〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.213 2012/03/17 *お知らせ 本メルマガは原則として隔週の発行ですが、勝手ながら次回3月31日は都 合によりお休みとさせていただきます。次号は翌週4月7日の発行となり ます。よろしくお願い申し上げます。 ------文献探索シリーズ------------------------ タンピエとその周辺(その1) 今回から新たに、1270年代にパリ大学などでの学問的営為について出さ れた「禁令」について見ていきたいと思います。1277年のタンピエによ る禁令が中心になります。歴史的には有名なその禁令ではありますが、そ の具体的な中身になるとさほど広く知られてはいないように思えます。こ の際ですので、概要をまとめておきたいと思います。例によってあまりに 細かな専門的議論には立ち入りませんが、禁令の基本的な中身や、その歴 史的位置づけをめぐるこれまでの先達たちの議論についても概略を見てい きたいと思います。 さっそくですが、この1277年の禁令は、どうもいろいろな面で謎めいて いる感じなのです。まず、禁令で有名になったタンピエという人物の素顔 が見えてきません。参考文献を見ても、その人物像についてあまり詳しい ことが記されていません。エティエンヌ・タンピエ(またの名をオルレア ンのステファヌス)はオルレアン出身で、パリで学業を積み、1263年か らノートルダム修道会総会の尚書係を務め、1268年にはパリの司教に なっています。没年は1279年。禁令を通じてその名が後世に伝えられて いるわけですが、その以前には神学部の教師でもあったらしいのですが、 著書などは残っていない模様です。この基本情報の少なさは妙に気になり ます。 また、禁令の成立もどこか不明瞭で、不透明なヴェールに覆われている感 じがします。ちょっと古いですが、219項目から成る1277年の禁令に は、そのそれぞれの項目を検証したロラン・イセットの研究書(Roland Hissette, "Enquete sur les 219 articles condamnes a Paris le 7 mars 1277", Louvain Publications universitaires, 1977)がありま す。その序文に、禁令が出された前後について概要がまとめられていま す。 それによるとこんな具合です。アラブおよびギリシア経由で伝えられた異 教の哲学思想(アリストテレス思想)は、西欧のキリスト教思想とは異質 なもので、そのため何度となく教会の権威者たちはその異教思想の流入を 食い止めようとしました。当時の西欧で知的活動の中心地をなしていた一 つがパリでしたが、そのパリ大学では1255年に一度、アリストテレスの 著書にまつわる講義や研究が禁止されます。ところが、アヴィセンナやア ヴェロエスの注解本を通じて受容されたアリストテレス思想の人気は、 いっこうに止む気配を見せません。そんな中、1270年ごろになると、ア リストテレス思想を学ぶ人々の間でも急進派と穏健派が分かれていきま す。さらに両者にアウグスティヌス主義を奉じる保守派が対峙する形にな り、その保守派サイドから禁令が結実することになります。 かくして、パリ司教だったタンピエは1270年12月10日に、異教の哲学 に着想を得ているとされた13項目の命題を糾弾しました。ですがこれは なんら実効力をもちません。急進派による破壊的な教えを止めさせようと ボナヴェントゥラやトマス、エギディウス・ロマヌス、アルベルトゥス・ マグナスなどが介入しますが、事態はいっそう混迷の度を深めます。 1277年1月18日、教皇ヨハネス二一世(もとパリ大学の教師でもあった ペトルス・ヒスパヌス)はパリの司教に書状を送り、事態の調査を求めま した。これを受けてタンピエは、すぐさま調査委員会を結成し(このメン バーの一人がゲントのヘンリクスでした)、パリ大学の自由学芸部の文献 類を精査させます。この作業はかなりの急ピッチで進められ、2ヶ月もし ないうちに219の命題が疑わしいものとしてまとめられ、タンピエに提出 されます。タンピエは教皇の意図するところ(それはあくまで調査だった わけですが)を逸脱・先走りする形で、1277年3月7日、それら219の命 題を糾弾すると発表しました。 この流れで目を惹くのは、やはりその糾弾する命題がごく短期間でまとめ られた点です。どうやら調査はやっつけ仕事のようにかなり粗いものだっ たらしく、結果的に219の命題はかなり錯綜したものになっているようで す。そもそも体系立ってすらおらず、発表直後からすでにそれらをテーマ 別に分類するという動きさえあったようです。それほど急ぐ理由がなにか あったのかわかりませんが、なにやらこのあたり、いかにも歴史上の 「謎」という感じで興味をそそられます。また、発布された禁令への各方 面のリアクションやその実効性(これにも疑問符がついていますが)も、 どこかおぼろげにしか見えてきません。こんなわけで、少しばかりそれら の謎めいた部分を整理してみたいというのが、今回のこのシリーズでの主 旨となります。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ オッカムの直観論(その12) 今読んでいる『レポルタティオ』の一節は、いよいよ反論への対応部分に 差し掛かっています。 # # # Si dicas quod apprehensis terminis primi principi, et formato complexo, statim intellectus assentit sibi. Nec plus inclinatur intellectus ad assentiendum post multos assensus quam ante omnem assensum, tamen ex illis actibus assentiendi generatur habitus in intellectu, igitur eodem modo potest esse de cognitione intuitiva. あなたが次のように言うとしよう。