわずかばかり複合化している印象です。