〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.251 2013/11/16 ------文献探索シリーズ------------------------ 一四世紀の無限論(その6) 前回までのヴォデハムに続いて、今度見ていくのは一四世紀前半に活躍し た数学者・自然学者、トマス・ブラッドワーディン(1300頃〜1349) です。ブラッドワーディンはいくつか数学的著書などを残していますが、 それらの多くはオックスフォードのマートン・カレッジのフェローだった 時代(1324〜35年)に著されたとされています。そうした著作の一つに 『連続体論(Tractatus de continuo)』があります。これはヴォデハム などが取り上げていた連続体の問題を改めて取り上げ、新しい議論を加え ていることから、当時の連続体問題に関する基本書と見なされるようにな りました。ブラッドワーディンもアンチ不可分論者で、不可分論者側への 反論などはほかの論者たちからも参照元として重宝されていたようです。 参照している『神学から数学へ−−一四世紀の無限論』には、その『連続 体論』からの一部が仏訳で収録されています。本文に先立つ解説によれ ば、同テキストのポイントは、数学的知見への大胆なシフトにあるといい ます。ブラッドワーディンは不可分なもの(原子)を数学的な点と同一視 する可能性を認めたことで、それ以前の論者たちとは一線を画し、不可分 論に対して幾何学的な議論でもって反論できるようになったのだといいま す。ここでいう幾何学とはユークリッド(エウクレイデス)の幾何学のこ とです。 ユークリッド幾何学においては、連続体は直接に隣接する有限の不可分の ものによって構成されてはいない、という説が前提として掲げられるとい います。ブラッドワーディンはユークリッドの『原論』をモデルとし、そ の公理系を枠組みとして用いつつ、不可分論への反論を提示しています。 当時主流だった論法は、アリストテレスの『問題集』の議論構成に倣うと いうやり方だっといいます。ですからこの幾何学モデルでの議論はかなり 斬新なものだったと思われます。 『連続体論』の全体は、「結論」と称された150ほどの節から成っていま す。それぞれの「結論」は一つの命題を取り上げて検証しています。解説 に従って見ておくと、大まかにはそれらは次のような仮説への反論をなし ています。(1)連続体が直接的に隣接する不可分のものから成るとする 仮説、(2)連続体が有限個数の不可分なものから成るとする仮説、 (3)不可分なものは有限個数だという仮説、(4)連続体とは別に不可 分のものが存在するとする仮説。各「結論」において、これらの説の問題 点がかなり細かく検討されていきます。 具体的に見てみましょう。まずは結論三五から三七を取り上げてみます。 「連続体上に直接的に隣接する原子があると考えるなら、その連続体(円 でも、四角でも)の中心点に隣接する点は、円周あるいは辺の上にある点 と同じ数だけ存在することになる」、というのが結論三五です。とくに円 の場合が取り上げられていますが、円周上の任意の点から中心に伸びる直 線は、ほかの点から中心に伸びる直線と、中心においてのみ交差します (これは結論一五に示されています)。そのため、中心と円周上の任意の 点を結ぶ直線はただ一つだけが決まることになり、円の中心点を取り巻く ようにその中心点に接する点は、円周上の点と同数なければならないこと になります。ですが、そうなると、「中心に接する点は無限個数ある」 (結論三六)ということになり、するとそこから「連続体上の二つの不可 分なものは、中間点なしには接しない」という結論に行き着きます。 ブラッドワーディンはこれを図的に説明しています(ここでは再現図は再 録できないので、言葉だけで追っておきます)。中心をA、それを取り囲 む形で隣接する点の一つをBとします。もう一つ、Aに隣接する別の点C を取っておきます。ABから伸びた直線が円周と交差した点をDとしま す。さらにACから伸びた直線が円周と交差する点Eを取ります。直線AD と直線AEはいずれも半径なので、円の中心以外で集中することはありま せん(結論一五)。ここで、円周上のDとEの間に任意の点Fを取るなら、 AFはADともAEとも重なりません。ということは、中心に接する点Bと点 Cとは隣接していないことになります(少なくともAFの直線上に別の点 がなくてはなりません)。これは点Bと点Cをどのように取ってもそうな ります。こうして、中心から円周へと伸びる直線は無限個なければならな いことになり、中心に接する点も無限個数あることになります。とするな らば、個数は無限にあるのですから、不可分なもの同士の間には常に中間 点がなければならず(さもないと有限個数ということになります)、した がって不可分なもの同士が接するには、常に中間点を伴うということにな ります。 結論三七ではさらに、上の議論を敷衍する形で「任意の連続体上の二つの 不可分なものの間には、中間点をなす不可分なものが無限個数なくてはな らない」という命題と、そこから導かれる「連続体を構成する原子は無限 である」という命題が示されます。連続体上の任意の点Aと点Bの間には 必ず中間点がなくてはなりません。中間点を仮にDとしましょう。すると それは任意の単一の不可分なものか、もしくは複数の不可分なものである かのいずれかです。もし単一であるとしたら、BとDの間には中間点がな いことになってしまいます。また、複数の不可分なものが有限個数だとし たら、それら不可分なものの一番目とAの間に中間点がないことになって しまいます。というわけで、中間点は無限個の不可分なものでなくてはな りません。そう考えるなら、結果的に連続体は無限個の不可分なものでで きていなくてはならなくなります。 このように、図や数学的な表現を多用するところが、確かにブラッドワー ディンの議論の特徴になっています。次回も続く議論を見ていきます。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ジョン・ブランドの霊魂論(その12) 今回はブランドの『霊魂論』から、二四章(全部)を取り上げましょう。 魂は単一か複合体かという問題を論じています。早速見ていきましょう。 # # # XXIV Utrum anima sit simplex vel composita Sequitur ut dicamus: Utrum anima rationalis sit simplex vel composita. Quod sit composita sic videtur posse ostendi. 