「Humanities」カテゴリーアーカイブ

エリュールのプロパガンダ論

久々に大部の紙の本を購入しました。ジャック・エリュール『プロパガンダ』(神田順子、河越宏一訳、春秋社、2025)です。技術哲学・技術批判で有名なエリュールが、その主著『技術社会』の後に、62年に刊行した著作ですね。まさに待望の邦訳というところ。
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同書で展開されるのは、広義のプロパガンダ(エリュールはいくつかの分類を示しています)をめぐる議論で、ただ扇情的なものだけを取り上げているのではありません。ここでのプロパガンダとは、小さな集団を、熟考をともなわないかたちで、なんらかの行動に走らせるための、伝達的な技術一般ということになるようです。その技術的な洗練が進むにつれて、集団がプロパガンダの道具として、プロパガンダに組み込まれたものとして成立するようにすらなる、というわけです。

これは面白い視点ですね。プロパガンダはあくまで技術であって(とはいえ技術だからこそ批判は必要だとされるわけですが)、イデオロギーやドクトリンのようなものと必ずしも不可分ではないということを示しています。たとえば民主主義ひとつとってみても、合理性にもとづく人間観や進歩概念などのイデオロギー、真理こそが最後には勝つといったドクトリンは、思考せずに行動を促す技術としてのプロパガンダとは別物であり、相容れない部分である、と指摘されています。

一方で今や(60年代当時)プロパガンダこそが、何が現実なのかを決めるファクターになっているとも言われます。その重要性は社会的に高まっているものの、プロパガンダはどこか全体主義的なものである以上、「プロパガンダの有効性と、人間の尊重を両立させることは不可能だと思われる」とエリュールは批判しています。

さらに衝撃的な一節は、プロパガンダの展開は「慢性的、恒常的な戦争状態を前提とする」がゆえに、「民主主義体制は、「好むと好まざると(volens nolens)」、戦争に引き込まれるのだ」というあたりでしょうか。うーむ、あな恐ろしや。エリュールのこの論、こんな感じでとってもアクチャルです。

シェリング・ルネッサンス?

岩波の『思想』11月号が、「蘇るシェリング」と題した特集を組んでいますね。さっそく見てみました。
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青土社の『現代思想』も、6月号臨時増刊号で「シェリング」を特集しています。これはどういうことなのか、とも思いますが、一つには生誕250年だというのがあるようです。それとは別に、いくつかの研究書が出ていて、どうやらドゥルーズなどとの関連が指摘されているようなのですね。『現代思想』の巻頭を飾る、檜垣立哉・浅沼光樹の対談に、そのあたりの話が出ています。最近人気(?)のマルクス・ガブリエルなども、実はシェリング研究から出発しているとのことで、ポスト現代思想(思弁的実在論とか)との関連性もあるのだとか。
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シェリングはフランスでは長きにわたり研究されてきた伝統があるそうなのですが、個人的にはこれまでノーマークでした。入門編として定番化している(?)村岡晋一『ドイツ観念論』(講談社選書メチエ)などを見ても、まるまる一章が割かれているわりには、フィヒテなどに比べるとあまり目立っていない印象です。でもこれだけ雑誌特集として取り上げられているからには、ちょっと面白いのかも知れない、と早くも好奇心が向かっていきますね。

まずもって面白そうなのは、中・後期とされる『自由論』の話でしょうか。上の岩波『思想』でも、長坂真澄「現象学のシェリング的転回」や、益敏郎「挫折する詩人と思想家」などの論考が、自由論、とくにその悪の起源をめぐるシェリングの議論について、わかりやすく解説してくれています。神の実体と根底の違いという、一元論的な世界に二元論的な議論で挑むがために、端から挫折を余儀なくされるシェリング。なにか悲壮なものを感じさせずにはいません。原テキストにぜひあたってみたいと思います。巻末にはマルクス・ガブリエルが、『オックスフォード版19世紀哲学ハンドブック』に寄せた、シェリングの項目の内容が訳出されています。

モリス・バーマン(の主著の前半)

夏にベイトソンを読んだ勢いで、これまた以前から読みたかったモリス・バーマン『デカルトからベイトソンへ:世界の再魔術化』(柴田元幸訳、文藝春秋、2019)を読み始めました。まずは近代初期の占星術・錬金術・魔術が廃れるまでの通史を概観する前半。原書は1981年ですし、邦訳も1989年に一度出ていたものの再刊ですね。
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この概観、それなりにうまくまとまっていて好印象です。17世紀ごろまでもてはやされた錬金術について、ユングはそれを、外部への働きかけであると同時に内的な変容をもたらすものとして解釈したわけですが、そのユングのアプローチもまた、すでにして近代科学の思考法(つまりは外・内の二分法)を投影したものに過ぎず、いにしえの時代における実像とはかけ離れていたのではないか、とバーマンは指摘します。

