〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 silva speculationis       思索の森 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 <ヨーロッパ中世探訪のための小窓> no.266 2014/07/05 ------文献探索シリーズ------------------------ 一四世紀の数比論(その1) 無限についての一四世紀の議論を俯瞰した前回のシリーズとも関連します が、今回からは一四世紀の数学の発展の一端をもう少し詳しく見ていくこ とにしたいと思います。題して「一四世紀の数比論」です。前回までのシ リーズで底本とした『神学から数学へ−−一四世紀の無限論』と同じ仏訳 本のシリーズ(Sagesse medievales「中世の知恵」シリーズ)に、トマ ス・ブラッドワーディンとニコラ・オレームの数比論を収録した合本があ ります。"Bradwardin : Traite des rapports, Oresme : Sur les rapports de rapports",(trad. Sabine Rommevaux, Les Belles Lettres, 2010)というもので、さしあたりこれを読みながら、両者の議 論を整理してみたいと思います。さらにこれに、パルマのブラシリウスに よるブラッドワーディンのテキストの注解なども絡めて見ていきたいと思 っています。 今回はまず、同書の冒頭に置かれた、訳者(サビーヌ・ロムヴォー)によ る解説のさわりから見ていきましょう。そもそもなぜ数比の話が問題にな るのでしょうか。実は事の起こりは物理的な運動の議論にあるようです。 一四世紀のとくに後半、オックスフォードの自由学芸の教師たちの間で、 自然学的な諸問題に数学的手法や道具立てを用いることが一般化しまし た。それらの教師たちは「calculatores(計算屋)」のようにも言われた といいます。そして、同大学のマートン・カレッジで教えていたブラッド ワーディンもその一人でした。彼は運動における速度、強度、抵抗など が、どのような関係にあるのかを検証しました。いわゆる「比」の問題と して考察したのです。 前にも触れていますが、ブラッドワーディン(1300年頃〜1349)は聖 アウグスティヌス修道会の隠修士で、オックスフォード大学のマートン・ カレッジの出身でした。1324年から1335年にかけて同校のフェローと して教職についています。1335年には同校を辞め、リチャード・ド・ベ リー(イングランドの神学者、書籍愛好家)の側近となり、36年にはオ ックスフォードにて神学の教師となっています。1349年にはカンタベリ ーの大司教に就任するも、その数週間後に黒死病(?)で亡くなっている のだとか。 ブラッドワーディンには『思弁的算術』『思弁的幾何学』といった著書が あります。また『連続体について』では、連続体が不可分の点から成ると いう可能性を数学的に論難し、オックスフォード界隈の「不可分論vs無 限分割論」の論争に終止符を打ってみせたとされます。で、これとは別 に、独立した著書の中で運動の問題を取り上げています。それが『数比 論』という著書です。同書は発表後、イングランドでも大陸でも人気を集 め、一部の大学では教科書として使われるようになります。 『数比論』は四章構成で、第一章が数比や比例関係の概説、第二章が速 度、強度、抵抗の比例関係にまつわる先人たちの議論、第三章が自説の運 動論、第四章が運動別の速度計測の方法と四元素の比例関係問題にそれぞ れ当てられています。同書の成立については「1328年」との記載がある ようで、マートン・カレッジ時代の著作だということが確定しているよう です。ブラッドワーディンの論理学・数学などの主要著作は、いずれもこ のマートン・カレッジ時代のものなのですね。 もう一方のニコル・オレームも、一四世紀中盤ごろのパリ大学において著 名な教師となった人物です。彼はブラッドワーディンの理論をさらに発展 させたと言われます。オレームも数学に並々ならぬ関心を寄せていまし た。そのことは多くの数学的著書があることからも明らかです。そうなる と、その講義でブラッドワーディンの著書が使われていたのかもしれな い、などとつい想像してしまいますが(笑)、解説によれば、実際にどう だったかは定かではないとのことです(残念)。 オレーム(1320頃〜1382)はノルマンディ出身で、生涯を大学で過ご した教育人です。1341年頃にパリ大学の学芸教師となり(前にも出てき ましたが、ジャン・ビュリダンが師匠だったのですね)、48年にはナヴ ァールのコレージュで神学を学びます。1356年に神学の学位を取得しグ ラン・メートルの称号を得、1362年にはルーアン大聖堂の参事会員にな り、2年後には参事会の会長職に任命されます。シャルル五世の求めでア リストテレスの著作などの仏訳を手がけ、その功績により1377年にリジ ューの司教座を任されることになり、その地で82年に亡くなっていま す。 オレームのテキスト『数比の比について』は1350年か51年頃に著された とされています。