〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.211 2012/02/18 ------文献探索シリーズ------------------------ 薬草学を縦断する(その12) 前回に引き続き、エティエンヌ・ド・レーグ(1490 ?〜1538 ?)の著 書に関するマリー=エリザベト・ブトゥルーの論文を眺めながら、この16 世紀前半のルネサンス期に想いを馳せましょう。前回出てきた当時のディ オスコリデスの翻訳者ジャン・リュエル(1479頃〜1537)は、自著に おいてアーティチョークについても言及しています。15世紀に再発見さ れたアーティチョークは、16世紀になると食用として一般化していまし た。同論文では、この植物に言及している16世紀前半の植物学者が何人 か紹介されています。 たとえばシエナの医者ピエトロ・アンドレア・マッティオリ(1500〜 77)は、野生のアーティチョークについてディオスコリデスの記述にコ メントし、プリニウスはアーティチョークにいくつかの種類があることを 指摘しているのに、ディオスコリデスは一つの種しかないとしている、な どと批判的な見解を寄せているようです。またテオフラストスが言及して いるシチリアのアーティチョークが、トスカーナの食用のカルドン(アー ティチョークに似た植物)の起源になっている、といった知見をも取り込 んでいるのですね。 同じく著名な医者だったアントニオ・ブラサヴォラ(1500年生?)は、 1545年の自著で「カメレオン」(アンティチョークそのものではありま せんが)について検討しています。論文著者によると、そこで特徴的なの は、この人物が自分の体験にもとづいて記述を行っていることです。ボ ローニャの高地での植物採集をもとに、白のカメレオンと黒のカメレオン との区別を厳密に行っているといいます。 アーティチョーク、カルドン、カメレオンといった植物についての言及 は、この時期ずいぶん多くなされていたようです。で、いずれもそうした 植物名の意味論的区別を問題にしていて、同じような結論が導かれていた といいます。近代において確立されたような、厳密な基準でもって一植物 に一つの名称を割り当てるというシステムは当然ながらまだ存在せず、多 くの場合は古典的なテキストの植物名をベースに、類似点を取り出しては 分類するというやり方で現実を切り分けていく以外にありませんでした。 そのため古典への言及は相変わらず続くことになります。一方で体験的な 新たな視座・方法論も採択されていくようで、そうした新しい観点からの 著作が多数出回るようになるのは、前回も触れたように1530年代以降の ことでした。 同論文ではさらに、アーティチョークの栽培・活用についても着目してい ます。農学者オリヴィエ・ド・セール(1539〜1619)は、アーティ チョーク栽培の寒さ対策に言及したり、その保存法を解説したりと事細か な記述を残しているのだそうで、エティエンヌ・ド・レーグがプリニウス などをベースに栽培について記しているのとはだいぶ違っているようで す。また、ド・レーグより後の医者シャルル・エティエンヌ(1504〜 64)も、アーティチョークの植え付け、移植、摘芽などについて詳しく 記しているといいます。なにやら専門化がすでにして進んでいるような印 象を受けますね。アーティチョークの治療への応用についても、ド・レー グはプリニウス、ディオスコリデス、テオフラストスなどの記述を援用し ているということですが、どうやら参照しているのは同時代の二次文献 (注釈書など)だったようです。やはりその後の世代になると記述の中身 は変わっていくようです。 1530年代を境に文献の記述が微妙に様変わりするという点に、論文著者 はある種の逆説的状況を見てとっています。当時の知識人にとっては、古 典的文献に記された植物についてまず現物を特定しようという動機が支配 的でした。つまり、古典的権威の言葉を整理し乗り越えて、現実の植物の 理解へと到達しようとする動きだったわけです。しかしそれは様々な物理 的制約のせいで簡単には成し遂げられませんでした。著者はそうした制約 を三つほど挙げています。まずは古典的テキストの文献学的な不備(写本 製作者のミスや誤解によるテキストの毀損、あるいはアラブ系文献の翻訳 の不備)、二つめが生態圏全体についての知識の不足(古典が必ずしも網 羅的ではないという事実とその認識)、三つめは自然の事物を記述するこ との認識論的な難しさです。 こうして古典的権威はさらに存続し、一方で新たに形成されつつあった専 門的知見による抗いも続いていきます。14世紀ごろにすでに芽生えてい た古典的権威への異議申し立て(先の『薬草論』もその一端を担っていた わけですが)は、なかなか実を結ぶにはいたりません。権威が乗り越えら れていくのは、やはりまだ先のことなのですね。このあたり、たとえばア リストテレス思想が、やはり14世紀ごろから批判されるようになりなが らも、ある種の思考の枠組みとして近代初期にまで命脈を保っていくとい う思想史の話ともパラレルで、とても興味をそそられます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ オッカムの直観論(その10) 『レポルタティオ』問一二・一三の続きです。さっそく見ていきましょ う。 # # # De cognitione intuitiva perfecta et imperfecta Sed intuitiva subdividitur, quia quaedam est perfecta, quaedam imperfecta. Perfecta cognitio intuitiva est illa de qua dictum est quod est cognitio experimentalis qua cognosco rem esse etc. Et illa cognitio est causa propositionis universalis quae est principium artis et scientiae, I Metaphysicae et II Posteriorum, id est, est causa assensus propositionis universalis formatae stante cognitione intuitiva perfecta. Cognitio autem intuitiva imperfecta est illa per quam iudicamus rem aliquando fuisse vel non fuisse. Et haec dicitur cognitio recordativa; ut quando video aliquam rem intuitive, generatur habitus inclinans ad cognitionem abstractivam, mediante qua iudico et assentio quod talis res aliquando fuit quia aliquando vidi eam. 完全な直観的認識と不完全な直観的認識について しかしながら直観は下位区分される。というのも、直観には完全なものと 不完全なものがあるからだ。完全な直観的認識は、事物が存在するなどと 私が認識するような体験的な認識であると言われる認識のことである。そ の認識は普遍的命題の原因でもあり、『形而上学』一巻と『分析後書』二 巻によれば、その命題こそが学芸の原理をなしている。つまりそれは、完 全な直観的認識が成立するときに形成される普遍的命題を認める原因とな るのである。一方、不完全な直観的認識とは、事物があるときに存在した かまたは存在しなかったかを私たちが判断するもとになる認識である。こ れは想起的認識とも言われる。私がなんらかの事物を直観的に目にする と、抽象的認識へと傾くハビトゥス(性向)が生じる。それを介して私 は、かかる事物をあるとき目にしたのだから、その事物はあるとき存在し たと判断し認めるのである。 Et est hic notandum quod stante cognitione intuitiva alicuius rei, habeo simul et semel cognitionem abstractivam eiusdem rei. Et illa cognitio abstractiva est causa partialis concurrens cum intellectu ad generandum habitum inclinantem ad cognitonem intuitivam imperfectam per quam iudico rem aliqundo fuisse. Cuius ratio est quia habitus semper generatur ex actibus inclinantibus ad consimiles actus eiusdem speciei. Sed huiusmodi non est cognito intuitiva, quia intuitiva perfecta et imperfecta sunt cognitiones alterius rationis, quia cognitio intuitiva imperfecta est simpliciter cognitio abstractiva. Nunc autem intuitiva perfecta et abstractiva sunt alterius rationis, igitur etc. Si igitur ex cognitione intuitiva perfecta generatur habitus aliquis, ille solum inclinabit ad cognitionem intuitivam perfectam et non ad imperfectam, quia sunt alterius rationis. Igitur si habitus inclinans ad cognitionem intuitivam imperfectam generatur ex aliquo actu cognitivo, illa cognitio erit abstractiva, et illa erit simul cum cognitione intuitiva perfecta. Quia statim post cognitionem intuitivam perfectam, sive obiectum destruatur sive fiat absens, potest intellectus eandem rem quam prius vidit intuitive, considerare et formare hoc complexum "haec res aliquando fuit", et assentire evidenter, sic quilibet experitur in se ipso. ここで次のことを指摘しておかなくてはならない。なんらかの事物につい ての直観的認識が成立するとき、私は同時にかつ一度に、その同じ事物に ついての抽象的認識を有するのである。その抽象的認識は、知性と協働 し、不完全な直観的認識へと傾くハビトゥスを生じさせる一因となる。そ の不完全な直観的認識を拠り所として、私はあるとき事物が存在したと判 断するのである。(ハビトゥスを生じさせる)その理由は、ハビトゥスは つねに同種の似たような行為へと傾く性質をもった行為から生じるものだ からだ。けれども直観的認識はそのようなものではない。完全な直観的認 識と不完全な直観的認識は別種の道理にもとづく認識だからである。とい うのも、不完全な直観的認識は端的に言って抽象的認識だからである。