「第一原理の項を把握して複合命題が 作られると、知性はすぐさまそれを認める。認めようとする知性の性向 は、複数の認知的判断を経た後でも、すべての認知的判断の前と同様だ が、一方でその認知的判断の行為から知性の中にハビトゥスが生じる。ゆ えに直観的認識についても同様でありうる」。 Respondeo: licet ille habitus non ponatur propter inclinationem nec propter experimentiam, tamen ponitur propter rationem evidenter inducentem ad hoc. Sed in cognitione intuitiva nec inducit experimentem nec ratio evidens ad ponendum ibi habitum, igitur etc. Vel potest dici quod oportet ponere habitum generatum ex illis actibus propter experientiam, scilicet quia quilibet experitur quod magis et firmius inclinatur ad assentiendum post habitum quam ante. 私はこう答えよう。そのようなハビトゥスを措定するのは性向のためでも 経験のためでもない。そうではなく、明らかにそれ(ハビトゥスの措定) を導く理ゆえに措定しているのである。だが直観的認識においては、そこ にハビトゥスを措定するよう経験が導くこともないし、明確な理が導くこ ともない。したがって(以下略)。あるいはこう述べてもよい。ハビトゥ スが知性の行為(認知的判断を与える行為)から生じると考えなくてはな らないのは、経験のためである。なぜなら誰でも、ハビトゥス形成前より も後のほうが、認知的判断を与える性向はいっそう大きく、またいっそう 確実になることを経験するからだ。 Si dicas quod ex cognitione intuitiva perfecta frequenter elicita potest generari habitus sicut ex cognitione abstractiva frequenter elicita, igitur non oportet ponere cognitionem abstractivam cum intuitiva, respondeo quod ex nulla cognitione intuitiva senstiva vel intellectiva generari potest habitus. Quia si sic, aut ille habitus inclinat ad cognitionem abstractivam aut intuitivam. Non abstractivam, propter causam iam dictam, quia sunt alterius speciei. Nec intuitivam, quia nullus experitur quod magis inclinatur ad cognitionem intuitivam post talem cognitionem frequenter habitam quam ante omnem cognitionem intuitivam. Quia sicut prima cognitio intuitiva non potest naturaliter causari sine existentia obiecti et praesentia, ita nec quaecumque alia, nec plus inclinantur ex tali cognitione frequenti quam in principio. あなたが次のように言うとしよう。「頻繁に生じる抽象的認識からと同様 に、頻繁に生じる完全な直観的認識からもハビトゥスは生じうる。した がって直観的認識とともに生じる抽象的認識を措定する必要はない」。な らば私はこう答えよう。いかなる感覚的・知的な直観的認識からもハビ トゥスは生じえない。理由は次のとおりである。もし生じえるなら、かか るハビトゥスは抽象的認識もしくは直観的認識への性向をもつことになる が、抽象的認識への性向というのはありえない。それは先に述べた理由に よる。つまり両者の認識は種類が違うからである。直観的認識への性向も ありえない。なぜなら、直観的認識を頻繁にもつことによってハビトゥス が生じた後のほうが、かかる認識をもつ前よりも直観的認識への性向が大 きいということなど誰も経験しないからである。というのも、第一の直観 的認識が当然ながら対象物の実在と現前なしには生じえないのと同様に、 いかなる別の直観的認識もそれらなしには生じえないのだし、また、最初 の直観的認識よりも頻繁に直観的認識が生じてからのほうが、より大きな 性向をもつわけでもないからである。 Sed de cognitione abstractiva aliud est, quia post primam cognitionem intuitivam habitam experitur quis quod magis inclinatur ad intelligendum illam rem quam prius vidit quam ante omnem cognitionem intuitivam. Sed hoc non potest esse per habitum generatum ex cognitione intuitiva, ut probatum est, igitur generatur ex cognitione abstractiva simul exsistente cum cognitione intuitiva. Et respectu illius cognitionis est cognitio intuitiva causa partialis, licet non respectu habitus generari per talem cognitionem abstractivam. しかしながら抽象的認識の場合はそれとは異なる。