〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.142 2009/01/24 ------文献探索シリーズ------------------------ ギリシア思想は途絶えたのか(その2) 前回挙げたポイントのうち最初のものから検討していきましょう。まずは ビザンツにおけるギリシア思想の復興状況です。例のグーゲンハイム本 は、ギリシア文化の継承について、5世紀から8世紀にかけての状況が従 来言われてきたほど「暗黒」ではなかったとし、キリスト教がギリシア語 で継承されていった東ローマでは、ギリシア文化への関心は維持され、他 のギリシア文献の翻訳も進むことになったとしています。 ビザンツでギリシア思想が受け継がれていたという点はほぼ問題ないと思 われます。和田廣『史料が語るビザンツ世界』(山川出版社、2006) は、ビザンツの文化面を訳出史料を織り交ぜながら紹介していく好著で、 大いに参考になりますが、そこでは「知識人」で一章を立てて知識階級の 状況を解説しています。それによると、ビザンツの知識人の活動はコンス タンチノープルを中心としてなされていたといい(7世紀のイスラムの征 服や、スラブ人の南下で、学芸の拠点だったいくつかの都市が失われて いったため、首都が中心になったということです)、また、その教育の基 本は古典ギリシア期の修辞学にあったといいます。古典文化の継承はごく 自然になされていたようです。 では西欧はどうでしょうか。グーゲンハイム本では、500年から550年頃 に一度学校制度が解体し、学芸は少数のサークルの形でのみ存続したと述 べています。その一方で、ギリシア文化への関心は失われたわけではない とし、その例として、6世紀末のアグリジェントのグレゴリウスがアリス トテレスに複数回言及していることを取り上げています。でも、このあた りは微妙ですね。アグリジェントはシチリア島南西部の町ですが、ここで 言及されているグレゴリウスは、18歳でエルサレムに向けて出国し、後 にコンスタンチノープルで助祭になり、さらにローマに戻って故郷アグリ ジェントの司教になった人物、と同書で説明されているのです。ビザンツ 帰りのこういった人物を、西欧側のギリシア文化への関心の例として挙げ るのはいささか筋違いな感じもします。要はその人物が文化面でどういう 影響をもたらしたかですが、そのあたりには触れられていません。 次いでグーゲンハイム本は、ギリシア文化の継承の中心地の一つとして ローマを挙げています。ちょっとこれはびっくりしますね。一応、ローマ においてはギリシア語はあまり解する人がいなくなった、という定説を認 めはするのですが、7世紀にギリシア人とレヴァント人が、ペルシアとア ラブの侵攻をうけて大挙移民として流入し、結果的にローマにおけるギリ シア文化への注目は高まったのだ、と断定しています。そうした亡命勢力 ゆえに、685年から752年までギリシア人、シリア人の教皇が続いたと記 されているのですが、このあたりの解釈は従来のものとはかなり違う印象 です。 歴代の教皇について手軽に読めるものとして、竹下節子『ローマ法王』 (中公文庫、2005)があります。同書からその一連のギリシア系・シリ ア系の教皇というのを列挙しておくと、ヨハネ5世(シリア)、コノン (出生地不明)、聖セルギウス1世(シリア)、ヨハネ6世(ギリシ ア)、ヨハネ7世(ギリシア)、シシニウス(シリア)、コンスタンティ ヌス(シリア)ときて、その後に聖グレゴリウス2世と聖グレゴリウス3 聖(ともにローマ)を挟んで、聖ザカリアス(ギリシア)と続きます。実 はこのころまで、ローマ教皇は自分の領土をもたず、形式上はビザンツの 属領になっていました。そのため、ローマ教皇がフランク族のピピン(カ ロリング朝)から領土の寄進を受けたときなどには、コンスタンティノポ リス側が「それはわれわれのものだ」と再三横やりを入れてきたといわれ ます。 実際、東方教会はビザンツの皇帝ともども、敵対するローマ教会の教皇の 選出にまで口を出してきたといいます。645年から55年まで在位した聖 マルティアヌス1世などは、ビザンツの皇帝によって廃位・流刑となって いるのですね。ギリシア系・シリア系の教皇選出も、むしろそういうビザ ンツの介入によるものだったのではないか、という印象を受けます(この あたりは未確認なのですが)。ピピンの寄進でローマ教皇は直轄領を得、 「コンスタンティヌスの寄進状」をでっち上げてまでその領土の正当性を 主張します。カロリング朝と教皇の接近の背景には、ビザンツとの敵対関 係があった、と上の『ローマ法王』にはありますが、そういう歴史的文脈 があったとすると、ローマにおいてギリシア文化が盛んに受け入れられた という話は、にわかには信じられないことになります。グーゲンハイム本 は実証的な証拠を出してはいないので、さしあたり通説を覆すだけの議論 にはなっていません。 上の『史料が語るビザンツ世界』はどう見ているかというと、7世紀の南 スラブ人の南下によって、西方とビザンツ世界の人的交流そのものが物理 的に困難になったとし、ローマなどでのギリシア語の知識は減衰し、同じ くコンスタンティノープルのラテン語の知識も後退したと述べています。 カトリック世界と東方正教の分裂と対立がやはり強調されています。