完 全な直観的認識と抽象的認識は別種の道理にもとづく。したがって云々。 よって、仮に完全な直観的認識からなんらかのハビトゥスが生じるのだと するなら、それは完全な直観的認識にのみ向かい、不完全な直観的認識に は向かわないだろう。両者は別の道理にもとづくからである。よって、仮 に不完全な直観的認識に向かうハビトゥスがなんらかの認識的行為から生 じるとしたら、その認識は抽象的なものとなるだろうし、それは完全な直 観的認識と同時に成立するものとなるだろう。完全な直観的認識の直後、 対象物が破棄もしくは不在となる場合、知性はあらかじめ直観的に目にし たその同じ事物を考察できるし、また「この事物はかつて存在した」との 複合命題を形成して、誰でも自分が体験したこととして、明確にそれを認 めることができる。 # # # 今回の箇所では、直観を完全なものと不完全なものに分け、後者を抽象的 認識に位置づけています。ここでの完全・不完全の区別は、認識対象が現 在に関わるか過去に関わるかに依っています。認識が直観的か抽象的か は、対象が現前か否かの判断に依存していたのですから、不完全な直観的 認識は抽象的認識の一部をなすと考えることができます。完全な直観的認 識と同時に抽象的認識も成立し、そこからハビトゥスが生じるという図式 が示されていますが、これも重要な点かもしれません。ハビトゥスはもっ ぱら抽象的認識に関わるもので、しかも同種の認識に向かう性向であるわ けですから、抽象的認識が直観的認識と同時に成立すると考えなくては、 そもそも認識全般からハビトゥスは導けないことになってしまいます。こ のあたり、オッカムはさすがに周到ですね。 さて、前回に引き続きオッカムの判断論をめぐるスーザン・ブラウアー= トランドの論文を見ていくことにしましょう。オッカムは当初、判断の対 象は命題すなわち心的言語だと考えていましたが、これに対してチャット ンが反論し、判断の対象は外的な事物だと主張しました。これをうけて オッカムは自説を修正していきます。 まず最初の修正は『「解釈論」注解』に見られるようです。そこでのオッ カムは判断の対象を、命題そのものというよりもむしろ「認識行為そのも の」に見るようになります。最初期には成立ずみの命題(心的実体)が判 断の対象とされていたのですが、ここへきてオッカムは、命題の成立には その命題を認識する行為がなくてはならず、その行為こそが判断の対象な のだと、チャットン流の「行為的」判断論に似た見解を打ち出すようにな ります。とはいえ、まだ判断という行為は心が心を振り返るといった再帰 的なプロセスだという点は温存されています。さらに後の円熟期に記され た『自由討論問題集』になると、かつてのチャットンの反論に大幅に譲歩 したかのように、通常の認識においては心的な再帰性をともなうことなく 判断が下されることをオッカムは認め、外的な実体が判断の対象になる可 能性をも示唆するようになります。 しかしながら、と論文著者は言います。それでもなおオッカムとチャット ンの間には解消しがたい考え方の違いがあるのだ、と。まずそれは、対象 の厳密な規定に現れます。オッカムは、対象が「知られる・信じられる」 という場合に、それは外的な事物そのものではないと考えています。外部 の事物は、主体との間に「知られるもの」としての関係を取り結ぶのでは なく、あくまで主体の志向性が向かうだけの関係を有するにすぎないと見 ているのですね。。一方のチャットンは、心的言語が表す(意味する)限 りにおいて、外部の事物は判断の対象になりうると考えています。判断と いう行為は、命題に含まれる項の意味作用(何を指し示しているか)だけ を問題にするというのです。ところがオッカムは、判断という行為はもと より真偽に関わっていると捉えます。「知られる」関係をもちうる対象 (認識の対象)というのは、そもそも真である対象でなくてはならないの です。しかもその場合の「知」とは論証的な知でなくてはならず、対象は 真であると同時に必然かつ普遍でなくてはなりません。論証的な知の対象 はすでにして心的な実体ということになり、ぎりぎりのところでオッカム は外部の事物を放逐してしまいます。 加えて、オッカムとチャットンの間には、判断という行為をめぐる心的構 造についても根本的な違いがあると著者は見ています。前にも出てきまし たが、オッカムは神が直接、人間の判断に介入できると考えていました (認識にではなく)。とすると、認識と判断は別物で、相互に独立したも のだということになります。著者によれば、判断はそれ自体で完全な表象 の状態をなしています。つまり判断は、一種の概念把握なのだというわけ です。一方のチャットンは、判断はあらかじめ概念把握があってこそのも のであり、判断の原因および判断材料としての表象を概念把握に負ってい て、そこに大きく依存していると考えています。対象についての判断(認 知)は、概念把握というよりは志向性・意志に近い行為だと捉えているふ しがあるといいます。 著者によれば、このチャットンとオッカムの基本的な立場の違いは平行線 をたどり、どうやらそれぞれの弟子筋による後世の議論にまで受け継がれ ていくらしいのです。なかなか面白い話ですが、目下のところ個人的にこ うした議論を検証できるだけの材料が手元にありませんので、その是非に ついては不明です。ただ、オッカムの判断論が心的実体に重きを置くこと によって織りなされていて、たとえ部分的に譲歩してもその唯名論的な核 心部分については譲らなかったという話には頷けそうな気がしています。 一方で、少なくともこの論考からの印象では、心的構造のコンパクトさと いう意味ではややチャットンの方に分がある気もします。本当にそうなの かどうか、やはり実際にテキストに当たってみる必要がありそうです。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は03月03日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------