〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.138 2008/11/15 ------文献探索シリーズ------------------------ 「単一知性論」を追う(その9) 質料的知性の位置づけを、ある程度具体的なイメージで説明している箇所 が、前回残した三つめの論点の部分です。すでにこれまでのところで、質 料的知性が分離していて、しかも種に共通なものであるといったことが示 されていましたが、ここでは光の譬え(光が潜在的な色を現勢化させるよ うに、能動知性も潜在する志向性を顕現化させる云々)が出されるほか、 質料的知性と能動知性との結びつきを通して、人間が(おそらくは間接的 に)能動知性ともつながっているといった話が出てきます。そのようなつ ながりの配置を(つまりは完成形ですね)、「獲得知性(intelectus adeptus)」と称したりもしています。質料的知性との個別のつながりを 理知的知性(intellecta speculativa)と表現していましたが、この獲得 知性は、能動知性とのつながりの面を強調した、個人における一種の最終 形(人間が知解のプロセスにおいて到達する知性の状態)という感じです ね。四層構造というよりは、それまで三層構造で語られてきたものが、こ こへきてそれらを垂直に貫く視点で見返しているという印象を受けます。 この獲得知性、もとはアフロディシアスのアレクサンドロスやアル・ファ ラービーが論じているものと言われていますが、アヴェロエスによる言及 はごく限定的のようで、獲得知性そのものの扱いについては、ここでは是 とも非とも述べていないように見えます。一方、知性と個人の結びつきを 改めて論じる第36注解で、この獲得知性は再び取り上げられているので すが(やはりアレクサンドロスやファラービーの説ということで)、そこ では、獲得知性の前提となる能動知性や質料的知性と個別の人間との結び つきという点に関して、両者の議論への難色を示しています。 ここで少しばかり、アレクサンドロスやファラービーのもとのテキストも 参照しておくと、アレクサンドロスの場合、アリストテレスにもとづく見 解では知性は三種類だと述べていて、潜在態としての質料的知性、それが 現勢化したものとしての獲得知性、そして能動知性とされています(『霊 魂論第二部』)。現勢化、つまり能動知性による働きかけは外から (thurathen)なされるといい、もう一方の質料的知性と獲得知性は身体 のもとにあるということが示されています。ですがアヴェロエスは、なら ば生成・消滅可能なそのような知性が、いかにして質料から分離した知解 対象を認識しうるのか、と問いつめます(このあたりはテミスティオスへ の批判と同様です)。 アル・ファラービーになると、アリストテレスが示した知性の種類は四種 類だとし、可能態の知性、現実態の知性、獲得知性、能動知性としていま す(『知性に関する書簡』:邦訳が『中世思想原典集成』11巻にありま す)。ここでの現実態の知性と獲得知性は、ほぼ一続きの関係にあるよう に読めます(このあたりの区別は実のところ微妙な感じです)。また、可 能知性は質料的知性とほぼ同義と考えてよいかと思われます。で、獲得知 性が生じたときにこそ「獲得知性によって実体化される人間は能動知性に 最も近いものとなる」と言明しています。アル・ファラービーははっきり と、獲得知性が人間の実体(完成形)とイコールだと考えているようです ね。アヴェロエスは、現勢化する際に能動知性とつながるといった議論 (邦訳ではそうなってはいませんが)をそのままでは承服できないとし、 能動知性を一段上に、また質料的知性の現勢化と獲得知性の成立との間に もワンクッションを設けることを考えているようです。第36注解でも、 こうして質料的知性の分離が改めて議論されていきます。 ここで再びもとの第5注解に戻りましょう。続く話は大まかに整理すると こんな感じでしょうか。アヴェロエスが質料的知性の共通性(単一性)を 取り上げるのは、それによって同じものを誰もが知解することが保証され るからです。仮にそうでないとすると、種の下に個体があるような事態に なり、個人間で同じものの同じ理解がなされないということにもなりかね ません。師から弟子への教えなどもありえないことになってしまいます。 この、師と弟子が同じ知を得るという話に関連する形で、プラトンの想起 説が示唆されています。分離した知性とのインタラクションをプラトンは 想起説として解釈した、という含みですね。 アヴェロエスはその後の箇所で、知性が単一か複数かという問題について のアヴェンパーチェ(イブン・バージャー)の解決策をも批判していま す。アヴェロエスによれば、アヴェンパーチェは能動知性を理知的理性の 形相として単一であるとし、一方の理知的理性の側は複数だとしていると いいます。これでは両者の関係性に不整合が生ずるというのが(すでにた びたび触れているように)アヴェロエスの議論で、むしろその知性の関係 性・構造をさらに精緻化して考えることこそ理に適う方向性であると見て いるようです。ちなみにアヴェンパーチェのテキスト(『知性と人間の結 合』)も、上の『中世思想原典集成』11巻に収められています。 このように、アヴェロエスが批判する相手はギリシアの初期注解者やアラ ビア思想圏の論者たちなわけですが、そのことからは逆に、アヴェロエス の知性論が単一知性論として受け止められる素地もまた、そうしたギリシ ア・アラビア思想の文脈によって用意されてきたらしいこともほの見えて きます。そんなわけで、次回はそういう思想的伝統について、アヴェロエ スによる批判、あるいは後の中世の批判(アルベルトゥスなど)を通じ て、今一度概括してみたいと思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの個体化論を読む(その3) 『ボエティウス三位一体論注解』問四第一項の三回目は、いよいよジン テーゼ部分です。今回は最初の二段落だけです。あまりよい切り方ではな いですが、少し短かめにさせていただきました。では早速見ていきましょ う。 # # # Resonsio. Dicendum, quod sicut dicit Philosophus in X Metaphisice, plurale dicitur aliquid ex hoc quod est diuisibile uel diuisum; unde omne illud quod est causa diuisionis oportet ponere causam pluralitatis. Causa autem diuisionis aliter est accipienda in posterioribus et compositis et in primis simplicibus. In posterioribus namque et compositis causa diuisionis quasi formalis, id est ratione cuius fit diuisio, (est) diuersitas simplicium et pri(m)orum. Quod patet in diuisione quantitatis: diuiditur enim una pars linee ab alia per hoc quod habet diuersum situm, qui est quasi formalis differentia quantitatis continue positionem habentis; patet enim in diuisione substantiarum: diuiditur enim homo ab asino per hoc quod habet diuersas differentias constitutiuas. Set diuersitas qua diuiduntur posteriora composita secundum priora et simplica presupponit pluralitatem pri(m)orum simplicium: ex hoc enim homo et asinus habent diuersas differentias, quod rationale et irrationale non sunt una set plures differentie. Nec potest semper dici quod illius pluralitatis sit aliqua diuersitas aliquorum pri(m)orum et simpliciorum causa, quia sic esset abire in infinitum. 回答。次のように言わなくてはならない。哲学者が『形而上学』第十巻で 述べているように、多であると言われるのは、あるものが分割可能もしく は分割されているためである。とするならば、分割の原因となるあらゆる ものを多性の原因として据えなくてはならない。しかるに分割の原因は、 後から構成されたものの場合と、原初の単一なものの場合とでは異なると 捉えなくてはならない。 実際、後から構成されるものでは、形相に準じる分割の原因−−それゆえ に分割が生じるところのもの−−は、単一かつ原初の(先行する)多様性 となる。そのことは量的な区分において明らかである。すなわち、直線の 一部が他の部分と区別されるのは位置が異なるからであり、それは位置を もつ連続量の、形相に準じる違いということなのである。また、そのこと は実体の区別においても明らかである。人間はロバから、構成的な様々な 違いによって区別されるのである。しかるに、先行する単一のものに即し て後から構成されるものを分ける多様性とは、その原初の単一のものの多 性を前提とする。それゆえに人間とロバとには様々な違いがあるというこ とになるのだ。というのも、理性的と非理性的というのは一つの違いなの ではなく、複数の違いだからである。またその多性には、ある原初の(先 行する)単一のものの多様性になんらかの原因がある、とは必ずしも言え ない。なぜなら、仮にそうだとすると、無限後退に陥ってしまうからだ。 # # # 前回の箇所に出てきたmemerisという語について、ブログ「ヘルモゲネ スを探して」の大橋氏が、16世紀のあるテキストにおいて、これが numerisと読まれたのではないかとの可能性を示唆なさっています (http://blog.livedoor.jp/yoohashi4/archives/52194350.html)。 これは大変興味深いですね。あるいはそういう写本があったのかもしれな いですし。全体として誤表記、誤読は写本文化の悩ましい問題です。もち ろん写本にもよりますが、一般に、文字の取り違えや省略記号(写本では 多用されます)の間違いなど、実にいろいろな問題が生じうるわけですか らね。もっとも、今こうして取り上げているテキストは校注を経てきてい るものなわけですが(つまり「アカデミカリー・コレクト」な最適解だと いうことです)……。 今回の箇所でも、pri(m)orumのような表記のゆらぎが見られます。これ また写本では一般によくあることなわけですが、トマスの場合にはそれに 輪をかけて、筆跡自体が判読を難しいものにしているようです。長倉訳 『神秘と学知』の冒頭にトマスの原テキストの一部が写真で掲載されてい るのですが、まるでくさび形文字のような筆跡で(笑)さっぱり読めませ ん。これを転写し読みうるテキスト(文字通りの)にするだけでも、大変 な作業を要したことでしょう。はるか遠い先達たちの相当な苦労が忍ばれ るところです。 さて、今回の部分ですが、内容的にわかりにくいのは、とりわけ「単一の ものに多性がある」という部分でしょうか。言葉の矛盾みたいに聞こえて しまいますが、これは後に続く箇所を見れば少しわかりやすくなります (そんなわけで、今回は切り方が悪かった次第です)。要するに、「一 者」にあってさえ、そこから生じる(流出する?)ものにはすでにして根 本的な複数性(二性)が備わっている、ということなのでしょう。続く箇 所に出てくる例で言えば、「存在」があればその一方で「非存在」もあり うるわけです(少なくとも被造物においては)。「一者」以外にあって は、それこそが「多」が生じる基本構造なのだという次第です。 言葉の上の問題じゃないか、と言ってしまえばそれまでなのですが、古代 から中世にかけては、こうした言葉の問題が「存在論的に」処理されると いう点に、思想的な大きな特徴があるようです。脱線になりますが、ジャ ン=フランソワ・クルティーヌというフランスの哲学史家が、そのあたり のことを、たとえば「存在のアナロギア」の前思想的系譜などを引き合い に出して語っています。アリストテレスがプラトンへの批判として「イ デーと感覚与件はホモニミー(言葉の上での同形異義)の関係にすぎな い」としたのに対し、初期注解者たちは言葉の上での「同形性・共通性」 を「分有・参与」(meteicho^もしくはparticipatio)と存在論的に解釈 し、アリストテレスの批判性を殺いでしまったといいます。結果的にこの ホモニミーの考え方はプラトン主義化され(存在論と化し)、後世にい たって「存在のアナロギア」を導く遠因になったという次第です。フィ ジックス(自然学)とメタフィジックス(形而上学)の関係もそうで、ア リストテレスにおいては前後関係でしかなかった学知の区分けが、初期注 解者たちの手によって存在神学論的な区分になっていったのでした。この ような言葉から存在論への横滑り(というと語弊がありますが)は、様々 な面で目にできるようです。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は11月29日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------