〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.204 2011/10/22 *お知らせ 本マガジンは原則隔週での発行ですが、次回は都合により、一週遅れて 11月12日の発行とさせていただきたいと思います。よろしくお願い申し 上げます。 ------文献探索シリーズ------------------------ 薬草学を縦断する(その5) 前回まで見た1905年のマンドラゴラ論文は意外に網羅的な一篇でした。 それによると、マンドラゴラに関して、ディオスコリデス以降のテキスト はその引き写しが主で、あまり観察や実地体験にもとづいた記述ではない ということでした。それだけ古典的な文献が価値あるものとされていたの でしょうね。とするなら、そうした引き写しの伝統は、マンドラゴラ以外 の植物の記述にも当てはまりそうな感じです。 ディオスコリデスの著書はかなり長いスパンで後世に影響を及ぼしたとさ れています。ある書籍の序文に、そのあたりの事情が断片的ながら記され ていますので、少しその中身を見ておきましょう。ディオスコリデスの 『デ・マテリア・メディカ』は帝政ローマ時代にはギリシア語写本自体が 盛んに出回っていたらしいのですが、中世初期ともなるとギリシア語の使 用が減衰し、結果的にラテン語への翻訳が必要とされるようになったとい います。かくして6世紀ごろのラテン語訳が三種類残っていて、これは 「ディオスコリデス・ランゴバルドゥス」という名で知られているのだと か。オリジナルに比較的忠実な版だといいますが、どうやらこのラテン語 訳はあまり普及しなかったようです。中世初期には、文化的な衰退のせい もあってか、より短く簡便な編纂ものがもてはやされました。たとえば、 偽アプレイウスの『植物学(Herbarius)』や偽ディオスコリデス『雌植 物の抽出物(Ex herbis femininis)』などです。 状況が変わるのは12世紀からです。これは全体的な文化状況が進展した からで、とりわけ文化交流の盛んなサレルノやナポリでは医学も飛躍を遂 げていきます。それを背景に、ディオスコリデス本にも新しい動きがあり ました。『デ・マテリア・メディカ』を5分冊に分け、アルファベット順 に並べた編纂書が出てきます。「ディオスコリデス・アルファベティク ス」という名で呼ばれているその写本は、実はオリジナルに対応する部分 は七割ほどで、残り三割は別のソースに由来する内容なのだそうで、サレ ルノで成立したのではないかとされています。その写本のうち13世紀の ものに、この「ディオスコリデス・アルファベティクス」をコンスタン ティヌス・アフリカヌス(サレルノ学派に多大な貢献をした人物ですね) に帰していると記述があるらしいのです(おそらく献辞部分で)。ただ、 これはほとんど当てにならない帰属だとされ、結局、編纂者は不詳という ことになっているのですね。 では、サレルノ学派におけるディオスコリデスの受容はどのようなもの だったのでしょうか。総じて、サレルノ学派によるディオスコリデスの引 用は、ディオスコリデスの薬草学を扱った古代末期の文献か、もしくはコ ンスタンティヌス・アフリカヌスを通じての、二次文献からの引用だった のではないか、とこの序文の著者は述べています。とはいえ、サレルノで のディオスコリデスの理解は相当に深いものだったことも窺えるといい、 その「ディオスコリデス・アルファベティクス」の編纂に、サレルノの医 学者たちが一部関わっている可能性も十分あるとしています。ただ、この あたりは確証的な証拠資料がないようです。 実際のところ、サレルノでは伝統的に薬草ほか自然界からの抽出物を治療 に用いることがきわめて重要とされていました。で、その知識の源として 重用されたのが古代末期から中世初期の医学文献だったといいます。そこ に、コンスタンティヌス・アフリカヌスが翻訳して持ち込んだアラビア医 学が加わるわけですが、それはサレルノの医学にとっての一大転機をなし たとも言われます。というわけで、古代末期からの伝統的な処方と、おそ らくはそれを補完するようなアラビア医術とが、サレルノにおいて融合す ることになるわけですが、一方でこの後者の受容はきわめてゆっくりとな されていった模様です。 以上はこの序文のほんのさわりの部分です。この序文は、偽バルトロメウ ス・ミニ・デ・セニス『薬草論』(Tractatus de herbis)の校注本か ら、イオランダ・ヴェントゥーラの手によるものです(PS. Bartholomaeus mini de senis, "Tractatus de herbis", A cura di Iolanda Ventura, Sismel/Edizioni del Galluzzo, 2009)。『薬草論』 というのは、ブリティッシュ・ライブラリー所蔵(エガートン写本747) の13、14世紀ごろの写本で、どうやら『簡易医療論または臨床論 (Liber de simplici medica, vel Circa instans)』などの文献にもとづ き、その内容を項目別にアルファベット順に並び替えたものらしいので す。