〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.160 2009/11/21 ------文献探索シリーズ------------------------ インペトゥス理論再訪(その14) インペトゥス理論においてビュリダンやオレームに続く著名な人物といえ ば、ザクセンのアルベルトが挙げられます。アルベルトは主に14世紀後 半に活躍した人物で、まずはビュリダンの一派に属しパリ大学で教鞭を取 り、1365年から没年の1390年まではウィーン大学の学長を務めまし た。それほど独自の見解を示たわけではないと言われますが、自然学に関 する注釈書などを残しており、その著書はいわばハンドブックのような形 で広く読まれたといいます。 インペトゥスについての言及は『自然学注解』と『天空論註解』に見られ ます。全体としてはビュリダンに準拠しつつ、ほかのたとえばオレームの 加速度についての考え方なども取り込んでいたりするようで、諸説並記と いうか、一種の折衷的な立場を取っているようです。基本にあるのは、イ ンペトゥスの量は物体の重量に比例するというビュリダン的な考え方です が、少しばかりビュリダンの説をはみ出します。たとえば石は羽根よりも 大きなインペトゥスを持ち、より長く運動を継続できるとされています が、加えてそのインペトゥスにより、ぶつかったときの衝撃もより大きく なるのだとも述べています。インペトゥスは運動の力としてだけでなく、 衝突の際の衝撃力としても考えられているのですね。これはアルベルト独 自の見解のようです。 落下運動の加速についての説明では、「インペトゥスもしくは付帯的な重 さによって加速度が増す」といったオレーム的な文言も見られます。「も しくは」と言い換えられているように、この「付帯的な重さ」は、ほとん どインペトゥスの同義語として扱われています。付帯的な重さをインペ トゥスの意味で同列に用いているのはアルベルトが初めてだ、とマイヤー は述べています。それ以後、この概念はインペトゥスを示すものとして頻 繁に用いられるようになるというのです。 前にも取り上げたサルノウスキーの見解では、この落下運動に関しアルベ ルトは、インペトゥスを運動の原因(ビュリダン的に)としてだけでな く、加速度の原因(オレーム的に)としても考えているとして、単に諸説 並記というよりも、インペトゥス概念の拡張を図っているものと見なして いるようです。 アルベルトは天球の永続的運動についても大筋はビュリダンを踏襲してい て、天球の周回運動もまたインペトゥスによるものだとし、拮抗する他の 力が働かなければ原則的にインペトゥスは不朽であるとしています。とこ ろがこれは別の箇所の記述と矛盾します。アルベルトはオレームが提示し たある思考実験を取り上げています。仮に地球の中心を貫いて坑道が開い ていて、そこに物体を落下させたとすればどうなるか、という問題です。 オレームは、加速度によるインペトゥスの増大と、動因そのものの欠如に よるインペトゥスの漸減とが拮抗し、振り子のように行ったり来たりした のち、最終的にはその坑道内で静止するという説を唱えています。アルベ ルトが再録しているために、誤ってこれはアルベルトの説だと長く信じら れていたようですが、いずれにしてもこの考え方ではインペトゥスは基本 的に漸減することになっています。このあたりについてはマイヤーが長々 と指摘していますが、インペトゥスが不朽なのか漸減するものなのか今ひ とつはっきりせず、確かに一貫していないようにも見えます。 このように総じて折衷的なアルベルトのスタンスですが、衝撃力としての インペトゥスや、付帯的な重さの同義語としてのインペトゥス、さらには 加速度と漸減の曖昧な説明などは、確かにある意味、インペトゥス概念の 拡大・拡張の動きをとして捉えることもできそうです。マイヤーによる と、たとえば後のパルマのブラシウスなどにも、同じようにインペトゥス についての曖昧なスタンスが見られるといいます。14世紀後半のこの時 代は、もしかするとインペトゥス概念の拡大があちこちでなされていたの かもしれません。一種の時代の流れのように……。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ドゥンス・スコトゥスの天使論を読む(その1) 今回からドゥンス・スコトゥスを読んでいくことにします。スコトゥス (1265年頃〜1308年)はフランシスコ会士で、オックスフォードやパ リ大学で神学を教えていた人物です。論理思考の精妙さから、精妙博士と の異名をもっています。主著としてアリストテレスの著作を註解した『註 解問題集』や、神学講義である『オルディナティオ』などがあります。今 回読むのは、その『オルディナティオ』から第二巻第三区分第一部に相当 する「個体化の原理」の問七です。底本は羅仏対訳本("Le principe d'individuation", trad. Gerard Sondag, Vrin, 2005)です。ちなみに 同書は仏訳だけの版が1992年に出ていましたが、2005年に対訳本とし て刷新されています。 それではさっそく、問七の冒頭部分を見ていきましょう。 # # # Questio 7 Utrum sit possibile plures angelos esse in eadem specie Septimo et ultimo circa ista materia quaero utrum sit possibile plures angelos esse in eadem specie. Quod non: Quia Philosophus VII Metaphisicae cap. "De partibus definitionis", in fine, dicit quod "in his quae sunt sine materia, idem est quod- quid-est et illud cuius est"; ergo cum angelus sit sine materia, quod-quid ejus est idem ipsi angelo. Igitur impossibile est angelum distingui ab angelo nisi quod-quid eius distinguatur a quod-quid alterius angeli; igitur non potest esse distinctio