329. Inter ea quae creantur a causa prima in effectu reperiuntur duo genera causatorum, unum corporale et aliud spirituale. Sed ita est in corporalibus quod corporalia habent stabilimentum suae essentiae a materia et a forma. Sed spiritualia stabilioris sunt essentiae. Ergo cum illa stabilius habeant esse, habent illa stabiliori modo in effectu a materia spirituali et a forma spirituali. Cum igitur anima sit una de spiritualibus creaturis habebit compositionem ex materia et forma, et ita anima rationalis est composita. 330 Praeterea. Anima est substantia et non parificatur substantiae; ergo abundat in aliquo quod facit animam non adaequari substantiae, sicut species abundat suo genere. Ergo cum substantia sit de veritate essentiae animae, et sit ibi praeter illud quiddam in quo abundat anima a substantia, erit anima composita ex duobus illis, quia, circumscriptis omnibus accidentibus ab anima, adhuc erit invenire illa duo in veritate essentiae animae. Est ergo composita ex diversis, ergo non isimplex. 二四章 魂は単一か複合体か 続いて、理性的魂は単一か、それとも複合体かについて述べよう。複合体 だという見解は以下のように示すことができる。 329. 第一原因によって創造されたものには、事実上二つの類が認められ る。一つは物体的なもの、もう一つは精神的なものだ。物体的なものの場 合、物体の本質を安定させるものとして質料と形相がある。だが精神的な もののほうが、本質はよりいっそう安定している。したがって精神的なも のはいっそう安定した存在を有するのだが、それは事実上、霊的な質料と 霊的な形相によるいっそう安定した様態を有しているからである。魂は霊 的な被造物の一つであることから、質料と形相から成る複合体を有するだ ろう。かくして理性的魂は複合体ということになる。 330. さらに次のような議論もある。魂は実体だが、実体と同等とは見な されない。ゆえにそれは、種が類よりも過剰であるのと同様に、魂を実体 と同等と見なされないようにしてしまう過剰な何かをもつ。ゆえに、実体 は魂の真の本質であるが、それ以外に魂を実体よりも過剰にしてしてしま う何かがある以上、魂はそれら二つのものによって構成されることになる だろう。というのも、魂から生じる周囲のあらゆる偶有のもとでも、それ ら二つは魂の真の本質として見出されるだろうからだ。よって魂は複数の ものから成り、ゆえに単一ではない。 331. Si concedatur. Contra. Anima componitur ex diversis, dicatur unum illorum A, reliquum B. Inde sic: A aut est animatum aut non est animatum. Si est animatum, ergo est habens animam, et anima vegetativum, et illa anima iterum aliam animam, et sic in infinitum. Si non est animatum, pari ratione nec B est animatum. Sed ex duabus albedinibus numquam proveniet nigredo. Unum enim contrariorum non causat reliquum. Ergo nec ex duobus inanimitas fiet animatum. Ergo numquam fiet anima ex illis duobus. 332. Praeterea. Unicuique composito respondet sua divisio, quoniam quaecumque erit componere erit resolvere. Ergo si anima est composita, ipsa est divisibilis in componentia; ergo est corruptibilis, ergo destrui potest, quod superius improbatum est. 331. 仮に譲歩するにせよ、次のような異論がある。魂が複数の要素から 成り、そのうちの一つをA、別の一つをBと呼ぶとしよう。すると次のよ うになる。Aは生命をもつか、あるいはもたないかのいずれかである。も し生命をもつなら、そこには魂があることになる。魂が生長しうるものを もつなら、その魂はまた別の魂をもつことになり、それは無限に続くこと になる。Aが生命をもたないなら、同じような理由からBも生命をもたな いことになる。だが、二つの白から黒が生まれることはない。というのも その場合、正反対のものの一方が他のものの原因をなさないからだ。ゆえ に、生命をもたない二つのものからは、生命をもつものは導かれない。よ ってそれら二つから魂を導くことはできない。 332. さらに次のような議論もある。複合体はそれぞれ、その分割に対応 する。構成されるものはすべて、解消されるものでもあるからだ。ゆえ に、もし魂が複合体であるなら、それは構成する要素に分割できる。ゆえ にそれは可滅的であり、破壊できることになる。だが上述したように、そ れは否認されている。 