というわけで、今度はしばしこの『薬草論』の序文解説と本文に注目 していきたいと思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ オッカムの直観論(その3) 前回のところで、オッカムは自身の議論として、(一)個物は知解され、 (二)最初の認識は直観的であり、(三)個物は最初に知解される、とい う立場を示していました。この三つを論証すべく、論が進んでいきます。 # # # Confirmatur, quia universale recipitur immaterialiter, quia species intelligibilis vel cognitio per quam recipitur est immaterialis, quia nihil est realiter in intellectu nisi species intelligibiles vel actus intelligendi vel habitus, secundum istos, et secundum communiter loquens. Igitur nihil recipitur in intellectu nisi quia aliquod istorum - quod est aliquid illius - recipitur, sicut obiectum dicitur recipi in intellectu, quia actus intelligendi qui est illius obiecti recipitur in intellectu, et per consequens non recipitur immaterialiter in intellectu nisi quia aliquod illorum est immateriale. Sed ipsa cognitio singularis ita poterit esse immaterialis sicut cognitio universalis, igitur propter hoc non repugnat sibi primo recipi vel cognosci ab intellectu. このことは(次のように)確認される。普遍は非物質的に受け取られる (とされる)。それは、普遍が受け取られる拠り所となる知的スペキエス ないし認識が非物質的なものだからである。なぜなら、この論者たち、ま た一般に言われるところによれば、知性の中に実際に存在するのは、知的 スペキエス、あるいは知解されるべき現実態、あるいはハビトゥス(能 力)以外にないからだ。したがって、知性の中に受け取られるのは、それ らのいずれか、つまり知性のなんらかの事象が受け取られるからにほかな らない。ちょうど、知性の対象であるところの知解すべき現実態が知性の 中に受け取られるがゆえに、知性に対象が受け入れられると言われるよう に。また、結果的に、知性に非物質的に受け入れられるのは、それらのい ずれかが非物質的だからにほかならない。しかしながら、個物の認識その ものも普遍の認識と同様に非物質的でありうる。したがってそれゆえに、 知性によって最初に個物が受け入れられうること、もしくは認識されうる ことは斥けられない。 Confirmatur secundo, quia non plus repugnat singulari materiali recipi immaterialiter quam universali recipi singulariter; sed universale recipitur singulariter in intellectu, quia intentio sua, et similiter species intelligibilis per quam recipitur, est simpliciter singularis; igitur etc. Praeterea, anima separata potest intelligere singulare, igitur eadem ratione et coniuncta. このことは第二に次のようにも確認される。物質的な個物が非物質的に受 け取られることは、普遍が個別的に受け取られることと同様に斥けられる (とされる)。しかしながら普遍は知性において個別的に受け取られる。 なぜならその志向性、およびそれが受け取られるもととなる類似的な知的 スペキエスは、端的に個別のものだからである。よって(以下略)。加え て、分離した魂は個物を知解できる。したがって同じ理由から、結合した 魂も同様である。 Secundum probo, quia notitia singularis aliqua potest esse intuitiva, quia aliter nulla veritas contingens posset evidenter cognosci ab intellectu; sed notitia intuitiva rei non est posterior notitia abstractiva; igitur notitia intuitiva rei singularis est simpliciter prima. 二つめについて論証する。なんらかの個物の認識は直観的でありうる。な ぜならそれ以外に、いかなる偶有的真理も知性によって明証的に認識され えないからだ。