〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.210 2012/02/04 ------文献探索シリーズ------------------------ 薬草学を縦断する(その11) 薬草学の拡がりの一端ということで、今度はルネサンス期に着目してみた いと思います。今回も論考を見ていきましょう。取り上げるのは、『植物 の世界』という論集(シスメル社刊)に所収の、マリー=エリザベト・ブ トゥルー「アザミと書物:エティエンヌ・ド・レーグ『特異なる論』につ いての研究」という論文です(Marie-Elisabeth Boutroue, 'Des Chardons et des Livres. Etude sur le "singulier traicte" d'Etienne de Laigue', in "Le monde vegetal - Medecine, botanique, symbolique", ed. Agostino Paravicini Bagliani, Sismel - Edizioni del Galluzzo, 2009)。 エティエンヌ・ド・レーグ(1490 ?〜1538 ?)はフランスの人文学 者・自然学者で(ベリー地方ボーヴェの領主でした)、プリニウス『博物 誌』のラテン語注解のほか、フランス語で一般向けの植物学の書を著して います。代表的なものは二つあり、その一つは正式名称を『カメ、エスカ ルゴ、カエル、アーティチョークの諸特徴を収めた特異なる論』 (Singulier tracte contenant les propriete des tortues, des grenoilles, des escargotz et des artichauts)という小著です。1533 年ごろの刊行と言われています。もう一つは『キャベツ礼賛』 ("Encomium brassicarum sive caulium")という小著もあります。こ れらに、当時としては比較的新しい食用の植物だったアーティチョークに ついての記述が見られます。 ルネサンス時代の植物学の書物は膨大で、いまだにカタログ化されていな いようですが、印刷本が多数出回るようになるのは1540年以降だとされ ています。それ以前は中世の植物学的知識をただ伝えるものが多く出回っ ていたといい(プリニウスやアラブ系の書物の誤りを正すニコロ・レオニ チェノの著作など、いくつかの例外はあったといいます)、1530年代ご ろからその傾向が逆転し、中世以来の書物の印刷本はあまり出なくなり、 代わりにそれらを批判的に扱う新たな知の伝統が生じていくようなので す。ド・レーグの小著もまたそうした流れの中に位置づけられそうです。 とはいえ、詳しく見ていくと事実はそう単純ではない……それがこの論考 の立脚点です。 アーティチョークは15世紀にイタリアの農学者たちによって改良された アザミの一種で、それ以降に食用・医療用として重宝されるようになりま した。その意味で、ルネサンス期においてはまだ新しい植物だったわけで すね。アザミの類はもともとローマ時代から食されていたようで、プリニ ウスにその記述があり、ド・レーグはそれを引きながら、モラリスト的な 見解を述べたりしています。一方で新しい植物だけに、とくにその分類、 つまり言葉と実物との結びつきについて、ド・レーグも苦慮しているよう です。野生のアザミと栽培されたアザミの違いなど、言葉の上での区別が 当時若干錯綜していたからです。 ド・レーグはプリニウスのほか、ディオスコリデスのラテン語訳などを参 照していたとされます。16世紀のディオスコリデスの訳本で重要なの は、1516年に出ているジャン・リュエルによるラテン語訳で、16世紀を 通じて版を重ねていきます。これはギリシア語版をもとに訳出され、アル ファベット順になっていない版です。このラテン語版では、アーティ チョークやアザミ類などを指すものとして、carduusのほか2種類の chameleonなる植物が記されていて、混乱の原因の一端となった模様で す。そのあたりの曖昧さが、その後の注解書などでも温存されていくので すね。 ジャン・リュエルはフランソワ一世のお抱えの医者だったほか、さらにパ リ大学の医学部で教鞭を執ってもいました。リュエルには『植物の本性に ついて(De natura stirpium)』という著書があり、その中で chameleon albusという植物について記しています(それによると、 chameleonと呼ばれる所以は、育つ土地に合わせて色が変わるからなの ですね)。論文著者によると、リュエルの記述はテオフラストスに準拠し ており、さらにそれに関連したヤドリギの記述はプリニウスに依拠してい るとか。 ここではまだ、古典的著者たちはやはり定番の参照元として援用され続け ています。論文はこの後、16世紀前半の薬学系の著者たちを列挙し、 chameleonについての議論を追いながら、新しい知の伝統がどう形成さ れていき、ド・レーグはそこでどのような位置づけにあるのか探っていき ます。知の革新と伝統という問題をあらためて考えつつ、次回も引き続き この論考を眺めていきます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ オッカムの直観論(その9) 『レポルタティオ(講義録)』の問一二・一三の四回目です。