〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.226 2012/10/20 ------文献探索シリーズ------------------------ タンピエとその周辺(その14) 前回取り上げたジェイソン・グーチの論考「1277年の禁令の影響」の最 後の部分を見ておきましょう。グラントやデイルズなどの「禁令は近代科 学の黎明をもたらした」という議論を否定してみせたグーチは、一方で 18世紀ごろに取り沙汰されていた「教会が近代科学の発展を妨げた」と いうテーゼにも異を唱えます。その論拠となっているのはリンドバーグと いう研究者の見解でした。自然学の探求にはむしろ教会がサポートしてい た側面があり、一方の学徒たちも、神学上の教義との同化(というか摺り 合わせですね)という「わずかな代価」さえ支払えば、自然学に問題なく 取り組むことがいた、というわけです。実際、ビュリダンやオレームなど には、そうした「摺り合わせ」の戦略が垣間見れるといいます。 では、こうして両方の「極論」を斥けた後には、どのようなスタンスが残 されているのでしょうか。グーチが支持する立場は、1277年の禁令はマ イナーな敵意が表面化しただけのことで、結果的には不和というよりはあ る種の調和(哲学側と教会側との一種の勢力的均衡?)をもたらすことに なった、というものです。パリ大学において禁令は数十年程度しか影響力 を及ぼさず、オックスフォードの禁令にいたっては制約の実効性すら乏し く、また両者以外の場所ではまったく影響を及ぼしていない、というので す。 禁令の影響関係をできるだけ限定的に見ようとするのが、最近の一つの流 れなのかもしれません。たとえば、巨視的な視点からのまとめとして興味 深い論考に、ペーター・グラバー『1277年のパリ禁令 - 急進アリストテ レス主義をめぐる論争の背景と意味』(Peter Grabher, "Die Pariser Verurteilung von 1277", Universitat Wien, 2005)という論文があり ます(http://sammelpunkt.philo.at:8080/1254/1/ Grabher-1277.pdf)。ざっと目を通しただけなので詳しくは取り上げま せんが、社会の変化を基準の軸に見立て、その中でアリストテレス主義や 禁令について触れている感じで、やはり影響関係そのものについては比較 的抑えた筆致という印象です(とはいえ、ところどころ逸脱していくのが アクセントになっています)。 一方で、前に見たように、どの研究においても禁令そのものにまつわる疑 問の数々は残されたままです。禁令がタンピエ側のスタンドプレーだった のか教皇庁が関係していたのか、なぜ拙速とも言えるほどの短期間で禁令 を出さなくてはならなかったのか、また、禁令の発布後、パリ大学自由学 部の関係者たちがどれほどこれを真の脅威と見なしたのかなどなど、いず れも論者によって微妙に認識が異なっています。このあたりは、これから 先、新資料が見つかりでもしないかぎり決定的な話にはなりそうにありま せん。 長期的な影響という疑問については、決定打はいっそうありそうにない感 じですが、さしあたり、少なくともアリストテレス受容に関して言えば、 禁令がアリストテレス思想の勢いを削いだと単純化するわけにはもはやい かないと思われます。仮にそんなことがあったとしても、それはほんの一 時的で、地域的にも規模としても限定されたものにすぎなかった(パリ周 辺のみ)と捉えるのが、大方の見方だと思われます。上のグラバーの論考 などでも指摘されていますが、禁令から20年くらいたっても、ジャンダ ンのジャンはアリストテレス思想を議論の中心に据えていましたし、トマ ス・アクィナスの禁令からの除外に尽力したフォンテーヌのゴドフロワな ども、禁令の修正がなかったのは罪ではないかといった議論をしていまし た。14世紀の初めになるとトマスへの禁令は解かれ、またビュリダンな どは禁令そのものを相対化するような発言をしたりします……。 これもグラバーの議論からですが、パリ大学の哲学的な倫理の理想(これ についても以前取り上げました)は禁令後も変わらず保持され、一説には その倫理思想はドイツのドメニコ会系の神秘主義に受け継がれていったと も言われます。また、アリストテレス思想自体も、14世紀にはプラハ、 ウィーン、ケルン、ハイデルベルクなどの諸大学で盛んに講じられるよう になりました。アリストテレスの教説はいわば「定着」していくわけです ね。イタリアでもパドヴァでアリストテレスの自然学を擁する学派が台頭 します。同論文ではそれらを総称して「15世紀の第三のアリストテレ ス・ルネサンス」と括っています。このように、もしかすると禁令の問題 は、アリストテレス思想の受容史というテーマの中にやがて解消されてい くのかもしれません。 これもその話と関連しますが、禁令そのものをめぐる研究に、将来的にど んなパースペクティブがありうるかについても、同論文に一つの方向性が 示唆されている気がします。つまり、より巨視的な視点で社会的変容を捉 える際に、そのための史料として禁令の条項を用いるという方向性です。 そのためには、禁令の文書を、同種の禁令ないし教会の命令書の類の一つ として位置づけ直す必要がありそうです。社会と同様に教会もまた変容を 遂げつつあった13世紀後半を、改めて捉え直すことができるかもしれま せん。 ……とまあ、こんなわけで、私たちもいったん禁令を離れ、さらに探索を 進めていきたいと思います。アリストテレス思想の変遷についてはまた改 めて取り組みたいと思っていますが、ちょっと広範なテーマですので、今 しばらく寝かせておくことにします(苦笑)。さしあたり、今度は少し学 問分類の話などを扱ってみようかと考えています。またのお付き合い、よ ろしくお願いいたします。 (了) ------文献講読シリーズ------------------------ リミニのグレゴリウス(その4) グレゴリウスの『命題集注解第二巻』の問三四を読んでいます。今回の箇 所からは、前回出てきた三つの結論についての個別の論証が始まります。 基本的には文献的なリファレンスによる論証です。さっそく見ていきま しょう。 # # # (Prima conclusio probatur) Primam conclusionem probo primo auctoritatibus. Ait namque Ambrosius in libro De Issac et anima, et eum etiam allegat Augustinus libro I Contra Iulianum in fine: "Quid est malitia nisi boni indigentia?" Item Augustinus in Enchiridio 12: "Quid est aliud quod malum dicitur nisi privatio boni?" Et idem De fide ad Petrum, ut in primo argumento ad quaestionem est allegatum. (第一の結論を論証する) まずは最初の帰結を、権威たちにより論証しよう。アンブロシウスが著書 『イサクと魂について』で述べたことを、アウグスティヌスは『ユリアヌ ス反駁』の第一書の末尾でこう主張している。「善の欠乏でないとした ら、悪とは何であろうか?」。 アウグスティヌスはまた、『手引きの書』の一二章にこう記している。 「悪と言われるものは、善の欠如以外の何ものであろうか」。さらに問い への最初の議論で述べたように、『ペトロへの信について』にも同じ文言 がある。 Item De moribus Manichaeorum circa principium ait: "Nulla natura malum"; et naturam accipit ibi universaliter pro entitate. Unde paulo post subdit: "Nam et ipsa natura nihil est aliud quam id quod intelligitur in suo genere aliquid esse; itaque ut nos iam novo nomine ab eo quod est esse vocamus essentiam, quam plerumque etiam substantiam nominamus. Ita veteres, qui haec nomina non habebant, pro essentia et substantia naturam vocabant". Et non multo post ait quod malum "non secundum essentiam sed secundum privationem rectissime dicitur". 同様に、『マニ教徒の風習について』の冒頭でもこう述べている。「いか なる本性も悪ではない」。そこでの本性とは、一括して実体の意味で解釈 されている。ゆえに、その少し後の箇所では副次的にこう述べているので ある。「ところで本性そのものとは、その種において、何らかの存在であ ると理解されるものにほかならない。ゆえに私たちは今や、存在から来る ところのものを、本質という新しい名で呼んでいるのであり、さらにはそ れをときに実体と名づけているのである。こうした名称をもたなかった古 来の人々は、本質や実体を称して本性と呼んでいたのだ」。その少し後に は、悪とは「本質にもとづいてではなく、真正の欠如にもとづいて語られ る」と述べている。 Item De natura boni circa principium: "Malum nihil aliud est quam corruptio vel modi vel speciei vel ordinis naturalis". Et Contra Epistolem fundamenti capitulo 22: "Quis, inquit, dubitet totum illud quod dicitur malum nihil aliud esse quam corruptionem? Possunt quidem aliis atque aliis vocabulis alia atque alia mala nominari, sed quod omnium rerum malum sit, in quibus mali aliquid animadverti potest, corruptio est". Et hoc per multa exempla patefacto subudit: "Quod si non invenitur in rebus malum nisi corruptio, non est natura. Nulla itaque natura malum est"; et naturam universaliter pro entitate accipit sicut ubi supra, ut patet diligenter inspicienti. Item 8 super Genesim capitulo 22: "Neque enim ulla natura mali est, sed amissio boni hoc nomen accepit". Et eadem verba scribit 11 De civitate dei capitulo 9 in fine; et eadem prorsus sententiam ponit infra capitulo 22. 同様に、『善の本性について』の冒頭部分には、「悪とは、様態、形、自 然の秩序の腐敗以外のなにものでもない」と記されている。