しかしながら、事物の直観的認識は抽象的認識の後にくる のではない。したがって、個物の直観的認識は端的に最初のものである。 # # # 最初の二つの段落は(一)についての論証の続きです。オッカムは、仮に 知性が物質的な個物を知解しえないとしたら、その理由にはどんなものが あるかと問い、いずれも整合性がとれないとして斥けていくわけですが、 その最後に挙げられていたのが、「知性は物質的には何も受け取らないか らだ」という理由でした。これについてオッカムは、「知性が知解対象を 非物質的に受け取ることは斥けられる」としていくつかの議論を示してい ます。今回の箇所では、「非物質的に受け取ることを認める論者たちは、 知性が受け取るのが知的スペキエス(可知的形象)という非物質的なもの であるということを前提にしている」と指摘し、けれどもその場合、個物 も普遍も知的スペキエスとして扱われるのだから、非物質的に受け取るか らといって個物ではないとは言えない、という反論を提示しています。二 つめの段落では、普遍ですら個別的に(個々に)知解されるのだから、い わんや個物をや、ということなのでしょう。三つめの段落になると今度は (二)についての論証になります。 さて、直観認識についての議論は、アウグスティヌス以来の長い系譜があ るわけですが、前にも少し見たように、とくにフランシスコ会派やその周 辺では、ボナヴェントゥラ以降、アウグスティヌス的な照明説をベースに してその直観認識の論を展開しています。復習しておくと、照明説という のは要するに、啓示などを認識する知性は人間には元来備わっておらず、 そこに神からの「光」が差すことで、知性が補完され認識が可能になると いうものでした。スティーヴン・マローネ「ゲントのヘンリクスとドゥン ス・スコトゥスによる存在認識論」(Steven P. Marrone, 'Henry of Ghent and Duns Scotus on the Knowledge of Being' in "Speculum", Medieval Academy of America, vol.63 No.1, 1988)という論文に最 近目を通したのですが、それによると、ボナヴェントゥラやジョン・ペッ カム、アクアスパルタのマテューなどに代表される照明説は、いわば一つ の全体的議論をなしているとされていたのですが、実はその内部には異な る三つの議論が入っているといいます。 つまり照明説には、(A)人間の認識の確実性を保証する、(B)人間が 知りうる不変の真理があることを正当化する、(C)精神が神に到達する (神を認識する)道を示す、といった議論が混在しているというのです ね。こうした区分を早くから明確に意識していたのが、ゲントのヘンリク スです。ヘンリクスは在俗教師だった人物ですが、その教説はスコトゥス などが批判的に継承しており、近年とりわけその重要性がクローズアップ されてきているようです。 スコトゥスはヘンリクスを批判して、人間は本性的に真理を認識すること が可能だという立場を取っていると一般に言われますが、実はヘンリクス もまた、様々な制約を受けつつも、とりわけ(C)の神の認識にいたる道 を探っていて、その意味ではスコトゥスとパラレルな部分も多いのだ、と この論文著者は述べています。ここでは深入りはしませんが、ヘンリクス にせよスコトゥスにせよ、ボナヴェントゥラなどのある意味素朴な照明論 を吟味する過程にあって、次第にそこから遊離するというのが全体的な方 向性のように見えます。 逆にそうした中から、より狭い厳密な意味での認識論が立ち上がってくる 感じです。スコトゥスの場合には、神の認識へと至るために、神と被造物 との間の決定的な溝を埋めてしまおうとします。それが存在の一義性の議 論なのでした。ですがヘンリクスの場合には、その決定的な溝はまだ超え がたく横たわっています。ヘンリクスは神の認識にいたる方途は三つしか ないと考えていました。一つは選ばれた人しか与れない、神の本質の直視 です。これは一般的方途という意味では論外です。二つめは被造物から神 の概念へと論証を進めていくという「論理学的な」方途です。神の「何 性」(本質)を掌握するのではないという意味で、これもアウトです。そ して残された三つめが、存在の認識において神を捉えるというもので、こ れはスコトゥスの存在の一義性に限りなく近いものといえます。被造物の 存在を捉え、そこから神の存在にまで階梯を上っていくように認識を高め るという方途なのですね。 では、オッカムの認識論はどうでしょうか。その方向性をいっそう進めた ものなのでしょうか。前回見たように、オッカムの直知についての議論が 真理判断や認識の確実性をめぐるものなのだとしたら、まさにそれは上の (A)と(B)に対応していることになりそうです。では(C)はどうな のでしょうか。神の認識についてのオッカムの立場がわかれば、まさにそ れは照明説の精緻化という視点でオッカムを捉えることができそうに思え ます。これはちょっと別テキストにもあたりながら検証したいところで す。というわけで、それはまた次回以降に。 *本マガジンは隔週の発行ですが、次号は都合により11月12日の予定で す。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------