さっそく見 ていきましょう。 # # # (...) Puta, si Deus causet in me cognitionem intuitivam de aliquo obiecto non existente et conservet illam cognitionem in me, possum ego mediante illa cognitione iudicare rem non esse, quia videndo illam rem intuitive et formato hoc complexo "hoc obiectum non est", statim intellectus virtute cognitionis intuitivae assentit huic complexo et dissentit suo opposito, ita quod illa cognitio intuitiva est causa partialis illius assensus, sicut prius dictum est de intuitione naturali. Et sic per consequens intellectus assentit quod illud quod intueor est purum nihil. Quantum ad conservationem supernaturalem et non causationem exemplum est : si primo de aliquo obiecto causetur cognitio intuitiva naturaliter, et post ipso obiecto destructo Deus conservet cognitionem intutivam prius causatum, tunc est cognitio naturalis quantum ad causationem et supernaturalis quantum ad conservationem. // たとえば、もし神が私に、存在しないなんらかの対象の直観的認識を生じ させ、その認識を私のもとに保持するならば、私はその認識をもとに、そ の事物は存在しないと判断することができる。なぜなら、その事物を直観 的に眺め、「この対象物は存在しない」という複合命題を形成すると、 (私の)知性は直観的認識の力によってただちにこの複合命題を認め、対 立する命題を否認するからである。というのも、先に自然的な直観につい て述べたように、その直観的認識はその判断の部分的な原因になっている からだ。ゆえに結果として、知性はおのれが目にするものが純粋な無であ ることを認めるのである。超自然的な成立ではない、超自然的な保持につ いては次の例を挙げよう。まずなんらかの対象についての直観的認識が自 然に生じ、その後、同じ対象が破棄されたものの、先に生じた直観的認識 を神が保持した場合、それは成立としては自然な認識でありながら、保持 としては超自然な認識となる。 - Tunc est idem dicendum hic per omnia sicut si illa cognitio esset supernaturaliter causata. Quia per illam possum iudicare rem esse quando est, quantumcumque distet obiectum cognitum, et non esse quando non est, posito quod obiectum corrumpatur. - Et sic potest concedi aliquo modo quod per cognitionem naturalem intuitivam iudico rem non esse quando non est, quia per cognitionem naturaliter causatum licet supernaturaliter conservatam. ーー同じことは、かかる認識が超自然的に生じたものであるならば、その すべてについて言われなくてはならない。なぜならその認識によって私 は、認識対象がどれほど離れていようと、事物が存在するときには存在す ると判断できるし、対象が破棄されたと想定するなら、事物が存在しない ときには存在しないと判断できるからだ。ーーこのように、なんらかの形 で次のことが認められるのだ。つまり、自然な直観的認識によって私は、 事物が存在しないときにはそれが存在しないと判断するのである。なぜな ら、超自然的に保持された認識であるとはいえ、私は自然に生じた認識に よって判断するからだ。 Sic igitur patet quod cognitio intuitiva est illa per quam cognosco rem esse quando est, et non esse quando non est. Sed cognitio abstractiva est illa per quam non iudicamus rem quando est esse et quando non est non esse, et hoc sive sit naturalis sive supernaturalis. このように、直観的認識とは、それによって私が、事物が存在するときに は存在すると認識し、存在しないときには存在しないと認識するような認 識であることは明らかだ。