『基本書と呼 ばれるマニの書簡への反駁』の二二章にはこう記している。「悪と称され るもののすべてが、腐敗にほかならないことを誰が疑うというのだろう か。しかじかの悪を、しかじかの語彙でもって名づけることはできるだろ う。しかしながら、なんらかの悪がそこにおいて認められるような、あら ゆる事物における悪というのは腐敗のことなのである」。そしてこのこと が複数の事例で明示されるとこう付言している。「悪しき事物に腐敗以外 が見出されないのであれば、それは本性ではない。ゆえにいかなる本性も 悪ではない」。上記と同様に、本性は一括して実体の意味で解釈されい る。それは注意深く吟味すれば明らかである。 同様に、『創世記注解』第八書二二章にも、「悪というものに本性がある のではなく、善の喪失をこの名で意味するのである」とある。アウグス ティヌスは同じ言葉を『神の国』第一一書九章の末尾にも記し、さらに同 じ文を二二章の後半にも繰り返している。 # # # 今回もアウグスティヌスの引用が満載ですが、ここではさしあたり、一つ 一つの確認は割愛したいと思います。それだけで作業に時間が取られるか らという理由もありますが、もう一つには、そればかりに気を取られてい ると、なにかグレゴリウスという人物についての像を結ばなくなってしま うような感触もあるからです。むしろここでは、グレゴリウスの全体像に アプローチしていきたい気がしているので、テキストも大事ながら、二次 資料(今回のは後述するように正確には三次資料なのですけど……笑)を 活用するスタイルでいきたいと思います。 前回は『ケンブリッジ・アウグスティヌス必携』からM.W.F. ストーンが 記した章を見てみました。実は後になって気がついたのですが、このス トーンという人は、論文盗用の嫌疑で2010年に学会を追われている人物 でした(うーむ……)。盗用の嫌疑がかかったのは別の論文のようですの で、まあそのことをもって『必携』のその章や、同書そのものが価値なし ということにはならないはずですが、ちょっとうっかり地雷を踏んでし まったのは確かです(苦笑)。というわけで、前回のコメントはちょっと 異例だったことを明記しておきます。 で、ついでにというわけでもありませんが、今回もやや異例といいますか 反則気味です(メルマガですので、ある程度許していただきましょう)。 あるブックレビューを参考までに見てみたいと思うのです。フランスの思 想史家ジャン・ジョリヴェが、ゴードン・レフ著『リミニのグレゴリウ ス。14世紀思想における伝統と革新』という1961年の書籍についてまと めたレビューです。ネットでPDFが公開されています(http:// www.youscribe.com/catalogue/presse-et-revues/savoirs/religions/ gordon-leff-gregory-of-rimini-tradition-and-innovation- in-1189233)。 ジョリヴェによると、レフのその本はリミニのグレゴリウスの全体像を 扱った初の研究書とされています。同書の意義は基本的に、グレゴリウス がいかに「時代精神」と伝統(とくにアウグスティヌス主義の)とを統合 したか示すことにあったといいます。それ以前にはグレゴリウスの評価と いうのは定まっていなかったようで、唯名論者に括られたり、それに対立 する側に括られたりしていたようです。そしてレフは、グレゴリウスを 「オッカムとブラッドワーディンの間」に位置づけてみせたのですね。グ レゴリウスは同時代の「新旧論争」のいずれの側にも与せず、アウグス ティヌスへの回帰を通じて同時代的な問題を検討し直すという戦略を取っ ていました。そのため、グレゴリウスの議論には同時代的要素と古くから の要素の両方が見出されるというわけです。 たとえば認識論の場合、グレゴリウスは外部世界の認識についてはオッカ ムの経験論的な立場を取り、一方で内面世界(知解対象などの)について はアウグスティヌス主義を標榜しているといいます。それゆえ、オッカム 的に直観的認識と抽象的認識の区別を採用する一方で、抽象的認識もまた 「おのずと表象する直観能力」と括り、スペキエス(可知的形象)の考え 方を導入しているのだとか。また、複合的な認識(複合命題の認識)の対 象になるのは、論証の結論ではなく命題全体の意味内容だと考えている点 で、オッカム主義の枠を越えているともいいます。 また、神学的教義に関しては、アウグスティヌス、アンセルムス、ペトル ス・ロンバルドゥスなどの伝統に連なり、神には「絶対的力」と「秩序的 力」があるとし、前者は「神がなすに相応しくないこと」によって制限さ れると考えているといいます。それが、論理的矛盾が神の絶対的な力の唯 一の制限だとしたオッカムの議論と異なる点をなしています。コスモロ ジーに関してはきわめて同時代的なスタンスを取り、「世界の根源的な偶 有性」を認めています。すなわち被造物が現実態として無限である可能性 や、「形相の強度」論を擁護したりしているのだとか。意志論や恩寵論が 極端なまでにアウグスティヌス的だとされるのと対照的です。こうして 様々な論点において、グレゴリウスの議論はオッカムともラッドワーディ ンとも異なっているといいます。 ジョリヴェによるレフ本のレビューは、このような論点の列挙により、グ レゴリウスが伝統と時代の両方に密接に関わっている側面を強調していま す。元のレフ本も見てみたいところですが、まずはより新しい、最近の研 究書を眺めながら、グレゴリウスとその時代、そして伝統の流れについて 追っていきたいと思います。というわけで、それは改めて次回から。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は11月03日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------