実像を明らかにする、というのは相当難しい作業でしょうけれど、少なくとも文献的には、外部と内部をひと続きのものと捉える思想が、当時の主要な学者たちに散見される、というのですね。たとえば、音楽や呪文によって身体と魂に変化がもたらされるとするフィチーノなど。しかし占星術にもとづくそういう思想は、「時代が下ると操作的・世俗的な面ばかりが受け継がれるようになる」、と。

錬金術の諸要素はあるときまで、キリスト教によって利用されていたといいますが、キリスト教には、同時にそれを異端として糾弾するという二面性もあったわけで、ロバート・フラッドなど、それを普遍的な宗教に押し上げようとする動きに対しては、たとえばメルセンヌやガッサンディなどが宗教的な面から批判を加えて行くといいます。と同時にガッサンディには、史上初の「科学実証主義的な発言」もあったといい(世界霊魂が存在することをどうやって証明できるのか、などなど)、目測などを重視する科学的思考が、徐々に拡大していくことが観てとれる、とのこと。

プロテスタントによる魔術の弾劾は、結果的に中流階級への現世的な救済を与えたものの、下層階級は放置されて、彼らはヘルメス主義に固執していくといいます。バーマンは、17世紀の下層階級のヘルメス主義は、一種の社会主義的な色彩すら帯びていたと言い放っています。このあたりの話はキース・トマス(初期近代の研究者)にもとづいているようですが、なかなか面白いですね。オカルト的なものは1640年代をピークとして、1660年代にはデカルト的な機械論哲学に取って代わられるといいます。

バーマンは、思うに編集志向が強い著者なのでしょう。「分離した個ではなく関係に注目する科学」「参加する観察」といった、ホーリスティックな思考にもとづく科学にこそ未来があるのではないか、とするその基本姿勢にも、そのことが反映されている気がします。いずれにしても、それが後半(ベイトソンの周辺?)の流れになっていくようです。

哲学史とドゥルーズ

少し前に購入した岩波の『思想』(2025)6月号に、一通り目を通しました。特集は「哲学史の中のドゥルーズ」。奇しくも今月4日はドゥルーズの命日に当たりますね。今年は生誕100年、没後30年という話です。クラシック音楽などで多用されるこの生誕・没後〇〇年、学問的な世界ではあまり言いませんでしたけど、最近少し目にするようになってきました。それだけ最近は話題不足なのでしょうか?
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2005年の『現代思想』(8月号、特集「ドゥルーズの哲学」)を見ると、対談の冒頭部分で宇野邦一氏が、「ドゥルーズが紹介されてずいぶん時間も経っているので、若い研究者もたくさん出てきて、アカデミックな文脈で読む、哲学史的な文脈で緻密に読む、という試みも目にするようになりました」と語っていますが、そこから20年を経て、哲学史の中のドゥルーズという題目で、特集が組まれるようになり(雑誌は違っていますが)、隔世の感を覚えます(苦笑)。

個人的な勝手な感想を言うなら、ドゥルーズの単独での著述活動は、基本的になんらかの哲学者、もしくは哲学的なテーマのある側面(ジルソンにもとづく「存在の一義牲」とか、ブレイエにもとづくストア派の「非物体的なものの論理」とか)を借用的に取り上げ、そこからの独自解釈を通じて、結果的にその哲学者、あるいは哲学的テーマの輪郭を、従来よりもはるかに際立たせてみせる、というものが多いように思えます。

でも結果的に、ドゥルーズの議論は、取り上げる当の哲学者やテーマなどの、とても興味深い、一風変わった視点からのまとめになったりもするように思われます。その意味で、その哲学史への構え方や目配せというのは、とりわけドゥルーズ本人の哲学的営為の核心部分なのではないか、とも思えますし、出発点となっている「借用」(語弊がありますが)についての精細な読みは、より重要な研究領域になりそうな印象です。余談ながら、フランスの知的伝統における「借用論」を、より総合的な研究でもって読んでみたい気もします。