最初の直観的認識の後 にハビトゥスをもつと、事前に目にした対象物を知解しようとする性向は 直観的認識をもつ前よりも大きくなることを経験するからである。ただし このことは、すでに論証したように、直観的認識から生じたハビトゥスに よるものではありえない。したがってそのハビトゥスは、直観的認識と同 時に存在する抽象的認識から生じることになる。また、その抽象的認識に とって直観的認識は部分的原因となるが、抽象的認識から生じたハビトゥ スの原因にはならない。 # # # 本文ではハビトゥスをめぐる議論が続いています。直観的認識からハビ トゥスが直接形成される可能性をあらためて斥けています。これまでに示 されてきたように、ハビトゥスはいわば認識のパターン化ということです から、そのパターン化された認識はもはや対象の実際の有無を問題にしま せん。したがってそれは抽象的認識ということになります。抽象的認識の パターンは抽象的認識からしか作られません。そんなわけで、パターン化 の成立に対象の有無の判断はそもそも関与しません。直接的認識と同時に 抽象的認識が生じてはじめてその抽象的認識のパターン化が成立する、と いうのがオッカムの議論です。 さて、このところ本文とこのコメント部分が遊離してしまっている感が強 いですが(苦笑)、広い意味でのオッカムの認識論を見渡そうという意図 だということで、ご理解いただきたいと思います。というわけで、引き続 き心的言語について見ていきたいと思います。オッカムは根本のところで 譲らないまでも、チャットンの反論を受けて自説に多少の修正を施してい るという話でしたが、これを唯名論思想に内在するある種の根本的な揺ら ぎではないのかと捉え、その観点から検討している論考があります。ピー ター・キングの「オッカムの唯名論の失敗」(Peter King, "The Failure of Ockham's Nominalism", 1997)です。今回はこれを取り上げてみま しょう。 オッカム流の唯名論は、普遍というものは言葉にほかならないというテー ゼに集約されます。しかしながら論文著者によると、普遍を言語的事象と 考えるというのは簡単なようでいて、「では言葉がどのように普遍をなす のか」という点を掘り下げていくと、厄介な問題に遭遇することになりま す。オッカムが考える「言葉」というのは「心的言語」で、これは書き言 葉や話し言葉がもつ慣例性を斥けるべく、それらとは別の次元の、人類に 共通な言語として仮構されたものでした。「心的言語」の文法構造は話し 言葉のようにコード化されているというのですが、その構成要素をなす項 そのものは記号化されているわけではなく、言語外の事象と直接関わるの だとされています。その関わりをオッカムは「意味」と称します。オッカ ムの図式では、心的言語の項となりうる概念が普遍だとされます。 概念とは具体的にどういうものなのでしょうか。この点をめぐりオッカム の説明・定義は揺らいでいきます。経年的にそれは(1)概念は心的行為 の対象として精神の中で作られた客観的なもの、(2)概念とは心的活動 とは別個の、心の様態、(3)概念は心的行為(プロセス)そのもの、と いうふうに変化していきます(このあたり、チャットンとのやり取りに触 れた別論文で見た話とパラレルです)。 一方、普遍は複数の事物の属性となって、多くの事物を意味できなくては なりません(たとえば「鳥」がさまざまな鳥類を表すように)。別の言い 方をするなら、問題となるのは項の意味作用です。それによって概念が項 になるかどうか、つまり普遍かどうかが決まるのです。心的言語は慣例 (コード化された)から遊離しているとされるのですから、項が有する意 味作用は慣例によってコード化されてはいません。オッカムはそこでの意 味作用を「自然な意味作用」と表現します。自然な意味作用とはどのよう なものなのでしょうか。外的事象と項との関係はどのようなものになるの でしょうか。 オッカムはその関係性を二つの観点から取り上げます。一つは、概念は外 的事象と類似の関係にあるということ、もう一つは、外的事象と概念は原 因と結果の関係にあるということです。後者は自明に思えますが、前者は 問題含みです。オッカムはこの「類似」の関係を、現実的関係と規定しま す。つまりそれは知性が関わらない形で、本性的に(つまりもとから)結 ばれる所与の関係性だというのです。外部の事象を写し取った概念は、そ の外部の事象に対してそうした現実的関係をもつ、というわけですね。概 念が項となる場合、その意味作用(外的事象との関係)は認識の状態に関 わりなく、おのずと成立する(おのずと結ばれる)、というのです(この あたり、直観的認識の成立の説明そのものです)。 ですが普通に考えて、AとBの二つのものが類似の関係にあるという場 合、それはなんらかの第三項Xを介して、それをもとに両者を捉えた場合 に言えることです(つまり類似の成立は三項関係です)。ところがオッカ ムは、外部の事象と概念の場合にはこの第三項Xを必要とせず、「全体的 に」類似するのだとして、三項関係を二項に縮減してしまいます。ではそ の場合、たとばソクラテスとプラトンの類似が真で、ソクラテスとロバと の類似が偽であることをどう説明づければよいのでしょうか。オッカムは そうした全体的な類似には等級・度合いがあると言うのですが、それだけ では釈然としません。これはどうやらオッカムが考えた以上の問題になる ようなのですが、そのあたりはまた次回にまとめることにします。 *本マガジンは隔週の発行ですが、都合により次号は04月07日の予定で す。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------