春に刊行されて、フランスでは「イデオロギー的だ」との批判が噴出したシルヴァン・グーゲンハイム『モン・サン=ミッシェルのアリストテレス』(Sylvain Gouguenheim, “Aristote au Mont Saint-Michel – les racines grecques de l’Europe chrétienne”, Seuil, 2008)を、とりあえずどんなものか読んでみる。ローマ帝国の崩壊とともにヨーロッパではいったんギリシア思想などの古典的な知が失われ、はるか後に、アラブで温存されていたそうした知が翻訳を通じて再び流入したという、昨今では広範に共有された定説に、事態はそう簡単ではないと異を唱える一冊。前半は割と穏やかなトーン。帝国崩壊後のヨーロッパで、古典的知は決して失われてはおらず、細々とでも温存され、とくにビザンツから逃れてきた知識人たちがそうした知の普及に与っていたのだとし、またシリアなどの東方での翻訳にはキリスト教徒が大きく貢献していたということを指摘している。全体として、知の普及の見取り図として12世紀ごろまでの様々な神学者らの名前も挙がるのだけれど、個別にはいくつか誤りもあるようだし、またちょっと強引な論の進め方もあるし(たとえば、サレルノの医学的伝統などが引き合いに出されていて、これはアラブ=イスラム世界とは関係がないとか書かれているけれど、そんなことはないわけで(苦笑))、断定するような物言いに限って注釈がついていなかったりもする(出典が明らかでない)。前半の最後には、表題にもなっている、モン・サン=ミッシェルでのヴェネツィアのジャンなる人物がなしたというアリストテレス全訳が取り上げられるのだけれど、この人物なども実際には詳しいことはわかっていないらしいのだが、著者の議論ではある特定の論文が再三引かれ、それにかなり依存したものであることがわかる。著者はそのジャンの訳がアルベルトゥスやトマスにも使われているなんて言っているけれど、この辺もかなり怪しそう(?)。
ギリシア語は、今度はオフラインで使える辞書がなくみたいで、テキストとしてはギリシア語版の入った新約聖書などがある(こちら→)。ただしギリシア語表記は気息記号やアクセントはなし。あと、これも同じく聖書からの単語をパラパラやって確認できる練習帳GreekFlashというのもある(入門向きかな→)。聖書のギリシア語の音声教材はオーディオブックがある。Readings in the Greek New Testamentというもの(こちら→)。電子書籍などでプラトンとかアリストテレスとかあるといいのにねえ。