で、その『思想』6月号の特集ですが、ドゥルーズと哲学史との関わりという点では、スコトゥス、ストア派、スピノザ、ライプニッツ、ベルクソン、ニーチェあたりはもはや定番という感じでもありますが、同誌のちょっと面白いところは、キルケゴールとの関わりや、ジャン・ヴァール(ベルクソンの弟子で、1930年代にヘーゲルやキルケゴールの紹介者でもあった人物)とのからみ、さらにはホワイトヘッドとの接合といった、従来あまり言及されない人物たちとの関連性が、いくつか検討されていることでしょうか。そういうマイナーどころも(と言ってはナンですが)要注目かもしれません。

ポパーのヒストリシズム批判

少し前に取り上げたポパーの『開かれた社会とその敵』。その後残りの3冊(1巻の下、2巻の上下)の本文をざっと読んでみました。プラトンの哲人皇帝の理想が、継承に際して制度的なものに頼らざるを得ず、凡庸な人物を選んでしまいという弱点を抱えている話とか、プラトンの国制論が、結局「オレサマこそが理想的な皇帝候補だ」みたいに読めてしまう話とかも興味深いのですが(1巻の下)、神話をベースとした堕落論としてのプラトンのヒストリシズムが、アリストテレスにいたって目的論的に組み替えられ、はるか後代にヘーゲルのもとで、三段論法的に練り直され(これ、プロイセンの国家を称揚する意図がありあり、とか)、さらにそれが経済をベースにするかたちでマルクスに受け継がれていく、という2巻の話の流れも、とても興味深いものでした。
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なるほど、ポパーが一貫して執拗に批判するのはヒストリシズム(歴史主義)なのですね。で、これはヘーゲルの遺産として、ポパーの時代も、そしてわたしたちの現代においても、息を吹き返しているのは明らかなようです(吹き返すというか、息が止まることはなかったというか)。

ヒストリシズムは結局、ある種の神話にすぎず、合理的な思考の対局にあるものでしかない、それに立脚して学問的な論を構築しようとするのは、とどのつまり、非合理的なものが猛威をふるうような状態、神秘主義に行き着くだけで、理性が合理的な世界を実現することを妨げてしまいかねない、というのがその基本的な見方です。ポパーは、現代のヒストリシズムは陰謀論の変化形だといいます。「陰謀論は(神が世界を支配し動かしているという)宗教的迷信が世俗化したことの典型的な結果である」というのですね。

学生時代とかに、少しだけマルクスをかじるのが(マルクスへの評価はともかく)割と普通だった年代の者としては、マルクスが掲げた革命の思想が、政治的なプログラム(ポパーの言い方では社会工学)と受け止めるべきなのか、それとも歴史法則的な必然と捉えるべきなのか、今ひとつ曖昧で釈然としなかったような印象を受けたものですが、ポパーに言わせると、それはまさしくヒストリシズムなのであり、いわば宿命論的・決定論的なものでもあって、社会工学のようなピースミールでの改善(この漸進主義を、ポパーは推奨しています)を説くものではなかった、と断罪されています。なんだか、そのあたりは妙に納得、という感じがしたりもします。

でも、このところしきりに思うのは、どんな論考にも必ずアラがあるものだ、ということです。ポパーにしてもまた、何か見えていなかったところがあるかもしれない、と思うわけです。

必ずあるアラ、という話の最近の例では、たとえばウェーバーの社会学もありますね。プロテスタンティズムの禁欲的な倫理が近代初期の資本主義をもたらしたといった有名な話も、実は制度・組織の構築という面について、その精神性がどう関与していったのかは不問にされている、という話があるようです(「ララビアータ」というブログを参照のこと(http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/52641857.html))。ウェーバーも学生のときに読んだきりですが、たしかにそんな話には触れられていなかったような気がします(と言うか、単純に思い出せない(苦笑))。

また最近の本で言えば、数年前に流行ったトマ・ピケティの『21世紀の資本』についても、議論の前提となる富の格差の増大という部分への反論が出て来ているそうですね。スウェーデンのヴァルデンストロムという経済学者が批判しているのだとか。ダイヤモンド・オンラインに記事として掲載されています(https://diamond.jp/articles/-/374773)。

でも、これぞ健全な状態と言うこともできそうです。議論がかならずや反論を呼び、積み重なって新たな局面を迎えていくところこそ、学問の最もダイナミックで興味深いところなのですよね。ポパー自身が、そのことを記しています。

わたくしの考えでは、理論の反証可能性、すなわち、理論を反駁する可能性こそが、理論のテストを可能にし、またそれによって理論の科学的性格が規定されるのである。そして、理論のテストとは、なんであれ、理論の助けによって導出された予測を反証しようとする試みであるという事実こそ、科学的方法論にとっての鍵なのである。

ポパーについても、何か有意義な反論ができないか考えてみたくなってきます。

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