もち ろん西方との外交使節などの往来はあったのでしょうけれど、やはり文化 的交流のような動きは乏しかったという立場が貫かれています。その亡命 勢力云々という話はどうなのでしょう?人的交流については、もうちょっ と探ってみたいところです……。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ トマス・アクィナスの個体化論を読む(その7) さて、『ボエティウス「三位一体論」注解』は今回から問四の第二項に入 ります。構成は例によってまず異論が示され、それに対する反論が置か れ、それからトマス自身の立場が論じられて、異論への対応で締めくくら れます。今回はまずその冒頭の異論部分です。 # # # Articulus secundus Vtrum uarietas accidentium faciat diuersitatem secundum numerum Ad secundum sic proceditur: uidetur quod uarietas accidentium non possit esse causa pluralitatis secundum numerum. Philosophus enim dicit in V Metaphisice quod numero sunt unum quorum est materia una; ergo et numero plura quorum sunt materie plures. Ergo diuersitatem in numero non facit uarietatis accidentium set magis diuersitas materie. 2. Preterea. Philosopus dicit in X Metaphisice quod idem est rebus causa substantie et unitatis. Set accidentia non sunt indiuiduis causa substantie, ergo nec unitatis; et ita per consequens nec pluralitatis secundum numerum. 3. Preterea. Omnia accidentia cum sint forme, ex se ipsis sunt communicabilia et uniuersalia; set nichil tale potest esse alteri principium indiuiduationis; ergo accidentia non sunt indiuiduationis principium. Set aliqua sunt secundum numerum diuersa in quantum in sua indiuiduatione diuiduntur. Igitur accidentia non possunt esse principium diuersitatis secundum numerum. 4. Preterea. Sicut ea que differunt genere uel specie in genere substantie differunt secundum substantiam et non solum secundum accidens, ita et ea que differunt secundum numerum. Set aliqua dicuntur diuersa genere uel specie per id quod est in genere substantie. Ergo et similiter dicuntur diuersa numero per id quod est in genere substantie et non per accidentia. 5. Preterea. Remota causa remouetur effectus. Set omne accidens contingit a subiecto remoueri uel actu uel cogitatione. Si ergo accidens est principium idemptitatis secundum numerum et diuersitatis, contingeret actu uel cogitatione eadem quandoque esse unum secundum numerum, quandoque uero diuersa. 6. Preterea. Posterius numquam est causa prioris. Set inter omnia accidentia primum locum tenet quantitas, ut dicit Boetius in Commento Predicamentorum; inter quantitates autem naturaliter numerus prior est, cum sit simplicior et magis abstractus. Ergo impossibile est quod aliquod aliud accidens sit principium pluralitatis secundum numerum. 