333. Solutio. Ad primam obiectionem. Dicimus quod per illam potius debet ostendi animam esse simplicem quam compositam, quia propter hoc quod simplicis essentiae est anima, propter hoc stabilimentum habet suae essentiae anima. Prima autem causa simplicissima est; unde ea quae immediate exeunt ab ea simplex habent esse; unde anima et intelligentiae simplex habent esse. 334. Ad aliud. Dicendum est quod compositio illa quae est ex genere et substantiali differentia non est nisi dicta compositio ad similitudinem et proportionem compositionis constantis ex materia et forma, ut potest haberi a Porphyrio, et si intellectu tenus sumatur genus animae, et eius differentia divisiva. Non tamen ita fuit in creatione animae quod prius fuerunt illa componentia. scilicet genus animae et eius differentia ante creationem animae. Et etiam, licet in anima esset et materia spiritualis et forma spiritualis, non tamen esset ipsa corruptibilis, cum causa contrarietate careat secundum quam fit corruptio. 333. 解決。最初の異論に対して。私たちはこう述べよう。その義論から は、魂が複合物であるというよりも、むしろ魂は単一であるとの立論がな されるべきである。というのも、魂が単一の本質をもつからこそ、その本 質は安定したものとなるからである。ときに第一原因はこの上なく単一で ある。したがってそこから直ちに発出するものも単一の存在をもつ。よっ て魂と知性は、単一の存在をもつのである。 334. もう一つの異論に対して。こう言わなくてはならない。ポルフュリ オスから援用できるように、類と実体的な差異から成るものは、質料と形 相から成る安定した複合体に類似し比せられる複合体にほかならない− −知性をも魂の類と捉えられる限りにおいて、またその区別をもたらす差 異が捉えられる限りにおいて。ただし、魂の創造時に、それら構成要素が 魂よりも前にあったわけではない。すなわち、魂の類とその差異が魂の創 造に先立っていたわけではない。さらに、魂の中に霊的な質料と霊的な形 相があるとしても、だからといって魂が可滅的であるとはならない。滅す るもととなる相反的な原因がそこにはないからである。 # # # 今回の箇所は結構重要かもしれません。フランシスコ会ではボナヴェント ゥラ以降、魂もまた霊的な質料と霊的な形相から成るという議論が継承さ れていくことになります。ですがそうした考え方からすると、物質が複合 体であるがゆえに可滅的であるように、魂もまた可滅的だという議論が導 かれる可能性が出てきてしまいます。人間の魂は不滅だという教会の教義 に、反することになってしまいかねません。 ここで言われている霊的な質料・形相というのは、どのようなものを指し ているのでしょうか。大元のボナヴェントゥラについて復習しておくと (坂口ふみ『天使とボナヴェントゥラ』を参照しています)、霊的な質料 という概念が提唱されたのは、天使において(魂も同様ですが)個別の特 性への変化性、あるいは受動性、個体性などがあることから、それを説明 するために能動と受動の二つの本性から成る複合体とするのがよいのでは ないか、とされたからでした。つまりボナヴェントゥラの言う質料とは受 動的可能性のことで、いわば質料概念を広く拡張して捉えていたのでし た。(ただ、霊的質料と言われる受動的可能性は、ときにいっそう積極的 な意味を与えられ、いわば変化への可能性をもった基体のような扱われ方 をしていたりもします)。 質料概念がこのように拡張されたものであるとするならば、魂が複合体だ という言い方も、そのまま物質と同じように理解するわけにはいかなくな ります。上のブランドの議論でも、329節の質料形相論的な議論に対し て、333節で魂の本質が単一であることを改めて強調しています。とはい え、これだけですべて解決というわけには行きそうにありません。 330節の議論では視点を変えて、種が類に対して過剰、つまり多数化して いることを引き合いに、魂もまた何かが加わることで多数化していること が示唆され、よって魂は二つの本質から成ると結論づけています。ここで 加わる何かとは種的差異に相当すると考えられます。種的差異は形相から もたらされると考えられるのが一般的ですが、ボナヴェントゥラなどの議 論では実体的なものはすでにして複合体(広義の質料と形相の)としてあ るとされ、種的差異が見出される時点ですでにそれは複合の結果として生 じているとされるようなのです。そのためか、334節の反論では、この実 体と種差の複合体の話も質料形相論的な複合体の話へと引き戻されてしま っています。 そうなると、あらためて霊的質料、霊的形相がどのようなものなのかが気 になってきますが、残念ながらここではそれ以上具体的には示されていま せん。上のボナヴェントゥラの場合でも基本的には同様のようです。ただ 少なくとも、霊的質料なるものがエーテルか何かのようなものとして思い 描かれていたのでないことは、上の334節から明らかです。ブランドは、 魂の創造時にその構成要素が先にあったのではないとして、こうした安易 な類推を斥けています。ボナヴェントゥラ以降の議論での霊的質料とは何 だったのか……このあたりのことは、もう少し広い見地から見直してみる 必要がありそうです。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は11月30日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------