一方、抽象的認識とは、事物が存在するときに 存在すると判断せず、また存在しないときに存在しないとも判断しないよ うな認識であり、それは自然的な認識でも超自然的な認識でも構わない。 # # # 前回取り上げた論考では、オッカムの議論において直観的認識に神が介入 する際は、認識そのものではなく判断に介入する、とされていました。今 回の本文では、そこまでの議論にはなっていません。ただ、認識に伴う 「判断」をオッカムが重視していることは窺えます。オッカムは認識の成 立と保持とを一応分けて考えていますが、その際の判断に関しても、それ ぞれに対応する形で、項が「存在するかしないか」という判断と、項が織 りなす複合命題が真か偽かという判断の、いわば二段階で考えているフシ があります。で、このあたりの「判断論」が、もしかするとオッカムの批 判者だったチャットンの唱える判断論にオーバーラップしている可能性が あります。 前回の論考では、オッカムの議論に対してチャットンなどがある種の誤解 にもとづく批判をしていたという話でしたが、より最近の研究では、 チャットンがオッカムを誤解していたというのはやや的外れなのではない かとされ、オッカムがチャットンからの批判を受けてみずからの説を修正 しているという点が注目されているようです。そうした比較的新しい論考 の一つがPDFで出ているので、さしあたりそれを見ておきたいと思いま す。スーザン・ブラウアー=トーランド「チャットンはいかにオッカムの 心を変えたか:判断の対象と行為をめぐるオッカムのウィリアムとウォル ター・チャットン」という論文です(Susan Brower-Toland, 'How Chatton Changed Ockham's Mind: William Oclham and Walter Chatton on Objects and Acts of Judgment' in "Intentionality, Cognition and Mental Representation, Fordham University Press, forthcoming)。ちょうどオッカムの判断論とチャットンによるその批 判、そしてオッカムにおける後の修正がまとめられています。 まず少なくとも初期のオッカムの判断論においては、判断の対象となるの は基本的に「複合命題」の真偽です。論文著者はこれを「メンタル・ラン ゲージ」(心的言語)と呼んでいます。オッカムにおいては、複合命題を なす各項は唯名論的なもの、つまり精神的な実体にすぎないとされます。 その意味でメンタル・ランゲージなわけですが、これに対してチャットン は、例外的状況を除けば、判断の対象は外的な事物であると反論します。 チャットンはメンタル・ランゲージを心的な実体としてではなく、外的事 象に向かう心的な行為そのものと見なすのですね。このメンタル・ラン ゲージ観は後にオッカムも受け入れ(部分的に?)、自説に修正を加えて いくことになるらしいのですが……。 チャットンの批判はオッカム自身の議論から難点を引き出すという形で展 開していきます。たとえばこうです。命題が判断の対象だとすると、判断 する前に命題が認識されなくてはなりません。命題はそれが形成された時 点で一つの心的行為(認識という)なのですから、判断のための認識は二 次的な認識、リフレクティブな認識ということになります。ですが現実に 人が判断を形成する際に、いちいちそうしたリフレクシブな認識を介して いるとは思えません。こうして、命題が判断の対象であるというそもそも の前提が否定されることになります。 チャットンはこう考えます。認識の対象を外的事物であると考えると、判 断の対象も当然外的事物となり、オッカムのこの順序の考え方(認識→判 断)は問題なく温存されながら、リフレクシブなプロセスは生じません。 そちらのほうがすっきりするのではないか、というわけですね。もちろん チャットンも心的行為が認識対象になる場合もあると認めてはいて、その ため判断には対象に応じて二つの種類(非リフレクシブとリフレクシブ) があると考えています。これは上で示唆した二段階の判断そのものではな いでしょうか。またチャットンは、そうした命題を対象とするリフレクシ ブな認識の場合でも、それに論理的に先立って、外的事物を対象とする非 リフレクシブな判断がなくてはならないとしています。つまり、命題が意 味するところの事物(命題における項)についての判断です。 オッカムのいう直観的認識の判断と、チャットンが考えるこの非リフレク シブな判断の図式はかなり近接しているように思えますね。両者の間には たしてどのような違いがあるのでしょうか。また、チャットンのこの批判 的議論にオッカムが具体的にどう対応していったのかも気になります。と いうわけでこの話は続きますが、ちょっと長くなりそうですので、そのあ たりはまた次回に。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は02月18日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------