第二項 付帯的多様性は数の上での相異をもたらすか 第二項については以下のように進める。一.付帯的多様性は数の上での多 性の原因にはなりえないと考えられる。哲学者は『形而上学』五巻で、質 料が一つであるものが数の上で一つであると述べている。したがって質料 が複数であるものが数の上でも複数である。よって、数の上での相異は付 帯的多様性によってもたらされるのではなく、質料の相異によってもたら されるのである。 二.加えて、哲学者は『形而上学第』一〇巻で、事物の実体と一性の原因 は同一であると述べている。しかしながら、付帯性は個物の実体の原因で はない。したがって一性の原因でもない。結果として、数の上での多性の 原因でもない。 三.加えて、付帯性はすべて形相であるがゆえに、共約性や普遍性はおの ずと生じる。しかしながら、そうしたものはほかのものの個体化の原理で はありえない。ゆえに付帯性は個体化の原理ではない。しかるに、個体化 において分割され、数の上での相異をなしているものもある。よって付帯 性は数の上での相異の原理にはなりえない。 四.加えて、類や種で異なるものが実体の類においても異なるのは、あく まで実体においてなのであって、単に付帯性において異なるのではない。 同様に、数の上で異なるものもやはりそうである(実体において異な る)。しかしながら、実体の類に置かれたものゆえに、類や種で異なると 言われるものもある。したがって同様に、数の上で異なると言われるもの も、実体の類に置かれたものゆえにそう言われるのであって、付帯性によ るのではない。 五.加えて、原因が斥けられれば結果も斥けられる。しかしながらすべて の付帯性は、基体から現実に、あるいは思惟において、取り除かれること がありうる。ゆえに、仮に付帯性が数の上での同一性や相異の原理であっ たならば、同じものが現実に、あるいは思惟において、ときには数の上で 一つ、ときには複数でありえてしまう。 六.加えて、後にくるものは先立つものの原因にはなりえない。しかる に、ボエティウスが『範疇論注解』で述べているように、すべての付帯性 のうち第一の地位にくるのは量である。とはいえ数は、より単純かついっ そう抽象度の高いものであるがゆえに、いろいろな量に本性的に先立つも のである。したがって、付帯するほかのなんらかのものが、数の上での多 性の原理ではありえない。 # # # 数の上での相異というのは、要するに種よりも下位に位置する、個物の分 割に関わる相異ということでしょう。そういう個物の成立要因として、付 帯的多様性、つまり自存しているのではなく、あくまで基体に随伴してい る属性の違いを挙げることができるか、というのがこの項での検証事項で す。 ボエティウスのもとのテキストでは、「多性の原理は他性である」とした 後、事物の同一性(ないし相異)は三つに分かれるとあり、それぞれ「類 的同一」「種的同一」「数的同一」だとしています。数的同一の事例とし て「トゥリウスとキケロは数において一つだから同一」と述べています。 相異も同様で、「数の上での相異は付帯性の多様性がもたらす。たとえば 三人の人間が異なるのは類によってでも種によってでもなく、その付帯性 によってである(Sed numero differentiam accidentium uarietas facit. Nam tres homines neque genere neque specie sed suis accidentibus distant.)」と述べています。これがどういうことかを論 じるのがこの項の眼目なのですね。 最初は異論を挙げているわけですが、それらからも窺えるように、形相と 質料、あるいは可能態と現実態など、アリストテレス的なタームがここに 大きく関わってきそうです。これらの異論を大きく分けるなら、付帯性 (偶有性)は形相の側にあり、それに対して数の上での相異は質料の側に ある、という議論に帰着するのが(1)から(3)で、実体(現実態)は 質料の側にあり、付帯性(可能態)はその実体の相異に与らない、という 議論に集約されるのが(4)から(6)という感じでしょうか。 引用部分も一応見ておきましょう。『形而上学』五巻とされているのは、 五巻六章1016b31-33ですが、そこでは「一であるというのは、数的に であるか、形相的にであるか、類的にであるか、類比的にであるかだ」と し、「質料が一であるものが数的に一、ロゴスが一であるものが形相的に 一、同じ範疇の形象に属するものが類的に一、他と相互に入れ替わりうる ものが類比的に一」と説明されています。同じく一〇巻というのは一〇巻 一章1052a33で、「『一』は第一のもので、実体にとって一性の原因を なす」とされています。 とまあ、こんな感じでまたぼちぼちと読み進めていきたいと思います。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は02月07日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------