ハッピーバースデイ、レヴィ=ストロース!

“Bonne anniversaire”、”Buon compleanno”、”Alles Gute zum Geburtstag”。どれでもいいのだけれど(笑)、人類学者のクロード・レヴィ=ストロースは28日でなんと100歳。まるまる一世紀を見つめてきたというわけだ。Le Mondeはsupplémentでこれを讃えているし、Herodote.netでも取り上げている(Lévi-Straussのプロフィールがこちらに)。これに合わせる形か、国内でもいろいろと邦訳が新刊で出ているが、最近は読んでいないなあ。個人的にレヴィ=ストロースは、学知に迷った時に読む著者。その知的構築力を見ると、なぜか元気が出る(笑)。これはもう、個々の論文に齟齬があるだとか、一部恣意的だとか言うどこぞの小さい批判などをはるかに超えて元気になれる。それはつまり、人の営みがやはり人工物・人為的所産を生み出すことにあり、私たちが自然のものと見ているものすら人為的所産でしかなく、その上に立って人為的所作をなすことが人の辿る道なのだという、ある意味感動的でもあるビジョンが語り出されるからかしら。というわけで老師(と勝手に呼ばせてもらおう)の100年目の歩みに乾杯しよう。

そういえばそのHerodote.netのニューズレターでは、1284年の11月28日の出来事として、北仏ボーヴェのサン=ピエール大聖堂の穹窿が崩れた事件を取り上げている。1225年に火災にあった大聖堂の再建工事の途中だったという。ニューズレターではこれに、ベドフォードの時祷書(15世紀)の細密画から「バベルの塔」を描いたものを添えている。人が作るものは美しいがはかない……でもだからこそ愛おしいという、人為的所作の基本への暗示がまたなんだかタイムリーかも。

「先祖返り」?

いまだに出先ではsigmarion IIIを愛用しているのだけれど、専用ソフトウエアのダウンロードサービスなども少し前に閉鎖され、世間的にはなんだかすっかり過去の遺物扱いなのがちょっと悔しいというか……。でも、蓋を開けると同時に起動(というかレジューム)し、小さい文章をちょこちょこと書いて、あとは携帯とかをモデムにしてちょっとだけ通信するといった用途には、いまだ絶大な力を発揮する道具。こういうツールの後継機をぜひまた作ってほしい。……なんて思っていたら最近、ほとんど昔のワープロ専用機の先祖返りかという感じで、ポメラDM-10(写真)なんてのが登場したのだそうで。ATOK搭載で入力は快適らしいとはいえ、通信機能がないといった点はやはり少し見劣りする。次期バージョンとかがもし出るなら、そのあたりを期待したいところ。

とはいえ、案外こうした過去の遺産の見直しに、革新の芽があるのかもしれない、なんてことを思ったりもする。たとえばアップルのiPod Touch(iPhoneでもいいが)のアプリケーションの枠組みなどは、もしかするとかつてのDOSが捨てた方向性の「復権」ではないか、という気もしたり。Windowsがもし、当時のMacをまねてマルチウィンドウにせず、MS-DOSを蹈襲しながらグラフィック画面化だけは果たし、一方で実際にDR-DOSがやっていたような(キャラクタベースのUnixっぽい)画面切り替え方式で複数のアプリケーションを起動させ切り替えながら使う、みたいな方向に行っていたら、おそらくこのiPod Touchが実現しているような環境をもっと洗練させたようなものになったんじゃないかなあ、なんて。ま、妄想でしかないわけだけれど。いろいろと途上で捨ててきたものの再考は、案外とても重要なんではないかしらん、と。

で、これはなにもIT関係だけに限らない。過去の諸説などの再考は、歴史の研究ならば普通になされていることだし。先に触れたグーゲンハイム本なんかも、いろいろな意味で問題はあるものの(イスラムの極端な過小評価、意図的っぽい極論や事実誤認など)、古代ギリシアやローマと西欧中世との間に文化的にあったとされる歴史的な断絶は本当に断絶と言ってよいのか、事実はどのあたりにあったのか、といった問題の再考を促す刺激にはなっているかも(個人的にも、メルマガでそのうち同書の検証企画みたいなのをやってもいいなあ、と思っているところ)。