individuorum angelis sub eodem quod-quid-est. Praeterea, Avicenna IX Metaphisicae ponit ordinem intelligentiarum, ubi videtur velle quod intelligentia inferior producitur a superiore quasi ipsam creante; ista autem causaitas non est in aliquo respectu alterius eiusdem speciei. Praeterea, arguo per rationem: omnis differentia formalis est differentia specifica; angeli, cum sint plures et formae, differunt aliqua differentia formali; igitur specifice. Probatio maioris sumitur ex VIII Metaphysicae, ubi formae comparatur numeris, in quibus quodcumque additum vel subtratum variat speciem; igitur etc. Item, aliter probatur X Metaphysicae cap. paenultimo: "Masculus et femina non differunt specie, quia masculinitas et feminitas non sunt nisi differentiae materiales formae humanitatis", - ex hoc innuens quod differentiae formales omnes distinguunt specie; tum etiam, quia forma et specie idem; quare etc. 問七 複数の天使は同じ種でありえるか この質料について、七番目の最後の問いとして、複数の天使は同じ種であ りえるかどうかを問おう。 否という議論は以下の通り。 哲学者は『形而上学』七巻の「部分の定義」の章の末尾において、「質料 をもたないものにおいては、何性はその本質と同一である」と述べてい る。しかるに天使は質料をもたない以上、その「何性」は天使そのものと 同一である。したがって、ある天使の「何性」が、別の天使の「何性」か ら区別される場合以外、その天使を別の天使から区別することはできな い。よって、同じ「何性」のもとでは、個別の天使を区別することはでき ない。 加えて、アヴィセンナは『形而上学』九巻で知性の秩序を定め、下位の知 性は上位の知性によって、(上位の知性が)みずからを創造するかのよう に産出されると考えている。しかしながらその因果関係は、同じ種のもの 同士の関係にはない。 加えて、推論的な議論もできる。形相的な違いはすべて種の違いによる が、天使が複数あり形相であるとするなら、それらが異なるのはなんらか の形相的な違いによるのである。したがってそれらは種において異なるの である。 大名辞の論拠は『形而上学』八巻に見られる。そこでは形相は数に譬えら れるが、その場合は増減によって種は異なるとされる。したがって……以 下略。 また『形而上学』一〇巻の終わりから二番目の章も論拠となる。「男女は 種で異なるのではない。なぜなら男女は、人間の形相の質料的な違いでし かないからだ」。そこでは、形相の違いはすべて種を分けるということを 示唆しているのである。ゆえにまた、形相と種とは同一なのである。なぜ かといえば……以下略。 # # # この『オルディナティオ』第二巻第三区分第一部というのは七つの問いか ら構成されているのですが、実はこの問七の天使の問題は、この七つの問 いのうち最も中心的な問題となっています。というのも、そもそもこの箇 所全体の問題設定は天使をめぐってなされているからです。問一の冒頭に は次のようにあります。「第三区分では天使の区別について検討しなくて はならない。しかしながら、その区別そのものについて考えるために、ま ずは物質的なものの実体における個物の区別について検討しなくてはなら ない(…)」。 天使の問題を考えるために、まずは物質的なものについて考えようという わけです。つまり問一から問六は、問七を考えるための長大な迂回路に相 当するのですね。羅仏対訳本の解説において訳者のジェラール・ゾンダグ は、この長大な迂回の理由を、当時の基本的な思考の流れとして「創られ た知性は感覚的・物質的事物から非物質的事物へ向かわなくてはならな い」からだと説明しています。ということは、問七を読むためには問六ま での前段階も押さえておかなくてはなりません。というわけで、少しその あたりも本文の読みと同時並行でまとめていきたいと思います。 さて本文ですが、今回は冒頭部分で、まずはテーゼに対する異論から始 まっています。この後、他の論者の主張が来て、その後にスコトゥス本人 の主張が展開します。そして最後に異論への返答が記されます。このあた り、前のトマスの文章と基本構造は一緒です。推論の展開が重複する部分 を「etc」として省略するのも、この時代のテキストに広く見られる表記 ですね。 今回の異論部分では、とりわけアリストテレスへの準拠が数多く見られま す。「quod quid est」という表現が出てきましたが、これはアリストテ レスのテキスト(『形而上学』七巻、1037a32 - b05)の「ti e^n einai」のラテン語訳です。「そこにある(あった)何かが何であるか」 ということで、一般に「本質」を指す言葉ですが、ここでは仏訳に準じる 形で「何性」と訳出しておきます。ちなみに、ほかのアリストテレスの参 照箇所も当たっておくと、形相(定義)が数に譬えられているという一節 は1043b34、男女が質料で異なるというのは1058b21。アヴィセンナ の言及箇所は九巻の四章全般となります。 とまあ、こんな感じでまた読み進めていきたいと思いますので、どうぞお 付き合いください。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は12月05日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------