ブラッドワーディンのものとは違い、これは必ずしも教 育目的では書かれておらず、むしろ数比についての基本知識を前提とした 専門書に属するもののようです。これも四章から成り、そのうちの三章は 数比の問題と、数比間の比の問題に当てられています。上で触れたよう に、ブラッドワーディンが素描した理論をさらに発展させる内容になって いる、とロムヴォーの解説は述べていますが、実際にそれがどういうもの だったのかはこれから実際に検証していきたいところです。四つめの章は 運動の法則、とくに惑星の運動とその合について扱っており、どうやら占 星術(オレームはとても批判的だったといいます)を根底から転覆させる 意図で書かれているようです。 ロムヴォーの解説もこの後、各テキストの具体的な内容の概説に入ってい きます。私たちもまた、次回からテキストそのもの(ここでは仏訳です が)について、解説も参考にしつつめぐっていきたいと思います。 (続く) ------文献講読シリーズ------------------------ ロバート・グロステストの『光について』(その9) このテキストもいよいよあと少しです。では早速続きを見ていきましょ う。 # # # Putant tamen aliqui quod sphera ignis rotetur motu diurno et significationem illius ponunt circumrotationem cometarum. Et dicunt etiam hunc derivari usque in aquas maris, ita ut ex eo proveniat fluxus marium. Verumtamen omnes recte philosophantes terram ab hoc motu dicunt esse immunem. Eodem quoque modo sphere que sunt post spheram secundam, que computatione in sursum facta nominatur octava, quia participant etiam formam illius, communicant omnes in motu suo, quem habent proprium preter motum diurnum. だがある人々は、火の球は日々の運動で回転していると考え、それが流星 の回転運動を意味すると考えている。彼らは、その運動が海の水にまで波 及し、そこから潮流が生じるのだと述べている。とはいうものの、正しい 思索をめぐらす人々は皆、地球はその運動から免れていると述べている。 また同様に、第二の天球より後にできる天球は、上の計算では八つあると されるが、同じ形相に与るがゆえに、いずれもその運動、すなわち日々の 運動以外の固有の運動を伝えている。 Ispe autem celestes sphere quia complete sunt non receptibiles rarefactionis aut condensationis lux in eis non inclinat partes materie a centro ut rarefaciat eas vel ad centrum ut condenset. Propter hoc ipse sphere celestes non sunt receptibiles motus sursum aut deorsum, sed solummodo motus circularis a virtute motiva intellectiva, que in sese aspectum incorporaliter reverberans, ipsas spheras corporali circulat revolutione. Ipse autem elementa, quia incompleta, rarefactibilia et condensabilia, inclinat lumen quod in eis est aut a centro ut rarefaciat aut ad centrum ut condenset. Et propter hoc ipsa sunt aut sursum aut deorsum naturaliter mobilia. だがそれらの天球は、完全であるがゆえに希薄化や凝集を受け入れること ができず、それらの中の光は、希薄化の場合のように質料の一部を中心か ら遠ざけたり、凝集の場合のように中心に向かわせたりすることがない。 そのため、それらの天球は上方や下方への運動を受け入れることができな いが、知的な運動の力による回転運動だけは受け入れることができる。そ の運動はみずからの知性を非物体的に反映し、物体的な天球を回転運動に よって回すのである。だが元素はというと、不完全であるがゆえに希薄化 と凝集が可能であり、それらの中にある輻射光は、希薄化の場合のように 中心から遠ざけたり、凝集の場合のように中心に向かわせたりする。その ため元素は、上方もしくは下方に自然に動くことができるのである。 # # # まず最初の段落です。流星の動きを火の球における回転運動だと考える 「人々」がいる、というわけなのですが、底本の注釈によれば、まずもっ て念頭にあるのはアルペトラギウスだといいます。グロステストのテキス トでは、そう考える人々は、第一の天球の動きが地上世界の海の潮流にま で影響するとしている、というのですが、アルペトラギウスの場合、さす がにその運動は大地にまでは及ばない、と述べているようです。同じく注 釈によれば、「日々の運動以外の固有の運動」というのは歳差運動のこと だろうといいます。 西欧でも一二世紀ごろ、アリストテレスの同心円的なモデルとプトレマイ オスの偏心的モデルとの整合性をどう取るか、ということが大きな問題に なっていました。それに先立つアラブ世界でも同様で、アルペトラギウス (生年不明、1204年没)もそうした問題を考えた一人でした。アルペト ラギウスは結局、偏心円の考え方を斥け、その上で歳差の問題を考察して いきます。軌道がやや楕円になっていることなどを示したと言われていま す。その著書『天の運動について』は、1217年にマイケル・スコットの ラテン語訳が出て、瞬く間に広く普及したといいます。グロステストは、 最も早くからアルペトラギウスを参照したうちの一人とされています。 二つめの段落で言うところの「知的」とは、第一原理としての光(=神) に宿る知性ということなのでしょうね。再び底本の注釈を見てみると、光 の増殖のテーマはとりわけアル・キンディの教義が根底にある、と指摘し ています。キンディは、あらゆる存在者(物体)が非物質的な光を発して いて、それが「スペキエス」(可感的形象)のもとになっているという説 を唱えたのでした(これはとりわけロジャー・ベーコンの形象増殖論のベ ースにもなっています)。また、上で反映と訳出したaspectusについて ですが、注釈によるとこれは動因となる力が運動を誘発する様態を表して いるのだといい、グロステストは他の複数の文書でこの語を用いていると いいます。人間知性の潜在性を示すためだったり、さらには神と人間精神 との相互の照合という意味合いだったりするようで、意外に重要な語のよ うなのですね。 さて、この同じ箇所について、毎度お馴染みのマッケヴォイ本もコメント していますので、そちらも見ておきましょう。グロステストの理論が興味 深いのは、従来型の天球のほかに、不完全な球として各元素の球を想定し ていることです。それまではアリストテレスに従った、天上世界と地上世 界との質料的な対立にもとづく二元論的理論が一般的でしたが、これに対 してグロステストは、少なくとも世界の成立において、質料的な一元主義 を貫く理論を提唱したのでした。マッケヴォイの指摘によれば、グロステ ストがそうした考え方に至った背景として、ほかの著作(とくに初期のも の)に見られるような占星術や錬金術の影響が挙げられるといいます。 星々が地上世界に及ぼす影響の話や、あるいは元素が(第五精髄も含め て)混合するといった話が、そうした反アリストテレス的なコスモロジー の体系化の根底にある、というのです(pp.180-182)。 また、その質料的一元論は同時に原理の面での一元論でもありました。そ れはつまりこういうことです。アリストテレス(とその追従者たち)の体 系が、形相と質料から構成される二元論的世界を考えているのに対して、 グロステストはあくまで光(ルクス)の波及効果によって世界が成立する という、原理の一元論を唱えていると見ることもできるわけですね。マッ ケヴォイはここに、ガリレオが望遠鏡を用いて初めて明らかになった、天 上世界と地上世界とが「陸続き」である(両者に同じ原理が働いている) という認識の、先駆的な見識を見て取っています(p.185)。 天球の世界と地上世界が一元的な物質から成っているという考え方は、そ の後オッカムやジャン・ビュリダン、オレーム、クザーヌスなどにも受け 継がれていきます。マッケヴォイはこう述べています。後の科学革命は、 アリストテレス的世界観の全体を転覆させなくてはならなかったがゆえ に、こうした思弁の単純な延長では片づかないだろう。だが、それでもな お、回顧的に見るならば、ガリレオのような宇宙全体を一律の物理法則に 順属させる考え方や、デカルトのような同じ物質(質料)の遍在で統一さ れた、無限に延長された宇宙観などは、そうした中世の学者たちになにが しか負うところがあっただろう、と……。もちろん細かく見れば、影響や 系譜の関係というのは簡単には括れないでしょうけれど、少なくともグロ ステストが時代を先んじていたこと、同時代的にはまったく異質の教義を 唱えていたことはよくわかります。 いよいよ次回はこの『光について』の最終回となります。お楽しみに。 *本マガジンは隔週の発行です。次号は07月19日の予定です。 ------------------------------------------------------ (C) Medieviste.org(M.Shimazaki) http://www.medieviste.org/ ↑講読のご登録・解除はこちらから ------------------------------------------------------