「聖アレッシオ」

ウィリアム・クリスティ率いるレ・ザール・フロリサン。久々にその演奏をDVDで堪能する。ステファノ・ランディ(1587-1639)の音楽悲劇『聖アレッシオ』(Virgin Classics)。これはなんとも素晴らしい舞台だ。1631年の初演という初期のバロックオペラを、2007年にカーン(Caen)で上演したもの。まずもってヴィジュアル的に圧倒される。照明をロウソクの灯りで取るという手法のせいか、画面全体が赤みを帯びて、まるで生きた宗教画を見ているかのよう。少年合唱団が羽根を背に天使の役などで登場するが、それも全体の絵の中にとけ込んで違和感がない。うーん、お見事。演出のバンジャマン・ラザールという人はバロック劇の権威なのだそうで、なるほどと納得。また演奏も実に渋く、またバロックダンスなども随所に取り入れて見所もたくさん。クローズアップを多用したカメラワークは、時に人物の登場場面などを逃してはいるけれど、それでも主要な人物たちの微細な表情や仕草(これがまた実に絵画的)を細やかに追っていて上質。中身は、ヤコブス・デ・ヴォラギネの『黄金伝説』に出てくる聖アレッシオ(アレクシス)の最後の方の物語を三幕で構成したもので、すでに決定的な時(アレッシオの婚礼からの逃避、放浪など)は終わり、失われてしまっていて、いわば「残りの時」を抒情的に描き、歌い上げている。決定的な事件はすでに起きてしまっているという点で、ワグナーの「トリスタンとイゾルデ」なんかを彷彿とさせるかもね(笑)。

新刊情報(ウィッシュ?リスト)

以前メルマガのほうでまとめていた中世関連の新刊情報だけれど、そちらはちょっと小休止。代わりに備忘録という感じで、こちらにリストアップすることにしようかな、と。最近の気になる新刊というと、ざっと以下のような感じに。

ボイヤーの『数学の歴史』は新装版ということで、なるほど全部で5巻本で出ているわけね。個人的な注目は、キャヴィネス本と『フランク人の事績』かな。この後者は3つの十字軍従軍記をラテン語から訳出したものなのだそうで。

色彩の不可思議

夕方ちょっと新宿へ。南口のサザンテラスはすでにクリスマスイリュミネーション。昔と違うのは、有機LEDになって発色がかなり「原色」っぽくなったことか。そのため視覚的な表現も以前に比べて凝ったものになっている気がする。電気の消費量も少なくて済むというし、いいことずくめ……なのか?

それにしてもこの青の発色はなかなか映える。このところアリストテレスの小品「色彩論(περί χρωμάτων」を読んでいたのだけれど、白と黒を両端として、その間に混合の濃淡をベースにした発想で様々な色が並ぶのがなかなか面白い。青とかとりわけ紫などは黒に近い色という感じで捉えられている。先のパストゥロー本によると、このアリストテレス説は12世紀に再発見されたのち、17世紀まで命脈を保つのだという。面白いのは、同じ青でも、「濃くて輝きのある青は、褪せてくすんだ青よりも、やはり濃くて輝きのある赤や黄や緑の方に近いものとしばしば知覚されている」(p.129)という点。色そのものよりは濃淡の方に分別の比重が置かれていた、というわけか。色一つとってみても、ずいぶんと捉え方が違ったらしいことが興味深い。パストゥローはそういう意味において、絵画修復などの色彩の再現にも微妙な批判を加えているし、彫刻にしても、当時はなんらかの色が付いているのが普通だったとし、現存するものが色がないからといってもとから無色だったと了解しては間違いになる、ということも指摘している。色彩や視覚については、スコラ的な理論も興味深いが、こういう現象としての歴史も負けず劣らず興味深い。